この数カ月、我ながらよく働きました。マネジメント研修の形態で実施される管理職を対象としたアセスメントがこの時期に集まってしまい、年甲斐もなく激務に取り組みました。
レポート作成は「ゼロ→イチ」の世界なので産みの苦しみがありますし、1枚のレポートがその人の仕事人生に影響する可能性もあるので、それなりにプレッシャーもかかります。なので、書いている時は頭を掻きむしりたくなったり、どこかへ逃げだしたくなったりするのですが…でも、お客様にレポートを出し終えて一息つくと、あの苦しんだ時間が本当に愛おしく感じられ、次の仕事が待ち遠しくなります。
自分は本当に仕事人間なのだ、と、呆れます。
自分が仕事好きなので、どうしても仕事が好きな人を求めてしまいます。足の関節や歯のインプラントの手術を余儀なくされた時も、「趣味が手術!」と言ってはばからないような医者を何カ月もかかって探し出し、いい結果を得ることができました。趣味や娯楽に忙しい人に、自分の大切な身体にメスを入れる重要な仕事を委ねたくなかった…
そういう意味では、今の総理大臣も好きです。
彼女も言っていましたが、私も他人にハードワークを奨励したり、ワークライフバランスを否定したりすることは一切ありません。ただ、好きで仕事に情熱を注いでいる人が、あれこれ言われる世の中にはなって欲しくない、と願っています。
「これから更新頻度を少し高めなくては…」
前回のコラムでそう書いてしまったので言い訳をしようとしたら、変な方向に「筆が走って」しまいました。前置きが長くなり、すみません。ここからが、本題です。
私は社会に出て1年も経たないうちに香港に飛ばされましたが、あの「バブル景気」は、その頃に始まりました。そして5年後に帰国した時には狂乱もすっかり収まっており、出国前と変わらない空気が流れていました。
日本のビジネスパーソンが享受していた諸々の恩恵とは無縁の5年間を外地で過ごした私でしたが、一度だけその景色を覗いたことがあります。出張で一時帰国した際に、同期が夕食に誘ってくれました。連れて行かれた店は、銀座の高級な寿司屋でした。
3年前の新入社員時代には有楽町のガード下で財布を気にしながら飲んでいた奴と、なんとザギンでシース―ですよ。お勘定の時に入社4年目の若造が女将さんに「じゃあ会社に付けといてね」と言ったのには驚きました。
寿司屋を出て、ホテルのバーでまた奢ってもらい、気が付いたらもうとっくに終電が出てしまっていました。夜中の1時過ぎとは思えぬ人込みの中、彼は手慣れた様子でタクシーを止め、「はいこれ」とタクシーチケットを渡してくれました。当時の実家があった千葉の奥地まで、料金は1万円を軽く超えました。
東京のバブルを凝縮的に体感できた夜でした。彼には本当に感謝しなくてはいけません。そう言えば、その彼が酔うほどに繰り返し呟いていました。「バブルの申し子たちはやばいよ」「ちょっと注意するとすぐ泣くんだよ」「あいつらとは言葉が通じない」
3年ほどしか歳が違わない後輩と「言葉が通じない!」とは穏やかではありませんが、バブル時の新卒採用選考の異常さについては、香港にいながらも伝え聞いていました。
採用側のマインドが完全に「質より量」となり、大学生に迎合していい気持ちにさせることが採用選考活動の基本姿勢だったようです。内定を乱発する一方で、内定者が逃げないように囲い込むことが人事の重要任務になっていたのでしょう。高額なお祝い金を出したり、高級ホテルでフレンチを振舞ったり。10月1日の内定式に内定者全員を海外に連れ出す会社も珍しくはありませんでした。
そんな風にしてかき集めた人たちが、数年後には「バブルの申し子」などと称されるようになります。この時期に採用された人たちの出身大学が例年とは異なったこともあってか、その後長きに渡って差別の目で見られたりしたようです。お祭り騒ぎの中で我を忘れて人を集めておきながら、祭りが過ぎればその人たちを不良在庫のようにみなす…
本当に勝手なものです。
バブル時に採用された人たちの能力が実際に劣っていた…などということはありません。「出身大学の偏差値レベルが少し下がったから仕事をする意欲や技量も低くなる」などということもあり得ません。ただ、就活時に絶対的売り手市場の緩くて甘い空気をたっぷりと吸ってたるんでしまった精神性を、入社後に是正できなかったその人達の側にも問題があることは否定できないと思います。
また、その時期に「しっかりと人を選ぶ」という概念を意識に留め置いて採用選考に臨んだ会社はどのくらいあったのでしょうか。世の中の流れに無思考に乗ってしまい、「選ぶ」より「集める」ことを目的化して応募者たちの快適性を高めることだけに熱量を注いでしまった結果、社内に不幸な断層を作ってしまうことになりました。
バブル下の不健全な新卒採用は、採用する側とされる側の双方によろしくない結果をもたらしました。決しては繰り返してはいけない黒歴史として、みんなの心に刻まれたはずなのですが。
最近、新卒採用に力を入れている会社の経営者と接するたびに、世の中の新卒採用マインドがあの時代に近づいてきているのではないか…? という不安に駆られます。
「採用選考に向けて一番に力を入れることは?」
「いかに多くの応募者を集めるか」
「新卒採用に向けて一番不安なことは?」
「応募者から敬遠されること」
「新卒採用チームのメンバーに一番頑張って欲しいことは?」
「自社の魅力を応募者にうまく伝えること」
どれも大事なことだしお気持ちもわかります。でも、それを「一番」に置きますか? 目的があまりにも近いところに置かれ過ぎていて心配です。
「いかに生産的な人材を獲得するか」
「問題のある人物を採用してしまうこと」
「応募者の内面と向き合って、その人の本質にアプローチすること」
こんな答えを期待する私は、もはや夢追い人なのでしょうか。
歴史が繰り返されないことを祈るばかりです。
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