いろいろ思い悩む割には考えがまとまらず発信の質量ともに低調な私の隣では、相変わらず「彼」が衰えぬパワーで討議を仕切っていました。私の中では彼の勝利は決定的になっていて、私は早々に勝負の土俵から降りていました。そして妙にピュアになってしまった私は、手許の情報紙への正対を強めていくうちに、大きなコンフリクトにぶち当たったのです。
他のメンバーは、「大きな問題が起こっている中で、どう対処すればよいか」という方法論を巡る議論で盛り上がっていたのですが、私の頭の中では「いや、そもそもその問題を受け入れてはあかんやろ」という自説への執着が強く、思考をそこから離すことができません。我慢できなくなった私は、何かに押されるように議論の中に割って入りました。しばらく口を開かなかった奴が急に出てきたので、場は一瞬シーンとしました。その静寂に少したじろぎながらも、私は思い切ってその自説を場に投げました。
すると、私の発信が終わるや否や、いかにも利発そうな女性メンバー(後で知りましたが、「一流大学→大手証券会社」のエリートさんでした)が、食い気味に言葉をかぶせてきました。
「そんなことはもう決まったこととして書かれているのですから、そこは動かせないものとして、どうすればよいかを議論すべきではないでしょうか。」
討議の流れを妨げようとする乱入者を厳しく諫めるような、そして少し呆れたような嘲笑をも含んだ、小心者の私を黙らせるには十分な威力を持つカウンターパンチでした。「この女の人も受かるのだろうなぁ」と直感的に思いました。自分がとんでもない過ちを犯したような気がしてシュンとした私でしたが、一方で釈然としない気持ちも沸き上がり、それは重視すべき前提なのか、それともその前提を変えていくべきなのかがわからなくなって、また更に深く内向しました。「こんなに頭を使ったのは何年ぶりだろう」と思うくらい思考を繰り返しているうちに、終了時刻となってしまいました。
ろくに発言もできないばかりでなく、余計なことを言って女性から叱られる醜態まで見せた私は、採否についてはもう完全に興味を失っていました。でも決して嫌な疲弊感や不快感は残っておらず、むしろ妙な充実感がありました。あんなに忌み嫌っていたグループ討議を終えて、こんなに爽やかな気分に浸っている自分が不思議でした。決して茶番などではなく、考えるに値するテーマがあり、そしてそのパフォーマンスが誰かに正当に評価されている匂いがするから嫌でないのかも、とそこまで思い至った時、1時間私たちを観察していた2人の試験監督(今思うとアセッサー)に初めて意識が向きました。
「さっきの討議から、私たちを、そして私をどう評価したのか、今すぐ教えてほしい」
という強烈な欲望が、急に燃え上がったのを覚えています。
後日談ですが、「100%落ちた!」と思っていた私は、運よくその日の選考を通過しました。ちなみに、次のステップとして開かれた最終選考会に、私が絶対合格すると信じて疑わなかった「右隣の仕切り屋氏」や、あの「エリート女性」の姿はありませんでした。1次選考通過の報に接し、アセスメントの視点が社会通念に染まった一般的な人を見る視点とは完全に一線を画したものであることを悟って、私は一人静かに興奮しました。
「グループ討議」が終わると、もうひとつのアセスメント演習が待っていました。
インバスケット演習です。
(まだ続きます)