About 奥山 典昭東京の世田谷に生まれ(1960年)、鎌倉に育ちながら、高校卒業後に憧れの関西へ移り住み、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学では体育会ラグビー部に所属したが、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトがばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。四年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る…という充実の日々を送り、バブルのはじけた平成二年の春に五年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになった。様々な執着を断ち切り、「人からの見られ方を気にせず、自分が本当にやりたい仕事だけをやっていこう」と開き直ってからは、すっかり心の元気を取り戻して今に至る。キャリアチェンジを模索する中、人間科学を深く学びたい一心で人事系のコンサルティングファームの門を叩いたが、そこで出会った「アセスメントセンター」に惚れ込み、これを生涯の生業とすることを決意。三十九歳の夏に、今の会社を設立した。心の成熟や健全な価値観が生産性の高い仕事に直結することに着目し、人の表層的な言動ではなく心の状態を映す無意識的な行動に向き合う人材アセスメントを推進して、大小約二百社の逸材発掘やリスクマネジメントを支援する。近年は、採用アセスメントを顧客各社において内製化させる仕事が増え、若い人たちに「人を見極める技術」を伝える日々を楽しんでいる。