夏休みで信州に帰郷した当社の社員Sが、親友のKさんと久しぶりに会ってランチをした時に、こんなことを言われたそうです。
「会社のHPのコラム、楽しみに読んでるよ」「なんかちょっとつまづいたときに、参考になる」
Kさん、ありがとうございます。
遠いところで、普段接点のない方が読んでくださっているのを知り、なぜか無性に嬉しくなりました。と同時に、楽しみにしてもらっているのに「半年に1回書くか書かないか」の体たらくに陥っている当方の現状を申し訳なく思いました。
「繁忙期にはコラムのことなど完全に忘れ、ちょっと暇になって自分が書きたくなった時に書く」というスタイルは、読んでくれている人のことをあまりにも意識から外し過ぎていますよね…と、反省した次第です。これから更新頻度を少し高めなくては、と、今は思っています。
さて、そのKさんは地元の会社で事務方トップの役割を担っているのですが、中途で採用した人の早期離職や機能不全が相次ぎ、自分の下に仕事を任せられる人がいないという状況が長く続いていたようです。
ところが今回、SはKさんから嬉しい報告を受けました。
「やっと下が育ってくれたんだよ」
「今までの苦労は何だったんだ…と思うくらい楽になった」
経験豊富なベテランなどそれなりのキャリアを持つ人を何度採用してもうまくいかなかったのに、最後に採った今の部下が当たり前のようにきちんと職務をこなしてくれている…、その事実がKさんにとっては何だか不思議に思えているのかもしれません。
このような感覚にとらわれたことのある経営者や管理職は多いと思います。
採用スペックを綿密に練って募集し、応募者の経歴や保有資格などを徹底的に吟味して、「この経験を持つ人ならうちの会社でも大丈夫だろう」と採用してもそうならない。
そうかと思えば、実績や経験を度外視して採った人が「仕事ができる人」として定着し、周囲の信頼を得ることがある。
わが国では、よくあることです。
経験 × 仕事力 = 生産性
創業以来、私はこの公式の持つ意味にこだわり、その概念を伝え続けてきました。
経験:経験の中で得てきた知識や技術など。時間の経過と共に積み上がります。
仕事力:適切な日本語が無いので私たちが仮置きしている言葉。生まれてから今に至るまでに人の中で確立されてきた「仕事をするために必要な能力」という意味であり、その根底には「人格」があります。ちなみに、仕事ができる人に求められる集約的な仕事力は、思考力です。
生産性:その人がいたからこそ産み出せた価値。その人がいることで組織にとっていいことがあったら(利益が生まれたら)、その人は「生産性が高い人」です。仕事ができる人とは、生産性の高い人のことを言います。
さて、この公式を多用する私が一番伝えたいのは、
仕事力がゼロだった場合には、経験が百でも千でも一万でも、生産性はゼロなんですぅ!
ということです。
経験知はその人の貴重な財産ですが、その経験知をうまく使う仕事力が無ければ、生産性は上がりません。いくらものをたくさん知っていても、現状を踏まえてその知識をどう使っていくかを考えること(思考力という仕事力)ができなければ、そしてその人に成果獲得に向けて心と体に汗をかけるだけの真面目さ(利他性という仕事力)がなければ、その人は役に立たないのです。
「〇〇〇(同じ地域にある大企業)を辞めた人を紹介されたんだけど、うちの中途求人のスペックにぴったりの経歴だったんで喜んで採用したのよ。そしたら全然自分で動いてくれなくて、挙句の果てに『〇〇〇でやってきたことをここでは使えない』『ちゃんとしたマニュアルは無いんですか?』とか言うんだよね」
このような社長たちの愚痴(嘆き)に、私は日本各地でずっと接し続けてきました。
この公式に異を唱える人はいないと思うのですが、人事の現場では面白いほど無視されていて笑えます。
「会社の核になる重要な技術に携わっていた人材が急に辞めてしまい、後任を中途採用で獲得しようとしてもまったく応募が無い。半年が経ち、いよいよその欠員が会社の経営に影響する事態になりかけた頃に、同業の大手企業で管理職をしていたという人を紹介された。求めている技術や資格を持っており、経歴的には全く問題が無い。早速会ってみるとなかなか感じの良い人だった」
現実問題として、このようなケースでその人の採用を見送る会社はほとんど無いのではないでしょうか。しかし、世の中の採用ミスの多くが、こんな状況の中で起こります。「仕事力」がまったくの不明である以上、持ち込まれたその他の情報がどれだけ華やかであろうとも、その時点で採用を決めてしまうと、とてつもなく大きなリスクを抱え込むことになります。
この場合も、経験だけを見て喜ばず、その応募者の「仕事力」を知るために努力することが採用側に求められるのですが、それがあまりにも難しいから「公式」をシカトしたくなるのでしょう。本人が語る実績は、仕事力の証拠にはなりません。応募者の仕事力を知りたければ、採用選考の限られた時間の中で、その人の行動に向き合うしかないのです。採用選考に臨む多くの人が、その苦行から逃げたくて公式を無かったものにしようとしているように思えます。
最近では、公式を勝手に作り替えてしまう人も多いようです。
経験 + 仕事力 = 生産性
仕事力の精査を潔く諦め、「経験の価値は必ず担保される」という無理筋の理論を押し通したい人が、「マネジメント能力とかいらないから、とにかく経験だけ持ち込んでくれればいいから」などというセリフを吐きます。
でも残念ながら、持つべき仕事力が欠けていると、その経験の多くが無用の長物となります。経験は獲得した次の瞬間に「過去のもの」となるので、新たな場所で今使いたければ、今得られる情報群と繋ぎ合わせて経験を使える余地を探し、「今どうすべきか」を判断しなくてはなりません。それができないとせっかくの豊富な経験知は宙に浮き、その持ち主は「この会社じゃ俺の経験を活かすことはできないね」と呟きながら、その会社のお荷物として生きていくことになります。
「もう面倒くさいから×を+に変えてしまおう」「せめて経験の価値だけでも得られるということにしたいもんだ」という気持ちをわからないでもないですが、採用選考という仕事に取り組む以上、どうあがいても仕事力という概念から逃げることはできません。
私は決して経験が持つ価値を軽視しているわけではありません。経験は問題解決を進める上で強い武器になります。それを得る過程で大変な苦労が伴うこともあるでしょう。ただ、どんな場合でも「経験さえあれば大丈夫 ♪」ということにはならないのだということ、そして経験知を活かせる仕事力を携えている人はみんなの想像以上に希少なんだよ…ということを、死ぬまで伝えていきたいと思っています。
Kさんは、別れ際にこんなことを呟いたそうです。
「いったい採用ってどうすればいいんだろうね」
仕事力と向き合う術を知らない日本中の経営者や人事担当者が、そんなことを思っているのではないでしょうか?
誰もが知っておくべきことなのに、多くの人が知らない…
今の時代にそんなことがあっていいのだろうか?
と、毎日汗だくで人の仕事力と向き合っている私は思います。
1人でも多くの人に、最低限必要だと思われることだけでも伝えておきたい。
仕事人生の終盤に差し掛かった私は、最近そんなことを考えるようになりました。
そしてこのたび、「問題児の侵入を避け、実りある採用を実現するには、どのような仕事力にどのように向き合えばよいのか?」というテーマに向き合うための基礎知識を短時間で凝縮的に伝える場所を作ることにしました。
詳しくはこちらに記しましたので、ご興味があれば覗いてみてください。
https://conceptual-labo.co.jp/news/%E6%8E%A1%E7%94%A8%E9%81%B8%E8%80%83%E3%81%A7%E5%BF%9C%E5%8B%9F%E8%80%85%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B%E5%8A%9B%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%8D%E5%90%88%E3%81%86%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%9F%BA%E7%A4%8E