なぜマネジメントがうまくいかないのか【第7回】    ~その習慣を断ち切れば、マネジメントが動き出す~

第3章  なぜ1つの情報に反応するのか


3-1 概念化能力


私が「概念化能力」と出会った日


創業後数カ月が経った頃だったでしょうか。ある土曜日の午後、私は、商工会議所主催の経営者向けセミナーに参加しました。それまでそういうところに出向く機会はあまりなかったのですが、お世話になっていた商工会議所の方が誘ってくださったので、何も考えず何も期待せず、ホワンとした心持ちで申し込んだのを覚えています。


そのセミナーのタイトルは「概念化能力を鍛えましょう!」でした。ちょっとしたワークショップと講義が繰り返される受講者参加型のシンプルな形態でしたが、講師を務められた女性コンサルタントの熱意が伝わる質の高いセミナーだったと思います。


参加者の皆さんはそれぞれに満足して帰途につかれたと思われ、同行した従業員たちも初めてのビジネスセミナーをそれなりに楽しんだようでした。しかしそんな中で、私は何とも言えぬ重たい感情を携えて会場を後にし、帰り道でも家に帰ってからも、「概念化能力」という怪物のような概念に押しつぶされそうになっていました。


ずっと昔から追い求めていたものにいきなり出会ってしまったような感覚…と言ったら大げさでしょうか。若いころから、対人場面で、そして仕事上の大事な場面で、「こうあるべきではないのか?」「なぜそうしてくれないのか?」という思いにずっと沸々としてきた私に対して、いきなり正解が与えられたような感覚でした。でも、それをただ喜ぶというよりも、「そんな大事なことに、なぜ39歳の今に至るまで向き合う機会が無かったのだろう」という苛立ちの方が強かったのかもしれません。


それまでにも、概念化能力という言葉に触れたことはありました。人事コンサルティングの会社にいた時には、「カッツ曲線」などというフレームワークを見せられ、その中には確かにコンセプチャルスキル(概念化能力)という文言が、ヒューマンスキルやテクニカルスキルと並べて記されていました。


しかしあのセミナーで私が向き合った概念化能力は、ヒューマンスキルなどと並べて語られるような部分的な概念ではなく、ヒューマンスキルをも含めたすべてのマネジメント能力を包括する、それこそ集約的なものだったのです。


あのセミナーが実施された27年前、「概念化能力」の意味を正しく理解している人はどのくらいいたのでしょうか。


あの日に「私は、これから生涯にわたって概念化能力の本質を伝え続けることにしよう!」などという大層なことを考えたわけではありません。でも、あの日以来、私が概念化能力というテーマの上で動き続けていることは確かです。その思いが募って、2010年には社名まで変えてしまいました。


そして今、世の中における概念化能力という概念の認知度は、あの頃と大して変わっていません。「概念化能力」と検索すると1ページ目に当社の社名が出てきてしまうくらい、その言葉の浸透度は低いのだと思います。概念化能力をテーマにしたセミナーも、あの日以来目にしたことはありません。概念化能力を備える人材が、低迷する今の日本に強く求められていることは間違いなく、学校教育やHRM(人的資源管理)の世界で概念化能力に対する価値認識が劇的に高まる必要があることも間違いないのですが…


そもそも、あのセミナーから四半世紀以上を経た今に至るまで、私が概念化能力についてしっかりと説明してこなかったことも大問題だと思います。事あるごとに「伝えなければ!」と意気込むのですが、一方で、「思い入れが極めて強い私がその部分だけへのこだわりを示すと、相手に引かれてしまうかも」のような遠慮があったのかもしれません。思えば、それほど集中してじっくりとそこに言及したことは無かったような気がします。その反省も込めて、今回は「これ以上は無理!」というところまで、じっくりと概念化能力について語っていきたいと思います。


情報を概念化するプロセスは、「1つの情報に反応する」という今流行りの行動とは真逆の場所に位置します。概念化能力を活性化させて情報を概念化することがどれだけ大変か… それを妨げるものは何なのか… それがわかれば
1つの情報に反応してしまう人の心のメカニズムを理解できるかもしれません。少し長くなりますが、「概念化能力論」にしばらくお付き合いください。


ところで、あの日のセミナーで講師を務められたコンサルタント氏は、何を目指し、どんな思いであのテーマを掲げられたのでしょうか。今もお仕事をされているのでしょうか。今もあんな風に概念化能力を語っていらっしゃるのでしょうか。お会いしたくて仕方が無いのですがお名前を失念してしまって探すこともできません。万が一これを読んでくださったら、そんな嬉しいことはないのですが。


マネジメント能力と概念化能力


「何で今いきなり概念化能力の話?」
そう思われないように、まず、その能力がこれまでお伝えしてきたこととどう関係があるのかをはっきりさせていきます。


これは、第1章で示した「マネジメント領域における目標設定プロセス」の図から「情報の概念化」を必要とするプロセスを抜粋したものです。抜粋と言っても「ほぼすべて」であり、マネジメント領域における目標設定には概念化能力が必要不可欠であることになります。言い換えれば、「マネジメント能力=概念化能力」ということですね。


未知の場面で新たな事象や問題に接する時、多くの人が最初にキャッチした情報だけに反応してすぐに答えを出そうとしますが、そうしなかった人は、全体観の醸成に向けて少し面倒くさい情報処理に進みます。そこで求められる「面倒くさい情報処理」が概念化です。


物事の全体像にアプローチするためには情報を集めて繋げなくてはなりませんが、もちろん何でもかんでも情報を集めればいいわけではありません。図の中でも示してあるように、1本の線で繋げられるような関連のある情報を集めることが求められます。


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例えば、
あなたが初めて訪問した会社の玄関で、まずばらばらに脱ぎ捨てられている先客の靴を目にしました。応対してくれた女子社員に笑顔は無く、事務的に応接室に通されました。その途中、多くの社員が仕事をしているオフィスの中を横切りましたが、誰一人として挨拶をしてくれる人はいませんでした。応接室に入る前、身なりを整えたくてトイレを借りたのですが、はっきり言って汚かった…


(1)整えられていない先客の靴

(2)ホスピタリティに欠ける女子社員

(3)挨拶しない社員たち

(4)汚いトイレ


社長との面談を終えてその会社を出たあなたは、こんな思いにかられました。


(5)士気の低い会社だな… 社員の熱量が低く、意識が外に向いていない。 自社へのロイヤリティや仕事へのモチベーションが高まりにくい何かがあるのでは…


そして、


(6)この会社は大きな問題を抱えている


という本質を知るに至ったあなたに、迷いはありませんでした。


(7)この会社と付き合うのはやめておこう。

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(1)が、未知の場面で最初に得た情報であり、その後(2)(3)(4)という情報を次々に集めることができました。そしてあなたは、「この会社の体質を映す事象である」という(1)~(4)の共通点を導き出して、本質に迫る仮説(5)を得ることができました。初めて訪問したその会社の正体(全体像)にアプローチできたわけですが、ここまでの取り組みが「概念化」です。


「(1)~(4)の情報を集め、その共通点を新たな概念(5)として捉える」という概念化のプロセスを経たからこそ、(6)という本質に辿り着き、(7)の目標設定に自力で進むことができました。


未知のマネジメント領域を自力で進むためには、概念化というプロセスが必要不可欠であることをおわかりいただけたでしょうか。

ここまでを整理します。

 
▸ マネジメント領域における目標設定プロセスにおいては、概念化という情報処理が必要不可欠である。

▸ 概念化能力を備えていることは、マネジメント能力を活性化させるための大前提となる。「概念化能力=マネジメント能力」と言ってもいいくらいである。


お気づきのように、私はここに至るまで、「思考(概念化)」とか「思考力(概念化能力)」のように、思考と記す際には必ずカッコ付けで「概念化」を付記してきました。思考と概念化を同義とみなしているからです。概念化のプロセスを含まない情報処理を、思考とは呼びません。厳密に言えば完全一致とはいかないのかもしれませんが、「思考力=概念化能力」と捉えてしまっても、何ら問題は生じないと思います。


まだ市民権を得ていない概念化能力のことを、私たちは思考力と言い換えることが多くなっていますが、この本の中で「思考」と記す際には、この後も併記を貫こうと思っています。ちょっと鬱陶しいかとは思いますが、ご了承いただければ幸いです。


▸ 思考力とは概念化能力のことである。まとめると、「思考力=概念化能力=マネジメント能力」である。ついでに付け加えると、「マネジメント領域における目標設定プロセス」は「思考(概念化)プロセス」とほぼ同義である。


なぜ情報を概念化しなければいけないのか


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いくつかの具体的な事象や情報から共通な要素を取り出し、その共通要素を汎用性の高い言い方で説明した理論が概念である。概念は目に見えない。目に見える具体からそれまでにはなかった「新たな概念」という目に見えないものを創り出すことを概念化といい、そのプロセスを踏むためには概念化能力が求められる。

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これが概念化の定義です。やっぱりわかりにくいですね。そもそも、目に見えているわかりやすい情報を、なぜわざわざ目に見えない「概念」とやらに変えていかなくてはいけないのでしょうか。


多分その最大の理由は、目に見える一つの物事を捉えただけで動いてしまうと、その一つの物事が本質と近いものなのか、どうでもいいものなのかが、不明のまま動くことになるからでしょう。前者ならラッキーなのですが、それはまぐれ当たりです。そしてもし後者であれば、その人はそれ以降ずっと本質から離れた場所で動くことになってしまいます。


第1章の「マネジメント領域における目標設定プロセス」を再度思い出してみてください。1つの情報に反応して動くと、物事の正体(全体像)をまったく無視する結果となり、多くの場合その行動は不毛に終わります。


「見積書を作ってください」とのお客様の言葉に即座に反応し、その場で営業アシスタントに見積作成を依頼してしまうような人は、自分の会社に迫りくる危機を察知できるチャンスの糸をいともあっさりと断ち切っていることになります。一方、自分の身の回りの情報を懸命に概念化し、相手の現状を知ることができれば、会社として今やるべきことが浮かび上がってくるのです。


先ほどの例でも、初めて訪問した会社でまず目にした「ばらばらに脱ぎ捨てられている先客の靴」という情報を、その後現れた諸情報と繋げることができなければ(概念化できなければ)、その会社の正体を見抜くことはできなかったでしょう。


なぜ情報を概念化しなければいけないのか? その答えは、「概念化が、対象となる物事の正体(全体像)を正しく知るために欠かせない情報処理だから」ということに尽きると思います。


人は自分が直面している物事の正体(全体像)を知らないと動くに動けません。既知の事象や問題であれば、その一部に触れただけでもそれが何なのかを理解でき、経験知や前例を当てはめながら前進することはできます。でも、未知の場面ではそんなにうまくいきません。初めて接するものの一部を切り取って見せられても、本来なら怖くて最初の一歩を踏み出せないはずです。その全体像がイメージできないからです。そこで無理やり動こうとすると、前述のように不毛な結果が待っています。


人は、今目の前にある物事の全体像をある程度把握できるまで情報の概念化を重ね、その本質を薄っすらとでも理解し、今すぐに手を付けるべき重要な事とそうでもない事とを識別して初めて、自分の進むべき方向性を打ち出せるのです。未知のマネジメント領域において自走するためには、この全体観醸成のプロセスが欠かせません。


概念化の究極の目的は全体観の醸成ですが、そのプロセスの様々な局面で、概念化はその威力を発揮します。例えば、「早期離職が多い」と言う情報を個別で捉えれば、その事実以外のことは何もわかりませんが、そこに「経営者が横暴である」との情報を繋げて概念化すれば、早期離職が多い理由や問題解決への道筋が見えてきます。


「情報を概念化することで、その情報が持つ意味を知ることができる」


それも、概念化の意義と言えるでしょう。


学力的情報処理


1つの情報に反応して動く人が多い現状について、第2章で述べました。言い換えれば、概念化という情報処理に進もうとする人が少ないということです。それがなぜなのかを、考えていきましょう。


「考える」という言葉があります。もちろん、思考する(概念化する)ことを意味する言葉であり、概念化のプロセスを含んでいなくてはなりません。しかしながら、「考える」の本当の意味を多くの人が知りません。そして多くの人が、「自分は考えている」と信じています。だから日本中の仕事場が「もっと考えろ」「考えていますよ!」のようなやり取りで溢れるのです。


概念化などという複雑な情報処理とはまったく無縁なのに、「自分は考えている」と思い込んでいる人は少なくありません。自分では一生懸命頭を使って情報処理をしているつもりだけど、やっていることは思考(概念化)ではない… ということです。


そのような人たちの多くは、学力的情報処理を思考(概念化)と誤認しているのではないでしょうか。「与えられた情報をインプットし、頭の中で整理して保存し、必要に応じてアウトプットする」という、いわゆる勉強頭で行う情報処理を、私たちは学力的情報処理と呼んでいます。


学力的情報処理は、情報の出し入れです。情報を移動させるだけで、その情報の形を変えることはありません。第1章の<作業領域>のところで少し触れましたが、学力の高い人は、仕事の段取りを早く正しくたくさん覚えることができ、それを忘れません。対応も迅速なので、作業領域で生産性を高めることができます。


この能力に長ける人は、情報を早くたくさんインプットできるので、概して多くの知識を持つことができます。作業領域では、保有する経験や知識をそのまま持ち込めるので、潤沢な情報を持っていると即座に優位性が確保されます。


しかしマネジメント領域では、与えられた情報を概念化しないと動くことができません。思考力(概念化能力)を稼働させないと、いくらたくさんの情報を持っていても、それらは無用の長物と化してしまいます。「学力的情報処理能力は、マネジメント領域において時に無力化する」とは、そういうことです。


日本人は、この学力的情報処理能力を使うことに慣れています。この能力に長ける者が受験勝者になれるので、学校教育の目標は、長きにわたってこの能力の強化に置かれてきました。最近では、教育業界において思考力(概念化能力)を育ててこなかったことへの反省が少しずつ語られるようになり、手立ても打たれているようですが、なかなかうまくはいかないようです。


学力的情報処理と概念化とでは、情報処理のメカニズムがまったく異なり、脳内の別の場所が働いています。小さい頃から学力ばかりが評価の対象となり、学力ばかりが鍛えられたら、相対的に思考(概念化)への注力が減じ、本当に重要なその能力が停滞してしまうのも無理はないでしょう。


作業領域では極めて有用な学力的情報処理能力も、マネジメント領域では無力化する… 

学力的情報処理を駆使して蓄えてきた経験知も、思考力(概念化能力)が無ければ無駄になる…

「昨日と同じ今日は無い」と言える今の時代において、仕事場の中でマネジメント領域の占める割合はどんどん大きくなっているのに、国を挙げて育ててきたのは学力的情報処理能力だけ… 


切なくなることばかりです。


話が逸れてしまいました。上述のように、多くの人にとって学力的情報処理に頭を使うことが当たり前になっている現状があります。そして残念ながら、情報を概念化する習慣を持たない人が多いという現実があります。そんな中で、いつも自分が反応的に選択している学力的情報処理と言う行動を、「考えている」と称してしまうのは、ある意味仕方が無いのかもしれません。


そんな人たちが、いかにも考えているような仕草を見せる時、実際には何かを思い出そうとしていることが多いようです。既存の保有情報から使えそうなものを探して何とか当てはめようとするのでしょう。でも、リアルタイムで得られる情報を無視して古いものを無理やり持ち込んでも、そこに生産性は生まれません。


アセスメントの現場でも、独りで考えを深めているような表情や行動を見せてアセッサーに期待を持たせる人は少なくありません。でも、それが「探す」「思い出す」ことに没入する取り組みだったことが、その後の発信からばれてしまうことがほとんどです。本当に残念です!


学力的情報処理は持っている情報の形を変えることができないので、その情報処理に慣れている人には、情報を常に個別に取り扱う習慣が根付いているようです。そしてそのひとつの結果として、「1つの情報に反応して動く人」が増えているのだと思います。


とは言え、学力的情報処理に走る人が多い理由は、「慣れているから」だけではありません。簡単に言えば「楽だから」です。日々勉強に追われ暗記に精を出している人には叱られそうですが、それでも幼少期から訓練を積んでいるだけに、やれと言われればそれなりにできてしまう人が多いのではないでしょうか。また、上述の「思い出す」という情報処理は、記憶された情報をそのまま持ち出そうとする取り組みであり、新たな概念を創り出すことに比べると、かなり「楽!」なのだと思います。


概念化は、はっきり言ってしんどいです。何もないところに道筋をつけなくてはいけない時、情報処理がすんなりと進むことはまずありません。まず頭のいろいろな場所から関連のある情報を引っ張り出してくるのが大変ですし、せっかく集めても、他の情報たちとの共通項を見出せない情報は無駄になってしまいます。まったく事が進まず、何も生まれない時間が流れることは当たり前。何より、状況を打開できる保証がどこにもありません。特にゼロからイチを産み出さなくてはならない時には、誰もがどんよりとした精神的重圧と戦うことを強いられます。学力で情報を動かしている時には味わうことのない「重さ」を背負うことが求められるのです。


概念化という情報処理に進もうとする人が少ないのはなぜ?

それはしんどいからですよ。みんなしんどいことはしたくないからですよ。


身も蓋もない話になってしまいますが、これが本質なのかもしれません。


                                            【第8回】へつづく

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