なぜマネジメントがうまくいかないのか ⑬      【悪しき習慣からの脱却(その1)】




第5章 悪しき習慣からの脱却に向けた7つの処方箋


5-1 
課題形成を自分の中で義務付ければ、嫌でも思考(概念化)が動き出す


課長の仕事をしない課長

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最近、工場のラインが頻繁に止まります。ラインが停止すると、担当の社員がマニュアルに従って作業を行いますが、復旧までにそれほど時間がかかることはありません。時々製造課長が復旧作業を手伝ってくれることもありますが、その時は作業完了まで数秒しかかからないこともあり、「さすがだなぁ」と感心します。ラインの停止が大きな実害を生むことは無かったので、今のところ会社が状況の改善に向けて動く気配はありません。他のメンバーはこんな状況に慣れ始めているようです。でも、ラインがいつ止まるかわからない中で作業をするのは気持ちが落ち着かないし、精神的に少ししんどいこともあります。

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さて、この事例の中で、あなたは何が問題だと感じますか?


工場にラインの不調はつきものだし、停まっても担当者がすぐに直してくれるんだし、実害が無いと言うことなら特に問題ないんじゃないの? 頼りになる課長がいてくれて、問題解決のサポートをしてくれるんだから、いい職場じゃないですか。


こんな回答も「あり」でしょう。現実感が漂います。でも真面目に正解を求めると、やはりこう↓なるのではないでしょうか。

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ラインが正常でない状態にあるのに、それを放置するなんてとんでもない!

今まで実害が無かったと言って、これからもそうである保証はありません。そもそもラインが停まっている時の労務コストをどう考えるのでしょう。実際に「精神的にしんどい」と言っている社員がいるじゃないですか。ラインが停まるのは、機械の問題なのか使う側に問題があるのか、突然現れた異常なのか経年劣化なのか、何か他に構造的な問題があるのではないか… 早く原因を突き止めてライン停止がこれ以上発生しないようにすることが先決です。そしてその役割を担う製造課長が問題解決に向けて何も動こうとしていないこと、何が問題で今の状態に至っているのかを明らかにする気が無いこと、これが最も大きな問題なのではないでしょうか。マネジメント職にありながら、作業知識面での優位性だけに頼って課長面しているのもよろしくないですね。自分の本来の任務を忘れています!

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▸ 管理職(マネジメント職)は、作業領域に降りてきて上級実務者を気取っている場合ではありません。

▸ 管理職(マネジメント職)は、マネジメント領域に常駐し、未知の場面において自力での目標設定に汗をかくことが求められます。


第1章でマネジメント職の役割をこんな風に定めました。覚えていらっしゃるでしょうか。マニュアル通りに粛々と進められる復旧作業は作業領域の業務であり、実務者に任せるべき仕事です。そもそもそれは「当面の対処」であって「問題解決」ではありません。本当の問題解決を担当すべき製造課長が、そんな時にマネジメント領域に背を向け作業場で油を売っている限り、この工場のライン停止はいつまでも繰り返されることでしょう。


こんな時、マネジメント領域で動くことを厭わない真のマネジメント職であれば、ライン停止の頻発に気が付くと同時に問題解決に向かうと思います。まずは関わった人すべてから情報を集め、全社内でも同様な問題が起こっていないか情報を集め、機械・設備のメーカーからも情報を集め…、原因究明に向けた情報収集に全力を尽くすのではないでしょうか。


集めた情報から何かがわかるかどうかもわからない中で、途中で心が折れそうになることもあるでしょう。しかしながら、成果への道筋が見えない中でも、解決までどのくらいの時間がかかるかが不明であっても、その人は汗をかき続けるのだと思います。それが自分の仕事だからです。


マネジメント領域で動くべきマネジメント職は、目に見えている課題への対処を自分の本業と見做してはいけません。その対処に自分が動かなくてはいけない場面があったとしても、それはゴールではなく、あくまでも自分の仕事は目に見えていない(潜在する)問題の解決です。「未知の場面において自力で起動し自走する」のがマネジメント職の使命なのですから、見えないものにアプローチすることを避けては通れません。


課題形成


物事に潜んでいる本質的な問題へのアプローチを、私たちは課題形成と称しています。目に見えている事象に踊らされず、情報を集め自らの手で問題を創り出す、高度な取り組みをイメージしています。


冒頭の事例では、「マネジメント職である製造課長に課題形成への意識が見られないこと」が最大の問題です。マネジメント領域で動くこと、すなわち未知の場面での目標設定が任務のはずなのに、見えないものを見ようとする意思を持つことなく、目先の課題が第一線で何とか対処されていることに満足している…、明らかな職務怠慢です。


もしかしたら、会社の中で管理職(マネジメント職)の役割が共有されていないのかもしれません。もしそうであれば、自分に課題形成が求められているなど考える管理職がまったくいなくても不思議ではありませんよね。そんな会社では、一体誰が「問題解決」の労を取るのでしょうか。組織に蔓延る問題点に誰もが薄々気づいていながら、管理職や経営職がそれを問題として取り上げようとしない…そんな課題形成機能を持たない会社では、その問題が負の文化として深く根付いていくことになります。


ところでこの「課題形成」という言葉ですが、世間では一般的に「何を問題と見做すかを決めること」という意味で使われることが多いようです。簡単に言えば「問題の明確化」です。「問題解決プロセスのスタートを切るために…」という意識づけの意図はよくわかりますが、私たちはもう少し機能的なハードルを高めて、課題形成という概念の舞台をマネジメント領域に限定しました。見えている課題に対処するのは作業領域での話なので、私たちは、潜在する本質的な問題を明確化することこそが課題形成の価値だと考えています。


与えられた情報を概念化し、物事の全体像を把握した上で課題を浮かび上がらせないと、本質から遠く離れたものを取り上げてしまう可能性を拭えません。やはり課題形成という概念に関しては、思考プロセス(マネジメント領域における目標設定プロセス)を介することを、動かし難い前提として位置づけなければいけないと思うのです。


見えていない課題を自分で創り出すから課題形成なんだよね!

見えているものを引っ張ってくるだけなら「形成」じゃないよね!

私たちの心の声です。


第2章で紹介したアセスメントのインバスケット演習では、まさに課題形成が求められます。管理職や経営職の皆さんには、各案件をまたぐ情報を関連付けて、組織に潜む本質的問題を浮かび上がらせることが期待されているのですが、そんな課題形成を見せてくれる人はなかなか現れないのが現状です。


躊躇なく作業領域を選択し、頼まれたこと1つ1つに丁寧に対応して当面の手続きを指示する現役マネジメント職のインバスケットを拝見していると、我が国に課題形成の文化がまったく根付いていないことを思い知らされます。立派な会社で管理職を張っている方に、「できない」わけがありません。多分、今まで誰からも教えられず、会社からも求められず、その重要性がまったく認知されていないのだと思います。


私たちが言うところの課題形成の意義をもっともっと広く浸透させないと、我が国のマネジメントパワーは更にじり貧をたどるでしょう。もはや待ったなしです。


課題形成をフレームワークに


「1つの情報に反応せず、情報を集めなさい!」


仕事の質を高めるにはそれが必要だとわかっていても、いろいろなものに追われ縛られる実際の仕事場において、そのことを優先させるのは容易ではないと思います。その習慣が自分の中に沁み込んでいる人は、それこそ反応的にその取り組みを選択するわけですが、そうではない大半の人にとっては、任意の場でそれをやれと言われても、「どこで何をどうすればよいのか」を掴むことに苦労するのではないでしょうか。


慣れない、あるいは不得手な取り組みを実践の場で行動に落とし込むには、やはり何らかのフレームワークが欲しいところです。その取り組みに導いてくれる行動の型と言えばわかりやすいでしょうか。例えば、「見えている課題に対処するのではなく本質的問題を自分で探し出す」という型をいつも意識の真ん中に置いておくことで、未知の場面では思考プロセスを踏むことが避けられなくなります。


少し分かり辛いですね。何が言いたいかというと…


課題形成は、「1つの情報に反応せず情報を集める」という思考プロセスを自分の中で具現化させるためのフレームワークになります!「きっかけ」や「モチベーション」などと捉えていただいた方が、わかりやすいかもしれません。「課題形成に向かうには、目に見えている事象に踊らされてはいけない!」と本気で自分に言い聞かせていれば、目に見えている1つの情報に飛びつきたいという欲望は、おそらく制御されるでしょう。「自らの手で問題を創り出したい」と願っていれば、今ある情報をできる限り集めようとするはずです。


前述のように、思考(概念化)できなくてしない人ばかりではありません。「やれと言われていないから」「必要に迫られていないから」「どこで思考(概念化)すればよいのかわからなかったから」などの理由で、思考(概念化)プロセスのスタート地点に立ってこなかった人も多いのだと思います。そんな人たちにも、課題形成というフレームワークを手にすることで、思考(概念化)のステージに立つ必然性が生まれます。


もちろん課題形成は、マネジメント職に就く人だけでなく、仕事をする人すべてが目指すべきところであり、その概念と仲良くなればなるほど、その人の仕事の質が高まっていきます。


「自分で問題を創って自分で仕事を増やすなんてとんでもない!」


そう憤る方以外は、ぜひ騙されたと思って「課題形成」の4文字を心に刻み込んでみてください。もしかしたら、マネジメント領域が今より少し楽しい場所になるかもしれません。


5-2 
利他の意識を強めることでも、思考(概念化)プロセスは動き出す


「人に迷惑をかけるな」とあまり言われてこなかった方々へ


ファミレスで子供たちが大声で騒いでいるのに、親はまったく知らん顔でスマホに夢中…。今時そんな光景に目くじらを立てる人はいないのかもしれませんね。


いつ頃からなのか分かりませんが、子供に対する親の制御不全が目立っています。知り合いの小学校教師や学童保育の指導員は、皆さん異口同音に、「家で叱られていないと思われる子供が多い」「制御されるのを極端に嫌って、自分のやりたいようにしかやりたがらない子供が増えた」と話してくださいます。


私たちの世代は、親から「とにかく、人様に迷惑をかけることだけはするな」と言われ続けてきました。当時は情報ソースも限られており、親たちの間で「子供の教育に大切なこと」が共有されるしくみがあったわけではないと思います。それでも、ほとんどの親が、「人に迷惑をかけるな」を基本軸として子供をしつけていました。今から思うと何だか不思議な感じがします。


親から言われ続けたことは、どんな人でも頭には残っています。そして、その情報を呼び起こして自分の行動に制御をかける余地くらいは、自分の中に残してはいるはずです。でも万が一、ある時期以降にそのような情報が親から発信されにくくなっていたとしたら、今の世の中には、「人に迷惑をかけてはいけない」という原理原則へのなじみが薄い人が、少なからず存在するということになります。


時代がどう変わろうが、親からの教えにどんな変化があろうが、人に迷惑をかけることが正当化される時代になったわけではありません。「人は他人に迷惑をかけるために生まれてきたのだから」などという論調を最近よく目にしますが、それは、他人に迷惑をかけることを恐れ過ぎている人に向けられた「お互い支え合えばいいんだよ」というメッセージであり、自己中心的な人の逃げ場にはなりません。


今まで他者からあまり制御されてこなかったことで、自分の中に「人に迷惑をかけてはいけない」という文化をあまり持つことなく今に至った人は、「人に迷惑をかけないことを最優先する」という新常識を自分の中に確立することが優先されるべきです。それが必ず自分のためになります。


第4章の「自己充足行動を制御する7つのヒント」で、人に迷惑をかけないための自己制御について詳しく書きました。どれも、自己都合で1つの方向に向かう自分にストップをかけて、他者の領域に広く意識を向けていくことを求めています。その気にさえなれば比較的自己制御しやすいことばかりを集めましたので、自分の利他性を少しでも怪しいと思われる方は、ぜひ何度も読み返して常識のハードルを持ち上げていただきたいと思います。


「人に迷惑をかけないように配慮する」もフレームワークになります


さて、「自らの動きを止めて他者に迷惑がかかっていないかを考える」という取り組みは、1つの情報に反応する習慣からの脱却に向けたフレームワークになります。前述の課題形成と同じです。


もし、「これからは、もう少し他人の利害や心情に寄り添って生きていこう」と本気で考えた人がいたとします。その思いを実践するためには、それまでのように自分の欲望に任せた1つの方向性の上で気持ちよく動くことを制御し、「自分がそう動くことによって他人はどうなるのか」という別の方向のテーマに意識を寄せていかなくてはなりません。そしてその結果として、頭の中の情報が増え、思考(概念化)プロセスが動くことになります。


結局は思考(概念化)プロセスを発動させるわけだから、フレームワークが合っても無くても同じじゃないですか… という反論はあって然るべきだと思いますが、私はそうでもないと思っています。


人は、自分がその時に強い関心を持っていることについては、力強く目標設定に動くことができます。優先順位を高めることもできます。漫然と、「1つの情報に反応してはいけない」「情報を集めて思考(概念化)プロセスに進まなくてはいけない」と自分に言い聞かせるより、実務や生活に直結した生臭いテーマを掲げて自分を追い詰めていく方が、実効性はかなり高まるのではないでしょうか。


マネジメントに悩む人が、常に課題形成にこだわる。


これまでの自己中心的な自分を省みて、利他性にこだわる。


そこからスタートしても、思考(概念化)の壁にぶち当たるのは避けられませんが、それらのテーマが強い気持ちで設定されていればいるほど、その壁を超えるパワーが湧いてくるのだと思います。


第3章で述べたように、利他性は思考力(概念化能力)の一部です。「対象に向き合って情報を集める」ことに集中できなければ、「他者に寄り添って他者のために動く」というプロセスに進むことはできません。そして、情報の統合を進めて相手の正体(何を考え何を求めているか)を掴めなければ、自分が相手に何を言い、何をしてあげればよいのかを、定めることができません。


繰り返しになりますが、利他性と思考力(概念化能力)は、「情」と「知」を象徴する概念として相対するわけではありません。他者の迷惑にお構いなしの自己中心的な人は、知的能力を疑われても仕方が無いのです。「あの人、頭はいいんだけど自己中なんだよね」という評価はあり得ません。「あの人は自己中なんだよね。頭悪いんだね」となります。


そのあたりがもう少し周知され、前述のフレームワークを携える人がもっと増えることを、心から願っています。


                                              > ⑭ へ続く

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