学生たちの思考を蘇生させる機会

インターンシップによって塗り替えられた新卒採用選考の世界


インターンシップが花盛りです。


24卒を対象としたインターンシップを実施した企業の数は、中小企業も含めた全体の6割を超えたそうですね。


採用アセスメントを内製化していただいたお客様のほとんどが、例年3月以降に新卒採用の選考を開始されていましたが、昨年は、皆さんからこんな声が聞かれました。


「今年は、新卒採用の応募者が集まらない」

「今年は、アセスメントを通過する学生がいない」


そしてその声は、季節が何度か変わっても収まることはありませんでした。


多くの学生が前年の夏頃からインターンシップに参加し、もしかしたらその年内に事実上の内定を得るような学生も少なくないのだとしたら、「3月」はもはや就活のピークが過ぎ去った後 … ということだったのでしょうか。


新卒採用選考の不調と、インターンシップの(選考の?)早期化との因果関係は定かではありませんが、きっと無関係ではないのでしょう。


いずれにしても2023年は、新卒採用選考というフィールドで、それまでとは違う世界を見せられた年だったように思います。結局、24卒の採用を諦めたお客様も多く、そんな会社のほとんどがターゲットを25卒に切り替えてインターンシップの導入に舵を切りました。


もはや本来の意味や意義が薄れた別物へと姿を変えつつ、実施時期の前倒しがどんどん進むインターンシップには、常に賛否両論がつきまといます。でも、「良し悪し」は別にして、多分この流れはしばらく止まらないでしょう。



当社もインターンシップをお手伝いしています


実は私たちも、一昨年からお客様のインターンシップをお手伝いするようになり、昨年はその仕事が更に増えました。グループ討議に取り組む参加者をアセスメントするだけでなく、その後のフィードバックによって皆さんに「一生ものの知見」を持ち帰ってもらおうというもので、他ではあまり類を見ないかもしれません。


「どんな仕事に就く人にも汎用的に求められる大事なことを伝えます」

「今後の就活にも、そして社会に出てからも、ずっと求められる大事なことです」


お客様はこんな誘い文句で学生を集めてくださるので、いつもプレッシャーを感じるのですが、「期待に応えなければ」と躍起になって取り組んできたこの2年間でした。



共通の間違いを犯す学生たち


インターンシップのグループ討議で使われる課題は、選考の時と同じく「経営問題」です。難題の匂いがプンプンする情報が並びますが、そこに触れた学生たちは、まったくビビることなく、軽やかに振舞い、たくさん発信してくれます。いつもの選考で見慣れた風景です。


しかしよく見ていると、毎回ほとんどの学生が、同じ間違いを犯します。皆が揃いも揃って明らかに間違った方向に注力するのです。これもいつもと同じです。


「グループ討議に臨む際の心構え」

「与えられた情報の読み方」

「問題解決に向けた取り組みの目標設定」

「情報の抽出と使い方」


問題解決に向かう上での重大な選択を強いられるこのような局面で、彼ら彼女たちは揃って同様の選択に走ります。そしてその選択の先には、例外なく生産性の伴わない空虚な世界があります。


誰にも指示されていないのに、大半の学生が心の奥底で「共通の間違い」を犯してしまうって、よく考えると怖いことだと思いませんか?


もしかしたら、就活指導のミスリードや日本式受験教育の名残などでそうなってしまっている部分があるのかもしれません。でももっと根本的な理由が、あるように思います。


それは、


「思考などというしんどいことに挑戦するより、楽をして見栄えの良い行動を示したいよね」という思考回避の選択が、今の多くの学生にとって当たり前になっているから…


という、実に不穏な理由です。

やっぱり、とても怖いことです。



若者の思考を蘇生させる貴重な機会に


「一番大切なことを避けて通り続けるって怖いことだよ」

「選択の習慣を変えないと、社会に出てから尊敬されないし、偉くなれないよ」

「せっかくだからこの辺で、みんなの頑張りどころを変えてみようよ」


のようなことを伝えて、インターンシップは終わります。


参加者の反応は様々ですが、私が述べた正論を「言われてみれば当たり前のことだ」と理解できた学生ほど、その表情に動揺が見られます。多くはありませんが、うっすらと涙を見せる学生も何人かいました。これまでを省み、これからを案じていたのでしょうか。


そんな様子を目にすると、少し救いを感じます。


思考しない人の多くが、心の中に思考を妨げる重大な問題を抱えていたり、「自分の心身に負荷をかけたくない」という底堅い価値観の持ち主であったりすることがわかっています。でも、インターンシップで安易な選択に走ってしまう大学生の中には、必ずしもそうではない人が含まれているのかもしれません。


「周囲に合わせて」あるいは「何かのミスリードによって」、思考する習慣を捨てようとしている人や捨ててしまった人が一定数存在するのかもしれない…という仮説を持てるようになったことは、私にとってとても大きな収穫でした。選考目的の採用アセスメントだけをやっていたのでは、そのような希望を抱くには至らなかったでしょう。


そんな人たちも、そのまま何も変えずに社会に慣れていったとしたら、いつか普通の「思考停止の人」となってしまいます。思考しようとしなくなった人を蘇らせる機会はそう多くはありません。


偶然の産物ではありますが、そんな場所で働けるようになったことを、とても嬉しく思っています。

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