第4章 《特別付録》 自分の「精神的自立」に不安を抱える方へ
4-1 行動を変える
実体を掴みにくい概念
精神的自立は、思考力(概念化能力)が起動する前提です!
精神的に自立していなければ、マネジメント領域で動けません!
そんなことを言われると、自分がどうなのか心配になってしまいますよね。でもその界隈は、「あなたは精神的に自立しているから思考力(概念化能力)があるわ」「あなたはしていないから無いわね」というような、わかりやすい世界ではありません。
自分はどうなのか? と考えてみても、よくわからない方がほとんどではないでしょうか。「自分でスパッと選択することもあるし、そうじゃない時もあるし…」などと自己分析を図ってみても、きっと答えは出ないでしょう。精神的自立はゼロかイチかの尺度ではありません。多分たくさんの人がグレーゾーンにいて、多かれ少なかれ心の安定を欠いているのだと思います。
生産的なマネジメントや健全な人間関係に精神的自立が欠かせないのなら、ぜひ自分もそこを強化したいものだ! と意気込んだとしても、自己分析が難しい… 精神的自立という概念がふわふわしたまま… という状況では、どこをどうすればよいのかわかりません。
精神的自立は心の成熟度を示すものであり、今の状況は長い時間をかけて心が育ってきた結果です。したがってそれを変容させるのは難しく、自己啓発も難しいとされています。ゆえに研修やコーチングで指摘されることも、まずありません。そもそも、他人のその部分を正しく診断できる人がどれくらいいるのでしょうか。
ほとんどの人が自分の精神的自立度合を正しく認識していない!
これが現状だと思います。人の内面を映す能力要件の中で最も重要だと思われる精神的自立がこんな扱われ方をしていたのでは、世の中の「能力開発」の形骸化が進んでしまうのではないかと、不安が募ります。
自己変革って可能なのか?
人は自分を変えることができるか? という質問に対する反応は、その人の考え方や立場によって様々です。現実的な合理主義者はNo!と言い切り、ロマン派はYes!と訴えるのかもしれません。「時と場合によります」と無難なことを言う人もたくさん見てきました。ちなみに、研修会社の人に「人は変わらない」などと言うと叱られます。(笑)
私は、「答えはNOであり、そしてYESでもあります!」というのが、正解だと思っています。
人の性格や能力は、生まれ持って備わったものの上に、多様な人や物事から受ける影響が積み重ねられ、長い時間をかけて確立されていきます。それだけに、大人になってからそれを変容させようとすることに無理があるのは間違いありません。「私の力であの人を変えてみせましょう」などと考える奇特な人がいたとしても、その思いがかなう可能性はほぼゼロに近いと思います。
精神的自立も、ある意味それまでの人生を映す完成形のようなものなので、前述のように、いきなり今の状態を別の姿に変えることは難しいでしょう。
ただ、こんなケースもあります。例えば、精神的自立の欠如がもたらす自分の行動に、何らかのきっかけで向き合うに至った人が、「こんなみっともない行動をこれ以上晒したくない!」と強く思ったとします。そして、その行動をなるべく人に見せないよう自己制御をかけたとします。
その結果、その行動が実害をもたらしたり、人に違和感や不快感を与えたりすることが無くなったら、周囲は「あの人は変わった!」と感じるでしょう。
他者からの指摘や働きかけによってではなく、自分が自分の弱みを知ってそこに向き合おうとした時に限り、自分を変えるチャンスが生まれます。自分の現状を受け入れ、自分の行動を一生懸命変えていくことで、ある程度の自己変容がかなうのです。「人が変わる」とは、そういうことです。
自分の根っこは変わらないのに行動変革を重ねることには、辛苦を伴うこともあるでしょう。でもそれに負けずに頑張り通すことで、「根っこ」も少しずつ変わってくるかもしれないよね… などと、実は日々の「行動変革」に余念の無い私は密かに期待してしまいます。
自分の中に根付いている「弱み」を他人から指摘されても、多くの人はそれを受け入れて是正に向かうことができません。先ほど「何らかのきっかけで」と書きましたが、自分の弱みに気づき受け入れるきっかけは様々だと思います。「他人の行動を目にして自分と照らし合わせる」というプロセスを経て自分の弱みを思い知らされた人も、意外と多いのではないでしょうか。
仕事場も含めた日常生活の中で、「人をじっくり観る」いう必要は生まれにくいかもしれませんが、他者の気になる行動は時として自分を映す鏡になるので、できれば他者の行動に対する感性は高めておきたいものです。
私は幸いアセッサーという仕事をしているので、一般の方よりも他者の行動に向き合う機会には恵まれています。精神的に自立しない人特有な行動を目にするたびに、びしびしと自分に跳ね返るので、嫌でも自分の行動を見直すことを迫られる日々でした。
他人の目が気になり、承認欲求がやたらと強く、精神的自立が怪しまれる内面は、物心がついてから今に至るまでまったく変わっていませんが、それがばれるような行動は極力慎もうと頑張っているつもりです。頑張らなくてはいけない分、しんどいこともあります。精神的に自立している人は、こんな風に頑張らなくてもいいんだよね… と羨ましく思うこともあります。
でも、この世に生きている限り、人に迷惑をかけたくないし嫌われたくもないので、私はこれからも「行動変革」を続けていくと思います。
おそらくわが国では、自分が精神的に自立しているのか否かよくわからない… という人たちが、ボリュームゾーンを形成しているのだと思います。自分にも少し怪しいところがあるな、と思う人は、自分の行動を少し変えることを意識してみると、意外と新しい景色が見えてくるかもしれません。
精神的に自立しない人が頻繁に示す行動があります。自己防衛行動と自己充足行動です。「自己防衛行動や自己充足行動の頻発→精神的に自立していないことがわかる」という因果関係があるのですが、これを裏返し先回りしてそれらの行動を我慢することを行動変革のテーマにすると、少なくても人に迷惑をかけたり人から嫌がられたりすることが減っていくと思うのでお薦めです。
自分は絶対に精神的に自立しているから必要ない!
と思われる方…、この章は飛ばしてください。すみません。その他の方は、参考までに… で結構ですので、目を通してみてください。多少はお役に立つと思います。
4-2 自己防衛行動を制御する
精神的に自立しない人は、強い自己執着を抱えています。「自分はこうあるべき」という囚われです。自己執着が強まれば強まるほど、理想の自分へのこだわりが強くなり、理想の自分を演じるようになります。
そうなってしまった人は、何よりも、理想の自分に至らない現実の自分がばれてしまうことを恐れます。そして、他者と同じ土俵に乗ることや他者との交流を避けるようになります。理想像を演じる自分を守るために、他者を自分に近づけないことを目的とする行動を見せます。これが自己防衛行動です。
採用アセスメントの内製化を支援するお客様にお渡しする社内アセッサー養成テキストに、自己防衛行動に関する説明が記されていますので、抜粋します。
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精神的に自立しない人が頻繁に見せる行動 <その1>
自己防衛行動
自分を強く大きく見せたいという欲望ばかりが膨らむと、自分の現実を人から覗かれて弱みが露呈することを恐れる防衛的な意識も生じます。そして、人を遠ざけるための行動を選択するようになります。それが自己防衛行動です。
高圧的で感情的な物言いや、虚勢に満ちた偉そうな態度が目立つ人がいます。一方、人が攻めてこないように過剰な愛想笑いや執拗な相槌や慇懃で不自然な所作をまとい、善良で穏当な自分を演じようとする人もいます。
どちらも自分の尊厳が脅かされることへの不安や恐怖に怯える人の行動であり、行動の強さは違っても「他者の排除」という本質は変わりません。自分の心を落ち着かせることだけを目的に自己防衛行動に没頭しているその人には、相手や周囲がまったく見えていません。
その結果、無神経で無配慮な行動が連発され、多くの人が感情を害して組織のバランスが崩れることになります。パワハラやいじめなどの重大な問題行動は、その延長線上にあります。
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自己防衛行動は、時に攻撃性や圧力や卑屈さを伴い、周囲の人に違和感や嫌悪感を抱かせることがあります。その強さが増すと、「嫌な奴」に見られる可能性も高まり、自己制御をもってできる限り封印したい行動群です。
そうは言っても、誰にでも承認欲求や自己顕示欲はあり、程度の差こそあれ人からの見られ方が気になります。そして自分の心を守ろうとすることもあるでしょう。誰もが、自己防衛行動に無縁なわけではありません。自己防衛行動の中には、協調や協働の意識を映す行動との区別が難しいものもあります。例えば後述の「愛想笑い」などは、まったく無くしてしまうとそれはそれで別の問題が生まれます。そのレベルにある自己防衛行動は、潤滑な人間関係を維持するためにも許容されなくてはいけないのかもしません。
「自己防衛行動はいけないもの!」と頑なに決めつけると、それを制御しようとする自分の心が苦しくなってしまいます。「自己防衛行動への注力が強まり過ぎると、それ以外のことに意識が向かなくなり、本来自己投入しなくてはいけない重要なことが疎かになる」「だから、なるべく制御しよう」という合理的な理論を頭に置いておくことで、無理なく自然体に近づいていくことができるのでしょう。
ここまで言い忘れていましたが、精神的に自立している人は、常に自然体を保てます。現実の自分を受け入れている人は、「理想の自分」を演じる必要がありません。力まず格好つけず、無理と無駄の無い行動選択を重ねるので、必然的に自然体が貫かれます。
アセスメントで、「思考力(概念化能力)が高い」「マネジメント能力が認められる」と診断される人は、概ね自然体です。自分自身に足りないところだからかもしれませんが、私の目には自然体の人がとても格好良く映ります。自然体こそ組織で仕事をする人の目指すところだと、頑張って日々自然体を目指している私は、心から思っています。
精神的に自立していない人が頻繁に見せる行動を知ることで、その行動に走りそうになる自分を制御できるようになれば、自分の行動の質が高まります。今の精神的自立の度合いがどの程度であっても、自分の行動を制御し、行動を変えていくことによって、より成熟した自分を示すことができます。どの行動変革も自然体というゴールに向かいます。
❖ 自己防衛行動を制御する7つのヒント
1.無理の無い範囲で開放的な表情を維持しましょう
自己防衛行動を選択する人は、他人を遠ざけることを目的としていますが、他人を遠ざけたければ誰とも関わらなければいいので、「人を受け入れない」ことが最も合理的(?)です。
「何だか話しかけにくいなぁ」と感じる人っていますよね。そのような人のほとんどは、「自分に近づくな」「声をかけるな」という心の声が、伏し目がちの拒絶的な表情に投影されています。「硬い表情」「閉じた表情」「人を寄せ付けない雰囲気」「ちょっと怖い」… など、受け取る側によって表現は分かれますが、いずれにしても周囲にあまり良くない印象を与えてしまうのは確かです。
このような表情を作ることは自己防衛の第一歩であり、その後に更なる自己防衛行動が重ねられてしまうことも少なくありません。外部からの情報をカットしてしまうと、思考(概念化)の活性化を妨げることにもなりやすく、マネジメント領域で動こうとする人には不利になります。
「人が少し苦手」「緊張しいなので」… などの事情を抱える方もいらっしゃると思いますが、人を排除して得なことはありません。無理の無い範囲で少しだけ視線を上げると、周囲に与える影響が変わります。その結果、入手できる情報が増え、思考の活性化に繋がるかもしれません。無理に表情を作ろうとしなくても、「新しい情報をもらわなければ損だ」という意識を少しでも強めることで、表情だけでなく行動全体の開放感が増すのではないでしょうか。
2.前置きや言い訳を、徹底的に我慢しましょう
優秀な人であるほど、発信に無理や無駄が無く、余計な言葉を挟みません。利他の意識を高めて「自分の伝えたいことを相手に正しく伝える」ことを目指す人の中では、自分の立場を守るための前置きや言い訳が優先されにくいので、話がシンプルでわかりやすくなります。
たびたびの私事で恐縮ですが、私はいつもこの部分で戦っています。講義や講演で、どうしても「個人的には」とか「あくまで私見ですが」などと言いたくなってしまうのです。定説や一般論として根付いていないことを述べる時、「言質を取られるのは嫌だな」という恐怖が頭をよぎるのでしょう。確かに時と場合によってはリスクヘッジとして一言置いておいた方が良い場合もあるのでしょうが、後であらためて振り返ってみると「言わなくてもよかった」「言わない方が良かった」と思えるものがほとんどです。
前置きや言い訳は、話の頭にも終わりにも添えることができ、その分、話が長くなって聞き辛くなります。「私は責任を取りたくないから突っ込んでこないでね」というニュアンスが聞き手に伝わるに至ると、そこに違和感や嫌悪感が発生します。不安や恐怖に負けて一言付け加えるごとに、想定以上の代償を払うことになるかもしれません。
私も最近では随分我慢できるようになってきたと思うのですが、まだまだ勝ち切れているとは言えません。この本の中で言い訳がましい表現があったら、「まだまだだね」と笑ってください。
3.相手が話し終わるのを待って、一拍置いてから話始めましょう
精神的に自立しきれない人ほど、会話の「間」に対して強い恐怖を感じます。「会話の中に余白が生まれると、いろいろと突っ込まれてしまうかも」「そうしたら自分の弱みがばれるかも」という心の動きはよく理解できますし、私も他人事ではありません。自分の現実を覗かれたくない人は、他者の侵入を許す要素を徹底的に潰そうとします。だから当然のように会話の間も潰そうとします。
潰し方は2つあります。1つは、「話し手が自分の話を締め終えるか終えないかのタイミングで食い気味に起動する」というやり方。最近「食い気味」という言葉を若いアセッサーたちがよく使うのを聞いて「上手な表現やなあ…昔は無かったなぁ」と感心し、私も使うようになりました。人の言葉を食い取るようにさえぎって、自分の時間にしてしまう… まさにその通りの行動で、相手にも周囲にもネガティブな印象を与えることは避けられません。
そしてもう1つは、だらだらとしゃべり続けることです。心の弱い人が最も安心できるのは、自分がしゃべっている時です。原則的には誰からも攻撃されないからです。話し終えた瞬間から自分が攻撃の対象になり得ることを分かっているので、そのタイミングの先送りを図るのでしょう。
「食い気味に起動し、だらだらしゃべる」これが精神的に自立しない人によく見られる発信スタイルです。他者の話の内容が入ってこないので自分の保有情報を拡充することがかなわず、生産性の低い無駄な時間を使うことになり、そして人からは嫌われて、まったくいいことがありません。
この行動を制御するのは意外と簡単です。「相手が話し終えてから自分が話し始めるまでに3秒待つ」という3秒ルールを自分の中に叩き込むことです。言われたらすぐに言い返すテンポの良い会話に多くの人が憧れる傾向がありますが、会話の中での起動のタイミングは、「知識を求められたらすぐに、思考を求められたらゆっくり」が原則です。知識だけで言葉を返せるような定型的な場面で自己防衛の意識を高める人は少ないので、「会話の間を怖がり、間を潰す」という行動は、本来思考が必要な場面で出現していることが多いと思われます。
最初は少し不安かもしれませんが、しばらくすると「3秒待っても別に怖いことは起きないな」と気づくことができます。そうなったらほぼその人の中で問題は解決されており、話をだらだらと引き延ばす必要も無くなってきます。1つの情報に反応して動く習慣を断ち切るためにも、ぜひ3秒ルールを徹底して欲しいと思います。
4.愛想笑いは控えめに
テキストの抜粋にあったように、「人が攻めてこないように善良で穏当な自分を演じる」という自己防衛行動があります。その代表例が「過剰な愛想笑い」です。わざわざ「過剰な」と付け加えたのは、世の中から愛想笑いが無くなったら大変なことになるから… です。「可笑しい時以外は笑うな!」という昭和の正論もあるのでしょうが、潤滑油を失った対人場面や集団場面は決して快適なものではありません。笑顔の多い会社の方が楽しいに決まっていますし、きっと生産性も高まるのだと思います。
愛想笑いに対して私が擁護的なスタンスを取ってしまうのにはわけがあります。採用アセスメントの内製化支援を始めた15年ほど前、社内アセッサー養成講座の生徒さんの間で「精神的に自立した人は、いたずらに愛想笑いをしない」という公式が少し突出してしまったことがあります。「笑う」という行動はわかりやすいので、その公式への依存を深める生徒さんが散見されたのです。グループ討議で調整的に笑った人を見つけるやいなや「自己防衛行動」とみなしてしまう空気が醸成されるのを感じ、私は強い危機感を抱きました。
「精神的に自立した人は、無駄な愛想笑いに走る必要が無い」という理屈に間違いはありませんが、「精神的に自立した人は笑わない」とか「優秀な人は不愛想」などという歪な因果関係が社内アセッサーの中に落とし込まれてしまったら、うちのお客様が暗い社員で溢れてしまいます。その後は、「笑う」という行動の抽出が論理誤差を産まないよう、アセッサー教育の中で微妙なバランス感覚の重要性を丁寧に伝えてきたつもりです。
繊細な問題であり、私の中では永遠のテーマなので、つい長くなってしまいました。愛想笑いの質は、その人の心持ちによって変わります。そこに少しでもサービス精神が介在すればそれは許される愛想笑いであり、「嫌われたくない」「良く思われたい」という自己欲求のみから生まれたものであれば、それは不健全な愛想笑いです。後者は間違いなく見る人に違和感や嫌悪感を与えます。やはり愛想笑いは適度に制御しておくのが無難なのかもしれません。
5.頷きや相槌も控えめに
他者に媚を売るタイプの自己防衛行動の中で、アセスメントの現場において愛想笑いと同じくらい頻発していると思われるのが、「発言者を置き去りにした頷きや相槌」です。この件については、これまでもあちこちで発信してきたので、「またか」と思われるかもしれません。私がこの行動に対する抵抗感が強いから、何度も書いてしまうのだと思います。「愛想笑い」の場合と違って、まったく擁護する気になれません。
頷きや相槌が自己目的化されてしまい、発信された内容にまったく向き合うことなく無機的に首を振ったり声を出したりする様子はかなり滑稽です。アセスメントの現場でどこからか「ウーン ウーン」という声が絶えず流れていて、「蚊?」と思ったこともありました。
でも、やっている本人は相手や周囲の視線をまったく気にしません。そもそも他者から良く思われることを目指すことで出現する自己防衛行動なのに、一度定型的な行動を選択してしまうとその後は他者の視線が気にならなくなるというのは、考えてみれば奇妙な話ですよね。「他者との接点を避けて自分の殻に籠ると、相手や周囲がまったく見えなくなる」という自己防衛行動の本質を見事に示しているのだと思います。
これも何度も書いたような気がしますが、自分が話している相手が「頷きや相槌の漏れなき励行」だけに夢中になっているのを感じると、私はその場で話を止めたくなります。止めたことはありませんが。
自分の承認欲求が強いから…? と自分の大人げなさを反省したりもしますが、でも、自分が一生懸命伝えようとして話している熱量に最低限見合う熱量を、あなたも投入してくださいよ… という気持ちがどうしても強くなってしまいます。
「漏れなく頷かなきゃ」「大きな声で相槌を打たなくちゃ」「そうしないと嫌われる」とばかりに必死になって目的遂行に取り組む人に、話の内容をキャッチするパワーは残っていません。その人に悪気は無いわけですが、それでもその行動は確実に相手を失望させ、時に相手の怒りを買います。そんな悲しい対人場面が生まれないよう、相手が話している時に自分勝手な目的を持ち込まないよう強く自己制御する意識が、すべての人に求められるべきだと思います。
6.そんなに馬鹿丁寧にならなくても、多分失礼にはなりません
新卒採用アセスメントの現場では、大学生たちの「過剰に丁寧さを表現する行動」が目立ちます。堅苦し過ぎる挨拶、「ありがとうございます」の連発、そして過剰敬語。でも採用されることを望む彼ら彼女たちが、「志望企業の人たちに良く思われたい」という気持ちを強めて自己防衛的な行動に走るのは、考えてみれば当たり前のことです。しなやかさに欠け、時に痛々しさを感じさせる行動を目にしたアセッサーが、それを即座に咎めることはありません。
社会で求められているものがよくわからなくて不安だから、就活指導で教えられたことを精一杯持ち込むのでしょうし、あまり敬語を使ったことが無くて不安だから、過剰敬語になるのでしょう。
グループ討議が進んでいくと、多くの学生の行動から徐々に堅苦しさが抜けていきます。型にはめたような所作が無くなり、変な敬語も少しずつ減っていきます。50分という時間を過ごす中で「周囲の自然な人」と自分の行動とを照らし合わせることで、「ああ、こんな行動必要ないのね」と悟るのでしょう。
「その場に慣れ、周囲を知って、自分の行動を調整する」ということなのですが、このプロセスは人が成長していく上で非常に重要です。学生の中には、時間が経過して他のメンバーとの接点が増えていっても、型に強く依存した行動を何の制御も見せずに最後まで繰り返す人もいます。そんな学生に対しては、アセッサーから厳し目の評価が下されます。自己防衛の意識を見せることが問題なのではなく、自己防衛の意識に支配されて自分の殻の中に籠ってしまい、周囲を感じ周囲を知ることができなくなってしまうことが問題なのです。
新卒採用の応募者や新入社員でなくても、行動や発信が過剰に丁寧で周囲から「慇懃無礼!」と評されてしまう人も少なくありません。強い自己執着や形式に縛られる自分の方針ばかりが優先されて、自分に向き合ってくれるパワーが足りないから、相手は「無礼」と感じます。世間にも今の環境にもすっかり慣れていて、知らないことがあったり何かに脅威を感じたりしているわけでもないのにそうなってしまうのは、何らかの理由で自分が抱える常態的な不安に向き合い過ぎて、周囲のことが見えなくなり、自分の突出に気が付かなくなっている可能性があります。
「そうなってしまっているかも…」と少しでも不安がよぎる方には、まず、自分がそれまで頼ってきた対人の型を捨ててしまうことをお薦めします。過去にどこかのタイミングで頼った型を捨てるチャンスが無かっただけなので、捨てようと強く思えば捨てられるはずです。型を捨ててしまうと、相手と向き合って一生懸命情報を処理しなくてはいけなくなるので、思考(概念化)も活性化され、好感度も高まり、好循環に入っていけます。その自己変革に挑んだ方を数多く知っていますが、どの方も、憑き物が落ちたような表情になりました。
「丁寧に見せる型」を全部捨ててしまっても、多分何の問題も起きません。教科書どおりの敬語にこだわらなくても、「ですます調」をしっかりと維持すれば、そんなに失礼になることはありません。相手に対して誠実に向き合う意識を高めることで、本物の丁寧さが担保されます。
7.あまり声を張らず、静かに話しましょう
自己防衛行動は他者との接近を避けることを目的としますが、そのやり方は2つに大別できます。1つは前述の愛想笑いや相槌・頷きに代表されるような「私はあなたに害を与えないから攻撃しないでね」と心で訴える迎合的な働きかけ、そしてもう1つは、圧力をかけて他者が寄ってこないようにするシンプルな他者排除です。
今の時代に、組織の中で後者のような自己防衛行動を派手にやらかす人をあまり見ることはありません。他者に対して攻撃性や支配性を示すことに厳しい目が注がれる昨今、露骨に強い自己防衛行動を晒すことを避けなければいけない文化が出来上がっているようです。ただ、自己執着が強くなればなるほど、自分の心を守ることへの注力は高まり、その人の内面では強い自己防衛行動を打ち出して他者に圧力をかけたい欲望が強まります。
そんな人がまず見せるのが、「声を張る」という示威行動です。地声が大きい人もいるので、少し見極めが難しい自己防衛行動ではあります。でも私ぐらいの世代の人は、「公共の場所では大きな声を出してはいけない」と躾けられてきました。基本的に社会生活の中での発声には一定の制御がかけられているはずで、地声の大きい人であっても必要が無ければそんなに大きな声を出すことはないでしょう。アセスメントの現場で、「声がでかいな」と感じる人は、ほぼほぼ声を張っています。そしてその多くが、「畳みかけるように話す」「他者の話が終わらないうちに食い気味に話し出す」というような更なる自己防衛行動に発展していきます。
「静かに話す」という行動は、「小さい声で話す」ということではありません。必要以上に昂ったり、声を裏返したり、相手に圧力をかけることを狙ったりせず、「相手にわかりやすく伝える」ことを第一義に考えて穏やかに言葉を紡ぐことです。それをいつも頭に置いていると、不思議に心が落ち着いて、声で圧をかける自己防衛行動に走る必要が無くなってきます。ぜひ試してみてください。
【第11回】へつづく