なぜマネジメントがうまくいかないのか【第9回】    ~その習慣を断ち切れば、マネジメントが動き出す~


ワークスタンダード


「精神的に自立しない→思考(概念化)できない」が成立するのは前述のとおりなのですが、「思考(概念化)できない→精神的に自立しない」とは言い切れません。対象に向き合い切れず情報を概念化できない理由は、他にもあるからです。


「私、自己執着は薄いと思う! 対象に向き合う集中力を妨げる原因が心の中に見当たらない! 言ってみれば、心は至って静かです。でも、対象には向き合いたくない。概念化などしたくない」


そんな人も一定数存在します。そのような人の心の中では、何が起こっているのでしょうか。いいえ、特に何も起こっていません。その人が対象に向き合って思考(概念化)のプロセスに進みたくない理由はただひとつ。しんどいからです。


「概念化という情報処理に進もうとする人が少ないのはなぜ?

それはしんどいからですよ。みんなしんどいことはしたくないからですよ」


そうは言いましたが、「しんどいからしない」というのはあんまりですよね。でも、「しんどいことはしない」「無理はしたくない」という理由だけで取り組みのハードルを下げてしまう人は、実はそれほど珍しくありません。


任意の場面で自分自身が設定する目標設定ハードルの高さのことを「ワークスタンダード」といいます。高い人は、「仕事に自分の持てるだけのエネルギーを注ぎ込んで、今の自分ができる最高のアウトプットを出したい」と願います。自分の仕事の質へのこだわりが極めて高く、良い意味での職人気質の持ち主であると言えるでしょう。


一方、低い人は、「ほどほどの注力に抑えて、必要最低限をこなせばいい」と考えます。その根底には、「たかが仕事ごときにエネルギーをたくさん使いたくない!」という「仕事観」もあるのでしょう。自分の仕事の質には興味を持たないので、仕事は概ね雑になりやすく、どうしてもミスが多くなります。「見直しをしない」も、ワークスタンダードの低い人によく見られる行動特性です。


ワークスタンダードの高い人は、「やれと言われたこと」以外にも自分のできることを探して自分の質的生産性を高めようとします。一方、低い人は「やれと言われたこと」だけしかやろうとしません。せめて「やれと言われたこと」だけでもきちんとやってくれればいいのですが、ワークスタンダードが著しく低下すると、前述のように品質管理へのこだわりを持たなくなるので、結果として「やれと言われたこと」の生産性も低くなるのが普通です。


そんな人が、自分の心身に大きな負担をかける概念化に、敢えて臨もうとするはずがありません。


と、いうわけで、思考(概念化)に深く関与するもう1つの心の問題として、「ワークスタンダード」が挙げられます。ワークスタンダードも「ゼロかイチか」ではないので、「ワークスタンダードが低くなればなるほど、思考(概念化)できなくなる」という言い方が適切だと思います。


ワークスタンダードは、心の問題と言ってもその人の価値観に基づくものなので、「できなくなる」というより「しなくなる」と言った方がよいかもしれません。価値観ゆえ変容の可能性が高くないので、周囲もその人の現実を冷静に捉えておく必要があるでしょう。


アセスメントの現場でも、クールでさわやかな表情を崩さない、そして熱量を凝縮的に高める場面を一切見せない、「ワークスタンダードの低い人」が年々増えています。もちろん情報を個々に捌いていく処理を得意とし、概念化に向かう気配など微塵も見せません。楽しそうに時を過ごし、終わると疲れも見せずに颯爽と去っていきます。「もはやこれは社会問題だな」と思ってしまいます。


利他性について


さて、ワークスタンダードについて述べる時には、必ず一緒に扱わなくてはならない能力要件があります。それは、「利他性」です。「自分の利益よりも他者の利益を優先し、他者のために動こうとする心の傾向」のことで、自己中心性の対局に置かれる概念です。また少し本題から逸れてしまいますが、大切なことなので触れておきます。


程度の差こそあれ、誰にも自己愛はあり、誰しも基本的には自分が一番可愛いはずです。しかし、人が子供から大人になる過程において、他者の立場に立って物事を考え行動できるような心の成熟が見られるようにもなります。人は、この相反する世界に折り合いをつけて生きていかなくてはならないのですが、このバランスが仕事力を大きく左右します。


誰もが、できるものなら、自分の興味や関心のままにやりたいことをやりたいわけですが、仕事の場ではそうはいきません。労働の対価としてお金をいただく以上、私利私欲を制御し、組織が自分に求めるものを理解して、そこに力を注ぎこむことが組織人の責務であるはずです。


本能的には自分の興味や関心のままに動きたいところを懸命に制御して、他者の利害や心情に心を寄せることができる人には、心の奥底に人への興味があります。自分の殻に籠らず、いつも心の窓を開けておいて、そこからいつも外界との交流を図ろうとするのです。それができる人は、前述の自由な心の持ち主なのでしょう。自分の目的があり、伝えたいことがあり、感情に揺れがある時でも他者との心の交流を断たない人…、それが利他性の持ち主です。


一方、常に自分の目的だけが頭の中を占めてしまい、他者の存在に一切心を寄せられない人がいます。


「人の心が大人になる過程において利他的な成熟が見られるようになる」と先ほど書きました。物心がついたばかりの頃には、「世の中が自分を中心に回っている」「自分の周りにあるものは全部自分のもの」「周囲はすべて自分に属する」と信じて疑わなかった子が、親との距離感の変化や関係者の増加によって、少しずつ「すべて自分の思うようにいくわけではないのだな…」と悟っていきます。そして歳を取って経験を積むにつれて、他者の都合や心情に対する理解が、自分の頭の中の一定部分を占めるようになります。これが、心が成熟していくプロセスです。


ところが、このプロセスをうまく踏めなかった人や、どこかの時点で退行したのではと思われるような人が、少なからず存在します。そのような人は、いい歳をして溢れんばかりの自己愛に支配され、自己目的だけを抱いて動き、そこに制御がかかりません。自分のことに精一杯で、他者に興味を抱く余地が無いのです。


他者に興味が無い人は、役割、ミッション、前提、規則など、他者が定めたもの一切に興味を持ちません。その結果、成果意識や規律性などが低くなりがちで、組織の中でバランスの悪い動きを見せることが多くなります。採用アセスメントを受ける大学生の中で、このような人が毎年増え続けています。とても心配です。


ところで、HRM(人的資源管理)の現場では、この利他性が思考力(概念化能力)と相対する概念であると見做されがちです。「思考力(概念化能力)は高いけど、利他性は今一つだね」と言うように、それぞれが「知」と「情」の象徴のように扱われることが多いのではないでしょうか。


しかし私たちは、「利他性は思考力(概念化能力)の一部である」という考え方を提唱しています。思考(概念化)プロセスは、「対象に向き合う」ことから始まりますが、利他性が活性化するプロセスも同様です。他者が発信する情報にしっかり向き合わないと、他者に寄り添う気持ちが成就しません。「静かな心で対象に向き合う」という第一歩を踏み出せなければ、利他性が生産的に発動することは無いのです。


「思考力(概念化能力)が高い」とアセスメントされた人は、必然的に利他性も高いということになります。「思考力(概念化能力)は高いけれど利他性は低い」という人は理論的にあり得ません。その場合は、どちらかが間違っているのだと思います。思考力(概念化能力)と利他性を稼働させるエンジンの在り場所は共通なのです。


利他性とワークスタンダードの因果関係


さて、その利他性がワークスタンダードと一緒に扱われなくてはいけないのはなぜなのでしょうか? 


ワークスタンダードは、その人が投入できる熱量と大きな関係があります。ワークスタンダードの高い人ほど、然るべき時に、凝縮的に熱量を高め、成果の獲得までその熱量を維持することができるのです。自分の心身に負担をかけることを厭わずエネルギーを投入できるか、あるいは、いかなる場面でもできる限り出力を抑えて淡々とした取り組みを維持するのか… その違いが、その人のワークスタンダードに直結します。


凝縮的に熱量を高め、その熱量を維持することができる人は、何をモチベーションにして自分に負担をかける取り組みに敢えて舵を切るのでしょうか。それは多分、他者に対する責任感だと思います。人は、他者から課せられたものを背負って動く時に責任感や持続性が宿り、取り組みが粘り強くなって集中力も高い水準で維持されるのです。他者への責任を背負ってさえいなければ、自分が嫌になったら止めてしまっても、誰にも迷惑をかけないのですから。


利他性に優れる人は、他者に対する責任をしっかりと背負うので、自己投入する熱量を高位に維持することができますが、常に利己的な目的で動こうとする人は、自分の興味や関心が薄れてくると、低下するテンションを押し留めるものを持ちません。その結果、取り組みは持続性を欠き、フェードアウトも日常茶飯事となります。


利他性に欠ける人、すなわち自己中心的な人が頻繁に示す行動を、私たちは自己充足行動と称しています。詳しくは「第4章《特別付録》」で説明しますが、「自己満足を満たすことを目的とする行動」という意味です。これらの行動は他者への責任を背負っていないので、いつも「気楽に」「緩く」「軽く」産み出されます。安定した熱量が伴わないので、どれも生産性を高めることはありません。


アセスメントの現場でも、頭と心に汗をかいて精力的に課題に取り組む人は、必ず他者に対しての責任を背負っています。一方で、ほどほどの注力で済まそうとする人の行動からは、常に自己中心性が匂います。


自己充足行動の発生度合いを観察していれば、その人のワークスタンダードのレベルがよくわかります。日常の職場でも、利他性とワークスタンダードの因果関係は、いたるところで浮かび上がっているのだと思います。





この図は、私たちが採用選考や管理職選抜などを目的としてアセスメントを実施する際の評価基準です。第3章で記したことが、丸ごと整理されています。


「概念化という取り組みを選択せず1つの情報に反応して動いてしまう」という多くの人が選択する行動の根っこには、「精神的に自立しない」「ワークスタンダードが低い」という心の問題が潜んでいる可能性が高いのだということを、再確認していただければと思います。


【第10回】へつづく

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