人への興味

今年は、経営者が自分の会社を新たなステージに引き上げようとする挑戦を支援する仕事に恵まれました。特に、攻めの採用に初めてチャレンジする経営者と協働する機会が多くて新鮮でした。

 

 

 

小さな会社の経営者が人を採用しようとする時の動機は、次の二つに大別されると思います。

 

① 採用しないと業務が滞るから採用する

 

「人が足りない」

「人を採用しないと業務が滞る」

というのが、小さな会社の経営者が採用を考える時の一般的な動機です。仕事量に対して労働力が不足した時にその不足分を補充しようとする、ごく当たり前の取り組みです。「即戦力」という縛りが生まれるので、中途採用に頼ることが多くなります。

 

このような採用は、時間と戦いながらの採用を強いられることが多くなります。「今すぐ人が欲しい」という強い欲望の下では応募者を観る目が概して甘くなりますし、多少の違和感は握りつぶされます。応募者の問題行動を浮かび上がらせ入社後のリスクを明らかにしてしまうアセスメントは、このタイプの採用とあまり相性が良くありません。「見えてしまったリスクを取るのは嫌」と「でも採らないと仕事が回らなくなる」との狭間で難しい選択を迫られることもありますが、私たちはお金を頂いてアセスメントをしている以上、安易に妥協するわけにはいきません。そこで感情的かつ金銭的に折り合わなくなった経営者は、私たちから去っていくことになります。

 

② 必要に迫られてはいないが、会社をさらに成長させるために採用する

 

一方で、「今、人が不足しているわけではないけれど、会社を更に成長させるために人を採用する」という考え方もあります。既存の仕事をこなしてくれるだけの人ではなく、新しい仕事を創ったり新たな価値を創出したりできる人を狙います。無から有を産み出すための先行投資です。「雇用に必要な経費以上のお金を稼いでくれる人だけを採用するわけだから、前倒しで出ていく多少のお金は発生するにしても、その人の雇用が経営の重荷になるわけではない」というポジティブな前提の上で実施され、その能力を確実に有していると思われる人が現れるのを待たなくてはならないため、無期限の取り組みになります。このような採用を志向する経営者の多くが、人材の質にこだわり妥協無く採用選考を繰り返すことを厭わないので、アセスメントとの親和性は高いと言えるでしょう。

 

①の動機で採用に臨む経営者は、「最低限、量的生産性が担保されればOK」「質的生産性が伴えばラッキー」と思ってしまいがちです。それに対して②の場合には、採用した人に質的生産性が認められなければ採用する意味が無いと考えるので、採用のハードルは必然的に高くなります。もちろん、採用した結果が経営者の思惑通りになるとは限りませんが、採用に臨む心構えやハードルの高さの違いは、長い目で見れば必ず会社の質的成長曲線を左右します。会社を大きくしていくプロセスの中で、①の採用は間違いなく必要ですが、経営者が①の採用だけに追われて②のような採用にまったく意識が向かない場合、その会社は「目標設定能力に欠ける作業者」ばかりの集団になってしまう可能性が高まります。

 

残念ながら、小規模企業の経営者の多くが①に留まります。②に興味が無い経営者もいれば、②に移行したくても作業者の退職者が多くて①が常態的になっている経営者も少なくありません。経営者だけが頑張って仕事を少しずつ増やし、そのたびに①の状態になって人も少しずつ増やしていくような会社も多いと思います。そんな会社の採用はずっと①であり、「社員はすべて扶養家族」となってしまった経営者は、どこかで必ず疲弊し、時に破綻します。

 

成長期にある会社の採用スタンスが①から②へ移行するということは、「仕事を創るのは経営者だけで、社員はその仕事をこなすだけの会社」から「経営者と一緒に仕事を創ることができる社員を育てていく会社」に進化するということに他なりません。「継続」を前提とする会社であれば、どこかのタイミングで②に舵を切らなくてはいけないのですが、実際にはそこに至らない経営者がまだまだ多いことを残念に思います。

 

 

 

結局は、経営者の「人への興味」の有無が問われるのではないでしょうか。「社員の仕事の質」「社員の感情」「社員の本質的能力」「社員のキャリア」「社員の生活」「社員の人生」・・・、これらに興味を持たない経営者は、多分、採用に「欠員補充」以上の意味を見いだせないでしょう。そのような経営者は、給与が「作業の対価」を超えることを許しません。「マネジメント能力」や「新たな価値を創造する能力」のような人の中の深いところで作られる目に見えないものにはまったく関心が無いので、型としての職位に多少の手当を付けることはできても、能力そのものにお金を払う価値観を持ち合わせません。「人への先行投資」という概念とは対極にいるので、もちろん②の採用とはずっと無縁でしょう。

 

人に興味が無い経営者が率いる会社に、「マネジメント能力」や「新たな価値を創造する能力」を有する逸材が存在したとしても、その人たちは遅かれ早かれ辞めていきます。自分の価値を理解してくれない会社で頑張りたいと思う人などいるはずがありません。だからそんな会社には「自分で目標設定できない作業者」ばかりが増えていきます。それは成長でなく膨張です。質が低い社員ばかりの会社にいつまでも仕事が集まるほど世の中は甘くありません。膨張した会社の多くがその後萎んだり消滅したりするのは、必然だと思います。

 

人は精神的に自立すると、自分への執着を制御し、他者に心を寄せることができるようになります。したがって、いい歳をして人に興味を持てない人は、「精神的に未成熟な幼稚性の高い人」ということになります。長年に渡り自分の中で積み上げてきた特性なので、その特性の変容を期待することはできません。人に興味を持てない経営者がその欠点を指摘されたところで、自分ではどうしようもないのです。考えてみればかわいそうです。その社長の下にいる社員たちの方がもっとかわいそうですが。

 

「会社は社長の器以上に大きくならない」

 

私が好きな言葉です。「人への興味」という概念は、「社長の器」の中の極めて重要な部分を占めるのであろうと、あらためて思います。

 

 

 

ちなみに、②の考え方が身近に具現化された採用があります。新卒採用です。「他がやっているから」「ステイタスとして」などの動機で新卒採用に踏み切る中小企業も少なくないと思われますが、「会社を成長させるための戦略的採用」が本来的な意義です。当然、「質」も強く希求されるべきです。内定から入社まで一年前後もかかるこの採用形態は、欠員補充以外の採用に興味が無い会社に手が出せるものではありません。

 

以前ブログで書いたように、今年は中途採用でスタートしながらアセスメントを繰り返す中で新卒採用に切り替えてくださったお客様が三社もありました。

 

その中には、何名もの欠員が出て猫の手も借りたい状況であるにも関わらず、腰を据えて質を求める採用を貫くことを決めた会社もありました。日々の作業をこなすためにアルバイトを雇い、自らも朝から晩まで現場で汗を流しながら、将来を見据えて妥協なき採用を続ける社長には本当に頭が下がりました。その努力は報われ、三か月半にわたる採用活動を経て、二人の「ダイヤの原石」の入社が決まりました。アセスメントを文句なく通過した彼女たちは、来春の入社早々から同社に新たな価値をもたらすことでしょう。この半年苦労された分、来春からの社長には楽しいことがたくさん起こると信じています。

 

 

今年は、本当に楽しく仕事をした一年でした。もしかしたら創業以来一番楽しかったかもしれません。「経営は人だから」「人が一番大事」と口では言いながら本当は人に興味を持てない経営者で溢れているわが国にあって、格好つけず本気で真摯に人と向き合える経営者とのご縁をいただき、その人たちと「いい仕事」ができたからだと思います。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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