2-3 目標設定の習慣性を炙り出すインバスケット演習
決裁箱
インバスケットというビジネスシミュレーションツールがあります。アセスメントセンターの3つ目の演習課題として使われますが、最近では日本でも少しその存在が広く知られるようになってきて、研修用などに単独で使われることも多いようです。
「インバスケット」とは、決裁箱のことです。私が新入社員の頃、課長の机に置いてある決裁箱に溢れんばかりの書類が常に積まれていて、「なんで早くハンコ押さんのかな」とすごく気になっていたのを覚えています。今はとっくに無くなったものと思い込んでいたら、先日、今でも通販で「決裁箱」が売られているのを知って驚きました。
インバスケットでは、設定された新任管理職の役になりきって、上司、部下、顧客、その他関係者から送られてきた諸々の件に、定められた制限時間内に対応することが求められます。少し前まで当社のインバスケットは、文字通り「決裁箱に放り込まれた書類に指示を書き込んだ付箋をつけて提出する」という昭和仕様を貫いていましたが、数年前に時代の流れに押されて「メール仕様」に衣替えしました。アセスメントの機能にまったく変わりはないのですが、「インバスケット」の名前が宙に浮いてしまい、ちょっぴり残念です。
目標設定のレベルがアセスメントされる
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課長への昇進が決まり本社から支店への異動が決まった主人公は、体調不良のため欠勤が続いていた前任者のPCに溜まっている未着手のメールを、多忙なスケジュールの合間に短時間で処理することが求められる。諸事情でその後1週間は誰とも連絡を取れない状況になるので、その時間内に自分がやるべきことをやっておかなくてはならない。
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インバスケットの設定は概ねこんな感じです。社内外の関係者から送られてきた依頼、相談、クレーム、叱咤激励、その他諸々のメールに対応するわけですが、このインバスケットが誇る最大の特徴は、「取り組みの目標を自分自身が決めなくてはいけない」ということです。そして、その目標設定のレベルが、アセスメントされるのです。
インバスケットは、グループ討議や面接演習のように対人場面で揉まれることが無いので、少し精神的に余裕を持って取り組めるように思えますが、アセスメントの演習課題として使われるだけあって、それなりにストレスがかかるように作られています。そしてその結果、日常の目標設定レベルが処理に反映されることになります。
例えば、普段「部下よりも豊富な知識」だけを武器に上級実務者の座にどっしりと座っている課長は、インバスケットでも漏れの無い着手を取り組みの目標に据えて、実務的作業に追われます。一方、日常業務において少しでもマネジメント領域での仕事を増やそうと心がけている課長なら、量的生産性の確保には少し目をつぶり、組織運営、部下指導、問題解決といったマネジメントの取り組みを優先させようとするでしょう。
インバスケットのガイダンスで、「粛々と作業を進めて、なるべく数多くの案件を処理してください」とか「マネジメントの主体者として問題解決に取り組んでください」などという指示が出されることはありません。作業領域に甘んじるか、マネジメント領域に踏み込むか、それを決めるのは本人です。そして、その本人の習慣性が、第三者によってアセスメントされるのです。
「目標設定のレベルがアセスメントされる」というのは、そういうことです。
インバスケット処理の2つのパターン
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① 「作業領域に留まる」という目標設定に走る人の取り組み例
実務に漏れが生じないように、すべての案件に着手することを最優先の目標に定める。
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それぞれのメールに記された依頼や相談を素直に受け止める
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案件番号順に着手し、発信者の求めに応じて当面の手続きを示す
(不明な状況では、安易な後日処理に舵を切ることも多い)
▽
今向き合っている1つの案件で求められていることへの対応に専念し、他の案件に記されている一切の情報は、「今扱う必要のないもの」として扱われる。
▽
情報を集めて関連付ける意識は喚起されないので、潜在する問題が浮かび上がることはなく、違和感や問題意識が生じることもない。したがって、自らが問題解決に取り組む機会は発生しない。
② 「マネジメント領域で動く」という目標設定に舵を切る人の取り組み例
マネジメントの主体者であるという自覚を持って案件処理にあたり、量的生産性の確保に向けた意識を残しながらも、問題解決や健全な組織運営への注力配分が高まることを目指す。
▽
リスクマネジメントの感性をも高めてそれぞれの案件に向き合い、その中で接した逸脱や不条理は、必ず意識に留め置かれる。
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まずは全体を眺め、問題解決が求められる重要な案件への注力を高める。「漏れの無い着手」よりも「課題形成や問題解決」が優先され、結果として多くの未処理案件を残すこともある。
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各案件に向き合う中で、問題の端緒と思われる情報が思考(概念化)の材料として意識に留め置かれ、共通項を有する情報が出現するたびに統合されて課題形成が進む。
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関連する情報が増え、それらを繋ぐ線が太くなればなるほど、問題意識が強化され問題解決への熱量が高まる。
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インバスケットに取り組む人の取り組みは、①②のパターンに大別されます。「取り組み例」と書きましたが、ほとんどの人の行動がこのどちらかに集約されると言ってもいいでしょう。
①と②は能力や意識の優劣を示すものではありません。積み上げられた案件を目の前に、「処理に漏れが生じたら迷惑がかかる」という意識に支配されて躊躇なく全件処理を唯一最大の目標に定めることは、決して悪いことではありません。目先の実務を懸命にこなす人たちが機能することは、組織の健全性を支える必要最低限の前提です。
しかしながら、「与えられたことだけを脇目も振らずに消化する人」を求める職場が、今の時代には無くなりつつあるという事実もあります。
「迫りくる不正の脅威に全く反応しない」
「不明な状況の中では自力での目標設定をあっさりと放棄する」
実務の第一線にいる人たちがこんな状況に陥ってしまったら、その会社はどうなっていくのだろう。
ちょっと立ち止まってきちんと向き合ってみれば誰でも違和感を抱くはずの「危ない」情報を含む依頼や、他の案件と照らし合わせてみれば大きなリスクが浮かび上がるような相談を投げかけられても、粛々と相手が言うとおりの手続きを進める案件処理を目にするたびに、そう案じてしまいます。
躊躇なく作業領域を選択するマネージャー
アセスメントの仕事をしていて一番悲しくなるのは、マネジメント研修を受講された管理職や経営職の皆さんが、揃いも揃って①を選択したのを確認する時です。「管理職をやっています!」と胸を張る人が、実はまったく管理職の仕事をしていない人だった… それがばれてしまう瞬間です。
課長、部長、時に役員の名刺を持つ方々が、組織の全体像には目もくれず、マネージャーとしての感情の見えないスピード重視の処理を重ねて全件処理を目指す… よく考えればかなり異常なことなのですが、実はそのような人の方が圧倒的に多いという現実をとても残念に思います。
そうなってしまった理由や経緯は様々なのでしょうが、どの人にも共通して言えるのは、「対象に向き合って情報を集める労を嫌い、1つの情報に即応してとりあえず答えを出す」という習慣が身についてしまっていることでしょう。
大学生から経営者に至るまで、「1つの情報に飛びついて拙速的に動く」という伝染病が蔓延していることに、疑いの余地は無いのだと思います。
2-4 「正解」を広く伝えることの価値
アセスメントの直前に受講者に伝えること
私が身を置くアセスメントの現場では、日々このような光景が繰り広げられています。「マネジメント領域で求められるもの」を知らない人があまりにも多いことを痛感するので、私はアセスメント研修を受ける皆さんが演習課題に取り組む前に、「今日皆さんに求められるもの」と「絶対にやらないで欲しいこと」を伝えるようにしています。
「今日1日、グループ討議でも面接演習でもインバスケットでも、1つの情報に飛びついてすぐに答えを出そうとする取り組みを禁止します。精一杯の自己制御を図ってください! そして、情報を集められるだけ集めて対象の全体像に到達するよう、頑張ってください」
最近では、グループ討議で各受講者の机に【第3回】で示した「マネジメント領域における目標設定プロセス」の図を置いてもらい、「それを意識から外さずに討議してください」という指示を出すこともあります。まさしく、正解を目の前において試験を受けてもらうような感じになります。
「正しい取り組みを事前に伝えてしまったら、アセスメントを受ける人に有利に働いてしまうのでは?」とお客様から尋ねられることがあります。この本では「正しい取り組み」を凝縮的に伝えているので、出版されたら懸念の声がさらに強まるかもしれません。「試験の前に答えを見せるようなもの…」と思われるのも無理は無く、ご心配はごもっともです。
しかしながら、直前にこんなにはっきりと「やるべきこと」と「やってはいけないこと」を伝えられても、「その後のアセスメント演習で光り輝く行動が連発される」ということにはなりません。
習慣をすぐには変えられない
グループ討議でいち早く1つのキーワードをテーマ化する。
面接演習で相手の話のほとんどをスルーして最後の言葉だけに反応する。
インバスケットで情報の関連性には目もくれず当面の対応だけに汗をかく。
「正解」を示した後の各演習でも、いつもと同じ行動が繰り返されます。
「キーワードに飛びつくな」と言われて1つの言葉を露骨に取り上げることを制御した人が、それでもだんだん時間の経過と共に1つのテーマに埋没していく…、そんな様子を目にすることも少なくありません。
身に付けてしまった習慣や行動様式の前には、いきなり提示される大正解も無力になるのでしょうか。被験者の習慣的選択を炙り出すアセスメントの機能もあって、さっき示されたばかりの知識は、行動化されることなく封じ込められてしまいます。
その習慣に支配された人には、正解の意味を理解する準備ができていないかもしれません。また、正解を受け入れられない何らかの精神的な要因があるのかもしれません。いずれにしてもほとんどの場合において、事前に正解を公開することによるアセスメントへの影響が極めて限定的であることは、間違いないと思います。
自己変容のきっかけになれば
では、この「正解の事前発信」が無駄になるのかと言えば、そんなことはありません。もしその内容を理解して納得することができた人は、その直後のアセスメントには間に合わなくてもその後少しずつ自分の習慣を変えていくことができるかもしれません。アセスメントの直前に見慣れない「正解」を示され、でも直後のアセスメントで自分の習慣を変えることができずストレスを感じた人は、そのストレスが自己変容の第一歩になるかもしれないのです。
また、決して多くはありませんが、直後のアセスメントにおいて、示された正解通りに自分の行動を変容させることができる人もいます。「正解」を知る機会を持たなかった人なのか、あるいは違和感を抱きながら別の行動を選択していた人なのか。いずれにしても、思考プロセスを踏むことを妨げる要因を自分の中に持たないのにも関わらず、「知らない」ということだけで思考回避の行動を繰り返していたのだとしたら、そんなもったいないことはありません。
そんな人が存在する以上、また、知ることによって少しずつ自分の情報処理スタイルを正しい方向に変えていける可能性がある以上、「求められるもの」を正しく伝える取り組みを止めるわけにはいかないと思っています。
アセスメントの公平性は担保されるか
「直前に教えられた正解のおかげでアセスメントの評価が高まってしまってもよいのか?」
この問題が気にかかる方は多いと思いますが、答えはYESです。
直前に「やるべきこと」と「やってはいけないこと」を教えられても、やるべきことの習慣を持たず、普段からやってはいけないことをやっている人は、すぐにその習慣を変えることはできません。
一方、言われてすぐにできる人は、前述のように「やればできる」人だったわけであり、その後すぐにそれを習慣化できる人です。アセスメントを受けた時にそれをできる人はその後もできる人なので、その人を「できる人」と評価するのは当然のことだと思います。アセスメントの直前に正解を得ることができ、それをすぐに自分の習慣として自分の中に落とし込めた人は、ただラッキーだったということでしょう。
これからは、私たちのアセスメント研修を受講するすべての方に、研修前に必ずこのコラムを一読することを義務付けようかと考えています。すぐに実践できる人、直後のアセスメントには間に合わなくても時間をかけて自分のものにしてくれる人、どちらであっても素晴らしいことですよね。
ラッキーな人をもっともっと増やせるように努力したいと思います。
【第7回】へつづく