なぜマネジメントがうまくいかないのか【第3回】    ~その習慣を止めれば、マネジメントが動き出す~



1-3 マネジメント領域における目標設定プロセス


よくある話


****************************************************

A社の営業担当B氏は、今日も朝一でC社に足を運びました。C社は月に何度もまとまった量を発注してくれるA社にとっての重要顧客です。C社の担当者D氏はB氏との付き合いが長く、両者は良くも悪くも気楽な関係を保ってきました。


B氏はほぼ毎日C社に顔を出すので、D氏は口頭でB氏に発注するのを常としていました。特に書類を交わすわけでも、ハンコを押すわけでもなく、口約束だけで契約が成立する流れになっていましたが、これまで大きな問題が起きたわけでもなく、双方ハッピーな状態が続いていたのです。


ところが今朝に限っては、少し様子が違っていました。D氏はB氏の顔を見るなり、新たな発注分の仕様書を見せながらこう言ったのです。「これの見積書を出してくれないかな」


どこにでもあるような1コマですが、このD氏の言葉を受けた人の頭の中で遂行される情報処理は、以下の2つに大別されます。


「わかりましたぁ」と元気に返事をして、その場で自分の会社に電話を入れ、営業アシスタントの女性に指示しました。「今C社にいるんだけど、今から送る内容の見積書をすぐ作ってくれるかな?


「今まで見積書を要求されたことなんかなかったよな?」

「Dさんの表情が少し硬かったな」

「前回会った時に何か失礼なことをしてなかったかな?」

「前回のうちの商品に何か問題があったのかな?」

「うちの物流に何か問題があったのかな?

「C社の社内ルールが厳しくなったのかな?」

「うちの値引き率が足りないのかな?」

「競合のE社が最近近くに営業所を作ったのは知っているけど」


初めて見積書を要求されたことにかなり動揺し、C社を出て自分の会社に帰るまでの道すがらいろいろなことを考えました。湧き上がる疑問点に思い出せるだけの情報を絞り出して答えを出します。会社に戻ってからは、上司や同僚からC社の情報を聞き出し、ネットにC社の現況に関わる記事が出ていないかも調べたりしました。


そしてその結果、どうやらA社の競合である大手のZ社が最近C社に急接近しているらしいということがわかってきたのです。


極めて購買力の高いC社には、長きにわたってA社が食い込んでおり、「C社とA社は蜜月関係」であることが広く知られていました。しかし近年では、その関係にA社が甘えてしまい、C社に対するフォロー体制に少し隙が生じていたのかもしれません。競合各社の中に、「今なら行けるのではないか?」という空気が生まれていたようでした。


その中でもZ社は、営業担当役員がC社の購買部長にアプローチしているようで、相当な値引き攻勢をかけているようです。D氏にも上層部から圧力がかかっていたのでしょうか。そういえばここ数日、D氏はいつもの人懐っこい笑顔を見せてくれていません。D氏との関係が良好であると油断して、自社の価格やサービスを客観視する意識が薄れていたことが悔やまれます。


C社はA社との関係を見直すことを考え始めている!

このことは、たぶん間違いないでしょう。


A社ではすぐに緊急会議が招集され、管理職や担当役員も交えて、会社として今C社に「何ができるのか」「何をすべきなのか」が話し合われます。

****************************************************


「事例がいかにも作り話!」「さすがに①のような奴はいないよね」と、思われるかもしれませんが、実際に世の仕事場では、こんなレベルの選択を強いられる場面が繰り返されます。そして残念ながら、①のような人は決して少なくありません。


重要な選択の場面


未知の状況下で一つの情報に触れた時、そこにはマネジメント領域への扉があります。その情報に飛びついて拙速的に答えを出そうとする人は、無意識下にマネジメント領域を避けているのだと思います。自分の頭や心に負担をかけずに手っ取り早く事を進めてしまいたい人にとっては当然の選択なのかもしれません。


一方、それに関連する情報を集めて対象の全体像の把握に向かう人が、マネジメント領域で動ける人であり、マネジメント能力を有する人です。人によって巻き込む情報の量や導く概念の質などに差はありますが、それは経験を積み知識を増やすことによって解消されることであり、大した問題ではありません。一つの情報に触れた時に「情報集積に舵を切る」という選択を可能にさせる精神状態や価値観を携えていることが何よりも重要であり、それは一朝一夕にして得られる能力ではないのです。


仕事場で誰にでも訪れる「その選択」の場面に興味を持つことで、マネジメント能力の高い人とそうでない人を見極めるための一つの判断軸を持つことができます。もちろん、自己啓発に向けて最も重要な頑張りどころへの意識を自分の中に根付かせることもできます。マネジメント能力を語るうえで極めて重要な情報処理プロセスを、図解を交えて説明していきます。



思考(概念化)しない人( 1 )


「見積書をすぐ作ってくれ」と言われ、即座に見積書作成の指示を出した人の中では、やるべきことが終わってしまっています。事態が良からぬ方向に進んでいる可能性があることなどにはまったく考えが及んでいないので、もちろん何もしようとしていませんし、会社の中でも課題形成がなされません。


1つの言語情報だけに反応してしまうと、その情報の範囲内での行動しか選択されず、拙速的で安易な行動をもって取り組みが終了してしまいます。複雑な情報処理の世界に進まなくてもよいので、楽ですよね。楽だから多くの人たちがこちらの道に進んでしまうのでしょう。


担当者が楽な道を選んだために、もしかしたらA社は、ある日突然C社という大事なパートナーを失うことになるかもしれません。いずれにしてもその結果は避けられなかったのかもしれませんが、何の成す術もなく負けたのでは、その企業の質が問われかねず、ダメージは大きいと思います。


1つの情報に反応して楽に事を済まそうとする怠け者が多い組織では、このようなことが日々繰り返されています。すぐ露呈するものもあれば、何年後かに判明するものもあるでしょうが、損失が嵩み続けることは避けられません。


このように情報処理プロセスを可視化した上で客観的に眺めれば、この行動選択が愚行であることは客観的に見れば明らかで、そこに異論を挟む人は少ないのではないでしょうか。ところが多くの人が、未知の場面で自分が当事者となったとたんにこの選択に走ります。


新卒採用選考で、多くの大量の情報群から好きな情報をキーワードとして勝手に抜き出し「これが一番重要な問題だと思うのですが」と堂々と言い切る、一流と呼ばれる大学の学生さんたち。なぜ、全体を把握していないのに本質の在り場所がわかるのでしょう。


管理職研修で、自分の経験知を使える部分を全体との整合などお構いなしに引っ張り出し、延々と自分の経験談を語る役員候補の部長さん方。あなた方の話に他のメンバーが乗っかってしまい、前提として求められているものから遠く外れたところに議論のテーマが移ってしまうじゃないですか。


アセスメントの演習課題に取り組む皆さんが堂々と繰り広げる「愚行」を日々拝見していると、本当に不思議な気持ちになります。理屈として理解できないはずのない「やってはいけないこと」を、自分自身がその場に立つとなぜこんなに堂々とやらかしてしまうのか。


自分の心が「何よりもスピードが大事」という価値観に支配されているから?

とにかく面倒くさいことやしんどいことを避ける癖がついているから?

長年にわたり1つの情報に即応することを求められる教育を受けてきたから?

じっくりと対象に向き合うことができる精神状態にないから?


いろいろな仮説が浮かび上がります。複数の要因が複合的に絡み合っているのかもしれません。いずれにしても、マネジメント領域が多くの人にとって極めて非日常性の高い場所であり、その第1関門である「1つの情報に触れた時」にひと頑張りできない人がとても多いことは、残念ながら間違いありません。


情報の集積と統合( 2 )


第1関門で間違った方向に進まなかった人は、そこから苦難の道を歩むことになります。なぜ安易な道を選ばなかったのか?それは、相手の変容に対して強い違和感を抱いたから、そして、A社を代表してC社と仕事をしている者として、相手に何が起こっているのかを知り、今何をしなければいけないかを考えなくてはいけない… そんな使命感が生まれたからでしょう。


経験や知識をそのまま持ち込めない未知の場面に置かれた人は、まず自分が直面している物事の正体を知らないと動くに動けません。既知の事象や問題であれば、その一部に触れることでそれが何なのかを理解し、経験を当てはめながら前進することもできます。でも、正体の分からないものの一部からではその全体像を把握することができないので、怖くて最初の一歩を踏み出せません。


その正体を知るためには、五感を研ぎ澄ませ、経験知も総動員して、できる限りの情報を集積することが必要です。そしてそれらの中で共通性や関連性を持つ情報を統合していくと、「こういうことか」という新たな理解が生まれてきます。こうして情報を集積して統合することを、概念化(第3章でじっくりと説明します)と言います。


まず、「今までと変わったことはなかったかな」「C社の姿勢が変わる要因となるようなことはなかったかな」というテーマから思い出せることや調べられることを引っ張り出し、具体的な情報を集めます。


それらの情報を繋げていくと、それまでには見えていなかった物事が見えてきました。それぞれの情報に潜んでいた意味が浮かび上がり、それまで不明だった部分への理解が進んでいきました。なぜ目に見える情報をわざわざ目に見えない概念に変えていかねばならないのか?その答えがここにあります。


全体観の醸成 → 本質を発見 → 目標設定( 3 →4 →5 )


情報を集めて繋いでいくと、徐々にその全体像が見えてきます。情報を繋いだ線が円を描くと、初めて「中心」の場所がわかりますよね。全体観を醸成することなしに、物事の本質に辿り着くことはできません。


前述のように、大学生から大企業の管理職に至るまで、アセスメントで大量の情報群に接すると、目についた情報を「一番重要なところだから」という理由で取り上げることが当たり前になっています。そして、「全体を見ないと何が重要かなんてわからないですよ」と言うと、誰もがはっとした顔をします。


「全体を知らずして本質がわかるはずなし」という常識がもう少しだけでも世の中に行き届くことを、願ってやみません。


人は、今目の前にある出来事の全体像を把握し、そしてその本質の在り場所を知り、今すぐに手を付けるべき重要な事とそうでもない事とを識別して初めて、自力で決めた進むべき方向に自力で足を踏み出すことができます。したがって、マネジメント領域で生産的な目標設定に進むためには、全体観の醸成が必要不可欠なのです。


この事例においても、情報を集めるうちに「A社のC社に対する営業体制が緩む中で競合他社から付け込まれる余地を生んでしまい、強大な競合であるZ社の攻勢を許してしまっている」という状況(全体像)が明らかになりました。


そして、「C社はA社との関係を見直すことを検討する状況にある」「A社はC社を失うかもしれない危機にある」という問題の本質が浮かび上がり、そこに至ったことで会社が問題解決に向けて動き始めることができたわけです。


顕在する問題にまつわる情報を概念化して本質的な問題を浮かび上がらせることを課題形成といいます。これができなければ、真の問題解決はかないません。対策を練り始めたA社の今後がどうなるかはわかりませんが、課題形成を経て問題解決への目標設定がなされたことの意味は大きいと思います。


「1つの情報に反応してはいけないんだよ」という正論


マネジメント能力は、「マネジメント領域において自力で動く(=目標設定できる)力」です。未知の場面では、情報を積み上げながらこのプロセスをきちんと踏まないと生産的な目標設定には至りません。マネジメント能力を駆使してマネジメント領域で生産性を高めている人は、対象を捉えると例外なく習慣的にこの情報処理へ舵を切ると言ってよいでしょう。


アセスメントの演習課題で大量の情報を与えられた人が、「楽だよ~」という 1 の甘い誘惑を断ち切り情報集積の道に歩みを進めた時点で、私たちアセッサーはその人を「マネジメント能力のポテンシャルがある」と評価します。


情報の集積統合から全体観の醸成へと進む際には、手持ちの経験知の多寡によってそのプロセスの成熟度は左右されますが、その問題は時間が解決するのではないでしょうか。どんなに経験を積んでいようが、どんなに情報を持っていようが、1 に行きたい人は 1 に行きます。1 に流れずに情報処理プロセスへの道を選んだことに大きな価値があり、そこから先は経験を積み訓練を重ねることで、誰でも進化することができるでしょう。


連日のアセスメントの結果を見る限り、世の中の現役管理職や管理職予備軍の皆さんの多くが、マネジメント領域に足を踏み入れたとたんに 1 の道を選んでいるのだと思われます。そこに走ってしまう理由は1つではありません。残念ながら、諸々の事情でその習慣を変えることが難しい方もいらっしゃいます。


しかし一方で、「 1 に行ってはいけないんだよ!」という正論にあらためて向き合い、正しい頑張りどころを理解さえしたならば、その習慣から脱却し晴れてマネジメント能力を手にできる方もたくさんいらっしゃるような気がしてなりません。


「1つの情報に反応して拙速的に答えを出そうとする人」は、わが国においてボリュームゾーンを形成しているのではないでしょうか。私が何を見てそう思うのか、それによってどんなことが起こるのか、そして、その状況を変えていくことはできるのかどうか。


自分の行動選択を変えていこうとする人が少しでも増えることを願って、次回からは 「第2章  1つの情報に反応する人たち」に入っていきます。


                                            【第4回】へつづく

関連記事