代表メッセージ

代表メッセージ

当社は、昨年の夏に創業20周年を迎えました。


創業後数年間は、とにかく会社を大きくしたくて人をたくさん採用し、社員数はすぐに10名を超えました。まだそんなに仕事が無いのに支店を3つも出すという暴挙に走った時期もありました。私はもともと目立ちたがり屋の人間ですが、その頃の承認欲求は人生でピークだったかもしれません。その後、事業をアセスメント1本に絞る方向に舵を切ったこともありますが、採用した人たちのほとんどが会社を去っていきました。私の思いばかりを押し付けてしまったあの頃の皆さんには、今でも本当に申し訳なく思っています。

 

創業10年目くらいから、新卒対象の採用アセスメントが売れ始めました。2年と少しの間、ほぼ毎日のように大学生をアセスメントしていた記憶があります。「これで経営は安泰や!」と有頂天になったのも束の間、やはりそうはうまくいきませんでした。「採用アセスメントを導入すると、応募者の95%以上にはっきりリスクが見えてしまい、人が採れなくなる」という問題が、すべてのお客様と私たちにのしかかったのです。採れないアセスメントにお金を払うお客様と、そのたびにいたたまれない気持ちになる私たちのストレスが頂点に達しようとした頃、「採用アセスメントをお客様に譲る」ことを思い付いてしまいました。

毎年仕事をいただけるお客様を手放すことでその後の経営が苦しくなることはわかっていましたが、それをやらないと私たちの採用アセスメントはこの世から消えてしまう、と本気で考えました。こうして、少しだけ手が届いていたストックビジネスの安定経営は夢となりました。

 

内製化支援のモデルは予想どおりほとんどのお客様に受け入れられ、その後私たちの提供する採用アセスメントは全て内製化が前提となりました。そして私の任務も黙々と取り組むアセスメントから、人にアセスメントを教えることにシフトしました。実はこの仕事が、経営の苦しみを忘れさせてくれるくらい楽しくて、「若い人を育成する喜び」に目覚めました。卒業した「教え子」たちのアセスメントと久しぶりに接しその成長ぶりを目にすると、毎回涙腺が緩みます。

 

この約十年間は、採用支援の仕事の比重が増えた時期でした。しかし創業以来途切れることなく地道に続けてきたのが、顧客企業の社員の方々と向き合うアセスメントでした。中途採用支援の依頼が多かった頃も、私たちはずっと「外に求める前に中を見ましょうよ」と言い続けており、社内の静かな逸材を探すアセスメントは、一貫して私たちのライフワークです。「静かな」というのは、無口とか暗いということではなく「飾らず繕わずアピールもしないで粛々と任務に取り組む」という意味です。そんな人の優位性に光が当たり、お客様の驚きと喜びがはじける瞬間があるから、私はこの仕事を続けてこられたのかもしれません。

 

一昨年くらいから、その仕事のお引き合いが増えてきました。労使関係が色々と難しい局面を迎えていることの反映なのでしょうか。今年からは、採用支援の仕事と同様、そちらの方にも再度力を入れてみようと思っています。

 

お客様の組織づくりや採用を支援する中で、お客様の会社に優秀な社員が増えていくのを日々目にしているうちに、自分でももう一度多くの社員を雇用し、もう一度組織を作ってみたくなってきました。今度の思いは、昔のような「承認欲求」とは少しだけ違うような気がします。

 

そんなことを夢見つつ、還暦を迎える今年は今まで以上に多くの方と出会い、より多くの方と逸材発見の喜びを分かち合えるよう少しねじを巻き直してみようかなと、密かに思っています。

 

2020年初春

 

概念化能力開発研究所株式会社
奥山 典昭

代表プロフィール


東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。

 

卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。

 

その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。

 

歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。