小さな会社の採用革命=50の新常識= ② 教育で人を変えることはできない。

小さな会社の採用革命=50の新常識= ② 教育で人を変えることはできない。

仕事力について

仕事をするために必要な能力が「仕事力」です。人の奥深いところに備わっている固有の能力で、人間力や個人力などと称されることもあります。経験や知識やスキルを駆使してアウトプットに繋げる能力であり、この能力に欠けるといくら潤沢な武器を有していても生産性が高まることはありません。仕事力は、武器をうまく使う力であり、仕事をする人の原動力となるものです。いかなる場合でも、仕事の質は仕事力によって左右されます。

 

❖決して忘れてはいけない重要公式❖

経験から得た情報 × 仕事力 = 生産性

 

仕事力は、長い年月をかけて形作られます。乳幼児の時期に親から強い影響を受け、その後も多くの外的要因に揉まれ続けて、就業を開始する二十歳前後にはその人特有の仕事力が確立されるのです。例えば精神的に自立できなかった人や自分の心身に負荷がかかることを嫌い続けてきた人は、思考することを避ける習慣が染みついてしまい、思考という取り組みに舵を切ることができません。また、何らかの理由で心理的発達が遅れ幼児性を残す人は、自分以外の人の利害や心情に関心を持てないので、責任性や持続性などの利他的な意識を前提とする仕事力に欠け、自己都合で自分勝手に動くことが多くなります。このように仕事力は、心の成熟度や価値観などの人間の奥底に根付いているものと深い関係があり、性格や人格と同じく簡単に変わるものではありません。

 

「教育で社員は変わる」と信じる経営者

真面目な中小企業の経営者の多くが、強い使命感を持って社員教育に力を入れようとします。それ自体は素晴らしいことなのですが、熱い思いを持つ経営者の中には、「人は教育で変わる」と信じて疑わず、社員の仕事力に強く働きかけようとする人が少なくありません。欠けている(不足している)仕事力を何とかしようとするのです。しかしながら多くの場合その取り組みは徒労に終わります。徒労だけでなくその社員との関係性が悪化してしまうかもしれません。残念ながら、上司の教育によって思考できない社員が思考人になったり、自己中心的な社員が思いやりに溢れる人になったりする可能性は、限りなくゼロに近いと思います。

 

前述のように、仕事力は長い年月をかけてその人の中の奥深いところで培われます。昨日今日出会ったばかりの人間がそこに安易に手をつけようとするのは、少し傲慢のような気がします。人が変わることがあるとすれば、それは自分が自分の弱みに気づき、それを本気で変えようと一生懸命努力した場合だけに限られます。それでもその人の特性自体が変わることはありませんが、仕事力の欠如がもたらす行動を必死に制御し、行動を変えることで生産性や周囲からの見られ方が少しずつ改善されていくということはあるでしょう。「人は変わることができる」というのはそういうことなのだと思います。

 

人は何か強烈なインパクトを受けないと自分の弱みに気づくことができません。上司がそれだけのインパクトを与えられる人物であればわずかな可能性が開けるかもしれませんが、そこには相応の信頼関係も必要であり、ハードルはかなり高いと思います。そもそも仕事力に弱みを抱える人は精神的な弱さを抱えていることが多く、そんな人は他人からの指摘を受け入れることができる心の強さを備えていません。愛情をもって社員の教育や能力開発に注力する経営者は、本当に尊敬に値します。しかし、教育や能力開発の対象を正しくセグメントする必要もあると思います。

 

社員の経験や知識を強化することは会社の重大な責務を伴う教育です。自分の強みを発揮できていない社員の心の蓋を外してあげるための手助けは、最も生産的な能力開発的教育です。思考力が不足して目標設定がままならない社員を救い上げるために行動や取り組みのフレームを教えることも、場合によっては必要な教育と言えるでしょう。しかし、社員の属性として底堅く根付いてしまった仕事力を教育で強引に変容させようとする考え方は、明らかに合理性を欠いています。

 

教育で人は変わる」と考えると応募者に向き合うパワーが下がる

「教育で社員を変えればよい」と安易に考える経営者は、必然的に採用の際に人を選ぶ意欲が薄くなります。実はこれが大きな問題なのです。社長が元気なのに生産性の乏しい「扶養家族」のような社員で溢れている会社をよく目にしますが、これは「教育するから誰でもいい」というスタンスで採用された「困った社員たち」が、当然ながら入社後に変わるはずもなく「困った社員たち」のまま溜まっていった結果なのかもしれません。

 

個の能力を不変のものとして尊重するようになると、採用選考で応募者に向き合う熱量が劇的に変わります。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に憧れの関西に移り住み、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。 その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。 37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。 歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これで俺のラグビーとゴルフは変わる!」と、加齢という現実から目を逸らして盛り上がる。月イチで山へ芝刈りに行く日常は戻ったが、たくさん叩くのは足のせいではなかった・・・ことに薄々気づき始めた今日この頃。

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