なぜマネジメントがうまくいかないのか ⑪      【精神的自立への行動変革(その2)】


4-3 自己充足行動を制御する


強い自己執着を抱えて自己防衛行動に走っている人は、不毛な自己目的を遂行することに精力の大部分を注いでいるので、周囲に意識を向けることができなくなります。そしてそうなってしまった人は、当然ながら他者の利害や心情に寄り添うことができず、幼い子供のように「世の中は自分中心に回っている」「周囲は自分に属している」と言わんばかりの行動を示すようになります。


その人の強い自己中心性を映す自己充足行動は、自己防衛への意識に支配された1つの結果と言ってもいいでしょう。強い自己防衛行動を示す人は、漏れなく自己充足行動も見せているはずです。「対象(他者)に向き合えない」という前提を持つ人が、利他的な意識を持てるはずが無いのですから、当然と言えば当然です。


テキストからの抜粋です。


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精神的に自立しない人が頻繁に見せる行動 <その2> 


自己充足行動


自己への執着が極めて強く、自分の殻の中に閉じ籠って生きている人は他人に興味を持たないので、他者の利害や感情に心を寄せることなく自己中心的な行動に走ることが多くなります。


人が他者から課せられたものや委ねられたことを背負って動く時、そこに責任感が宿り、取り組みが持続的になります。しかし、「人のために」という利他の意識を持たずに動く人は、自分の興味や関心が薄れると、低下するテンションを押し留めるものを持ちません。与えられた前提やミッションから逸脱して動く人や、仕事の成果責任への意識が薄い人が、今、確実に増えています。


「自分の興味のあることしかやらない」「約束を守らない」「メールには気の向いた時だけ返信」「思い付きを発散するだけ」「同じミスを何度も繰り返す」「時間泥棒」などなど… こんな人たちは、どこの職場にも普通に存在するでしょう。そのように人の利害を度外視して自己充足的に動く人の幼稚性は、周囲の人たちのメンタルを蝕むので危険です。

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「精神的に自立していない人は、自己防衛行動も自己充足行動も見せているはずだけど、両方の行動を拾えなければ片方だけ取り上げればいいよ」社内アセッサー養成講座の中で、私は生徒さんたちにそう伝えています。精神的に自立しない状況にある人が必ず両方の行動をバランス良く発出するわけではなく、その人の個性や置かれている環境によって、どちらかの行動の露出度を高めることが多いからです。


自己充足行動には、「熱量を伴わない」という特徴があります。上述のように人は他者に対する責任を背負って動く時、熱量が高まりその熱量を維持できます。一方、利他的な意識に欠ける人の多くは、凝縮的に熱量を高め続けることができません。自らの心身に負担をかけることを嫌う「ワークスタンダードの低い人」と利他性との関係性を第3章で述べましたが、自己充足行動には「他者のために自分のエネルギーを使うことを嫌う」という精神性が深く絡んでいるところに、大きな問題があるのだと思います。


この行動を多発する人も、自分の興味や関心のあることには深く自己投入することがあります。しかし誰に対する責任も背負わないので、自分のテンションが下がると自分が巻き込んだ人の存在など無かったかのごとく、取り組みの熱量が急降下します。「持続性に欠ける」「すべてにおいて不安定」、これらも大きな特徴と言えるでしょう。つまりは、「幼児性が高い」ということです。


自己防衛行動と自己充足行動。どちらが良いとか悪いとか、そういう問題ではないのですが、ちょっと比べてみましょう。自己防衛行動は、不健全なエネルギーを伴うので、とにかく目立ちます。経験の浅いアセッサーには、まずこの行動を確実に抽出することを求めています。一方、自己充足行動は、熱量を高めぬまま淡々と繰り出されるので、一発で他者に違和感や嫌悪感をもたらすことは少ないと思います。採用選考の際には、特に注意しなくてはいけません。


また、自分の心を守るためにじたばたする自己防衛行動には、痛々しさや、時に少しだけ可愛らしさを感じることがありますが、自己充足行動に他者の共感や同情が示されることは無いと思います。「頭の中は自分のことばかりで、他人のことにはまったく興味が無い」という特性が、日本人のメンタリティを逆なでするのかもしれませんね。


決して、「自己充足行動より自己防衛行動の方がマシ」と言いたいわけではありません。自己防衛行動はわかりやすく周囲にダメージを与えます。一方、自己充足行動は、涼しげな風情から事あるごとに周囲にじんわりと絶望感を与えます。どっちもどっちですが、自己充足行動の方が意外性を伴う分、負のインパクトがより大きくなってしまうのでしょうか。


自己防衛行動と同じように、自己充足行動もゼロイチの尺度ではなく、程度問題です。人間誰しも本来的には自己愛が強く、自分の好きなように動きたいという欲望を秘めているので、何かの拍子に自己制御のタガが緩み自己中心性が前面に出てしまうことは、誰にでも起こり得ることです。やはり多くの方がグレーゾーンに属するのでしょう。


自己充足行動は、本能に抗おうとする自己制御意識が欠けた時に現れます。自らが意識的に制御を強めることができたなら、自己充足行動は必ず抑制されます。不安や恐怖が強まるあまりやむを得なく絞り出される自己防衛行動と異なり、自らの自己中心性を制御したいという気持ちさえあれば、それは誰にでもかなうのではないでしょうか。


これを読んで少し気になった方は、「7つのヒント」を読み込んで行動変革を図ってみてください。きっと人間関係に何らかの変化が生まれると思います。




❖自己充足行動を制御する7つのヒント 


1. 他人に時間を使わせることを、もっと怖がりましょう


自己中心的な人の行動の中でも、最も嫌われるものの1つが「時間泥棒」だと思います。自分のために他者が使うことになる時間が、その人にとってどのくらい価値があるのか… そしてその時間を使う人がどんな気持ちでいるのか…


それを常に意識に留めておくことさえできれば、他者に無駄な時間を浪費させてしまう重罪を犯すことにはならないでしょう。


自分が暇になると、仕事をしている同僚をつかまえて無駄話をしかける人。対応してくれた店員さんに、自分の用事が終わっても世間話に花を咲かせる人。平気で人を待たせる人。あるいは、相手の家や事務所を約束の時間より大幅に早く訪ねる人。そして、「私の前の予定が早く終わったから、待ち合わせ時間を早めませんか?」などと何の躊躇もなく言ってくる人。


すべて、たちの悪い時間泥棒です。


このような人たちは、もし自分が同じことをされたら、多分、目を三角にして怒るでしょう。「自分が使う時間はとても価値が高い」「でもその時間が他人にとって価値を持つかどうかなど、知ったことじゃない」自己愛が強くなり過ぎると、こんな恐ろしい考え方が当たり前になってしまうのでしょうか。


「WIN/WIN」 「GIⅤE & TAKE」 など、相互利益を推奨する表現はたくさんあり、その概念は今の時代において特に重視されています。「片方だけが楽しく生産的に時間を使い、もう片方は不毛な時間が過ぎていくのを耐え続ける」などということが許されるはずが無く、万が一そうした事態が発生してしまったら、その時の受益者は必死になってその借りを返さなくてはいけません。


「相手に無駄な時間を使わせてしまっていないか?」


そこにいつも気を遣ってさえいれば、時間の貸借バランスが大きな破綻を招くことは無いでしょう。でも、もしもそんな良識と無縁な行動をとり続けていたとしたら、時を経て莫大な代償を払わされることになるかもしれません。


2.自分が巻き込んだ人の心を置き忘れていませんか?


「必ず手紙書くね」「遊びに行くね」 転校していく子の最終登校日、下校の時間になると、教室は人気ドラマの最終回のように盛り上がります。送る側も送られる側も、両者の関係性がここで断ち切られることを恐れ、その継続に向けたできる限りの手立てをぶつけ合うのです。


誰もが小学校時代に接したことのある風景です。そしてその後の展開が意外と淡白に収束していくことも、多くの方がなんとなく覚えているのではないでしょうか。もちろん、その後も約束通り文通や相互訪問が誠実に維持される事例もあるはずです。でも、あの感動的な時間が少しの時間を経てまるで無かったことのようになってしまうパターンの方が一般的だと思います。


多くの場合、皆に送ってもらった子供の方は、あの日のことやあの日に言われたことに強くこだわり続けます。たくさんの人が発する情熱的なエネルギーを1人で受け止めたのですから、簡単にあの場所から離れられないのも無理はありません。そして、手紙が来なくなったことや誰も遊びに来てくれなくなったことに、小さく(時に大きく)傷つくのです。


あの日、送り出すみんなが見せた涙や発した言葉に、一切の嘘はありません。誰もが心から「これからも私たちの関係を続けなくてはいけないんだ!」と思っていました。しかし、その思いが継続されなかった… それだけのことです。「あの時のあの子が今どんな気持ちでいるのか」を、意識に留め置き続けることができなかっただけなのです。それが幼児性そのものであり、子供の限界とも言えるでしょう。


私は大人になってからも、その「幼児性」に翻弄されることが少なくありませんでした。


「一緒に新しいことをやりませんか」という話が盛り上がり、双方とも興奮気味に握手を交わす。その後、こちらはどんどんイメージを膨らませる。しかしその後相手からは何の連絡もこない。


創業からしばらくは、こんなことが何度もあったことを覚えています。「嫌になったんだったら、急にテンションが下がったんだったら、電話やメール1本でいいからちゃんと断ってくれればいいのに…」「俺、舐められているのね」


当時40歳そこそこの若造だった私は、そんなことがある度に落ち込んでいました。今にして思えば、「舐められている」などと言う話ではなく、相手の幼児性が強かっただけなのですが。


その後も今に至るまで、時々そのような人が私の前に現れて、大きな話や美味しい話を振ってきては、いつの間にかすっといなくなります。さすがに私も学習を重ねたことでそれなりにマインドセットが整えられ、そんな人への対処法が身につきました。落ち込むことは無くなりましたが、それでも毎回それなりに切ない気分を味わうことになります。


心の発達に伴い、意識の中に他者の存在が大きくなってくるはずなのですが、なぜ大人になっても他者の心情に無関心な人がこんなに多いのでしょうか。発達が止まってしまったのか、あるいは何らかの理由で退行しまったのか。いずれにしても、強い幼児性を携える大人で溢れる世の中は気持ち悪いので、自分の幼児化を制御できる人には、できる限り制御して欲しいと願っています。


自分が巻き込んだ挙句に置き去りにしてしまっている人はいないか?

自分からの返事や続報を待っている人はいないか?

自分の働きかけが滞っているせいで心を乱している人は、本当にいないのか?


一生懸命考えてみてください。もし心当たりがあったら、早くその人に寄り添うか、あるいはきちんとけりをつけた方がいいと思います。年齢などには関係なく、それが「幼児性からの脱却」に向けた第一歩になります。


3.「人に伝える」を念頭に置き、着地点を見定めて話し始めましょう


アセスメントでは、発信者のモチベーションが「人に伝えたい」なのか「とにかく話したい」なのかを見極めることが求められます。被験者の自己中心性の度合いを知るためには、その視点が欠かせません。


「人に伝えたい」と思えるような自説を形成し、伝えたい人に正しく伝わるよう注力を高めるのが、利他的な発信です。自分が伝えることによって相手が受益者になることを少しでも願っていないと、そのような発信スタイルを貫くことはできません。「伝えること」を目的にしている人の話は、知識の多寡や話術の巧拙などに関係なく概してわかりやすいのが不思議です。話す相手に向けた意識が強いほど、その内容が相手に伝わりやすい…というのは、何だか救われる話ですね。


一方、自分の意識の中に伝える相手が存在せず、発言することだけが目的化されてしまう人もいます。採用アセスメントでも、管理職選抜のアセスメントでも、被験者はみんな「喋らなかったら落ちる」と信じています。従って、「何でもいいから、とりあえず口を開いておこう」と考える人も多いようで、とりあえず起動してから話を継ぎ足していくような発信が散見されます。伝えたい事が無く、伝えたい相手も存在しないような発信を、聞かされる方はたまったものではありません。時間泥棒の被害者になりたい人などいないのですから。


言いたいことが固まらないうちに着地点を見定めず起動する発信は、聞き手にとってとても迷惑です。わかり辛いからです。人は、相手が発した言葉の1つ1つを即座に処理して理解に繋げていくわけではありません。ある程度、話の流れを読み、「次に何を言うか想像する→発せられた言葉で確認する」というプロセスを繰り返すのが普通です。それなのに、ストーリーを携えずにその場その場で思い付いた情報を継ぎ足されたのでは、聞き手は自分の想像力やイメージ力の助けを借りることができなくなり、「何を言っているのかわからない!」と脳が悲鳴を上げることになります。そもそも言いたいことなどないのですから当然の帰結ではありますが。


「話が長く、何を言っているのかよくわからない」


私たちのアセッサー養成テキストでは、自己充足行動例の一番上に、この一文が記されています。


若手の社内アセッサーに、いつも言っていることがあります。


「話の内容がわかりにくかったら、自分が未熟?などと思わず、観察用紙に『何を言っているのかわからない!』と書いておいてください」

「伝えたい意識のある人の発信は、話が下手だろうが何だろうが、言いたいことが伝わるんです。言いたいことがわからないのは、ほとんどが話し手の責任です」


アセスメントの場において、「伝えたい事が定まっていないのに、よくわからないことをだらだら話す人」に対する評価は、概ねかなり厳しいものになります。その行動が、「話すのが下手」「発信する内容の構成力不足」などというレベルで捉えられるに留まらず、その根底にある「周囲との断絶」が大きな問題と見做されることが多いからです。


人がいったん口を開いたら、そこに発言責任というものが発生します。「発言した瞬間にそれを聞く人が生まれ、その人の時間を預かることになるのだから、聞く人に最低限の生産性が担保されるように努めなくてはならない」ということです。伝えたい事も無いのに無意味な言葉を垂れ流し、聞く人の時間を奪うだけでなく心を混乱させてしまう… そんなことが安易に許されてしまうことのないよう、この自己充足行動には、一般社会においてももう少し厳しい目が向けられるようになって欲しいと思っています。


「着地点を見定めてから話し始める」


少なくてもこれさえできていれば、その発信が破綻することはないでしょう。もちろん、発言責任が問われることもありません。


                                              > ⑫ へ続く

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