先日、高校の同窓会がありました。
同窓会は、「久しぶり!」「懐かしいね!」といった挨拶から始まるのが普通だと思うのですが、私たちは、久しぶりでも懐かしくもありません。毎年1~2回、欠かすことなくずっとやっているからです。
恐ろしいことに、毎回結構な人数が集まります。卒業から45年も経ったのに、毎回いそいそと集まってくる爺さんたち。マメでしっかりした幹事担当者氏が頑張ってくれているからこそなのですが、この継続性や頻度の高さは少し珍しいのではないでしょうか。
私はと言えば、今でこそ常連となっていますが、二十年ほど前までは、お誘いがあってもご遠慮申し上げていました。「仕事忙しいし」「そんなに新しい話も無いし」「男ばっかりで女の人いないし(?)」 いろんな理由がありましたが、やはり結局は「その高校を好きではなかったから」だったのだと思います。
48年前の3月、私は、入試を控えていた某県立高校の受験を辞退しました。先に受かっていた私立の男子校に行くことを決めたからです。なぜそのような選択をしたのか、よく覚えていないのですが、受験勉強で少し壊れかけていた私は、一刻も早く受験生活を終わらせたかったのかもしれません。
その県立高校まで足を運び、受付で辞退届を出し終えて坂道を下っていくと、眼下には初春の陽光を受けてきらきら光る海が広がっていました。
小走りで駅に向かう何人かの学生たちに追い抜かれました。当たり前ですがその中には女子生徒もいて、楽しそうなカップルまで目にしてしまいました。何日か前に、自分が通うことになる高校の最寄り駅で、詰襟に制帽をかぶった男たちがぎゅうぎゅう詰めのバスで運ばれていくのを見たばかりだったので、あまりのギャップに眩暈がし、急に現実に引き戻されました。
「自分は大変な過ちを犯してしまったのではないだろうか?」
早くもそう思ったのを、今でもはっきりと覚えています。
入学後、その後悔の念は、膨らむばかりでした。辞退したあの海の見える高校が、「青春を楽しめる高校」として有名だったことを知った日には、あの選択に走った自分自身に怒りがこみ上げました。どうしても登校する気になれず朝、家を出てから夕方まで、ずっと江の島の海岸で過ごしたことも一度や二度ではありませんでした。
何がそんなに嫌だったのか、いろいろとあったのでしょうが、結局その真ん中にあったのは、女の子がいないということと、「刈り上げ必須」の校則でした。「男子高校生で耳が見えているのは野球部員だけ」などと言われていた長髪ブームの中、自分の刈り上げ頭が実に屈辱的に思え、世を忍んで生きていた記憶があります。本当に、馬鹿で幼稚だったのだと思います。
当時の唯一の楽しみは、「その高校を辞めてどこかの公立高校に編入する手段を考えること」でした。北海道や九州の高校まで視野に入れて編入の可能性を探っている時が、一番癒されました。でも、あれやこれや思い描いているうちに、卒業してしまいました。
そんな高校時代だったので、卒業後にその高校に思いを馳せることなど無く、三十を過ぎて届くようになった同窓会の通知も概ねスルーしていました。別に「嫌な奴がいた」などということでは無いのですが、高校時代に感情を押し殺して生きていたので、「懐かしさ」というものが皆無だったのです。
それでもなぜか、四十代の半ばを過ぎた頃からは、3回のお誘いに1回くらいは参加するようになり、いつしかそれが2回に1回となり、還暦が近づくと、行ける時には必ず行くようになりました。コロナ禍では、同窓会の再開を待ちわびるようにまでなっていて、自分の変節を可笑しく思いました。
そして先週、また15名ほどが新橋に集まりました。なぜか今回はいつになく気分が開放的になって、饒舌になっている自分を感じました。
国立美術館などに出品している芸術家のK藤君と「思考、概念、哲学に背を向ける日本人」を嘆いて盛り上がり、3年生の時によく一緒に帰ったK野君(中学の校長先生)に「教育の中で思考が鍛えられないのはあんたらのせいだ」と文句を垂れつつ熱い教育論を交わし、高校時代にはクールな秀才に見えて近寄りがたかったS崎君(歯医者さん)と初めてゆっくり話す中で、彼がとても骨太で熱い人物だったことを知ることになり…
他にも、あまり話をしたことの無い奴も含め、多種多様な仕事に就いている多くの同期たちと、普段は話さないようなことをたくさんたくさん話しました。やっぱり楽しくて、帰宅後も、高揚感がなかなか収まりませんでした。
歳を重ねるにつれて同窓会を楽しめるようになったのは、決して「人恋しさ」からではなく、以前は向き合おうとしていなかった彼らの人間的魅力に少しずつ気づき始めたからなのだと、今、あらためて思います。自分の殻に閉じこもっていた私も、少しは成長したのでしょうか。人一倍、時間がかかりましたが。。。
48年前のあの選択…
もしかしたら、そんなに間違っていなかったのかもしれません。