規律

昨日と今日、コーヒーショップチェーンのSで、二日続けてこんな体験をしました。

 

私    「ドリップコーヒーのショートをマグカップでください」

店員さん 「わかりました」

     「こちらでお召し上がりですかぁ?」

 

ちなみに昨日と今日の店員さんは別の人でした。

 

前々回のブログで「マニュアルがしっかりしているチェーンはいいね」的なことを書きましたが、前言撤回したくなりました。

 

 

 

今年は新型コロナのため、研修型の社内アセスメント(管理職への登用や社内アセッサーの選抜を目的としたアセスメント)の実施は限られてしまいましたが、昨年までは、ほぼ毎月のように顧客各社の幹部候補と目される若手社員と向き合っていました。まとまった数の社員さんたちと一日過ごしていると、その会社における社員と会社との関係性が見えてきます。

 

時に参加者全体が規律性に欠けることがあります。休憩時間が終わってもなかなか会場に戻ってこなかったり、会場を移動してもらう際の動き方がだらだらしていたり、そろいもそろって挨拶ができなかったり、ちゃんと返事をしなかったり、姿勢がだらしない人が多かったり。数年前の某IT企業における社内アセスメントでは、見学されている経営陣の前で足を組みふんぞり返って講義を受けている若い参加者が何人もいました。別の地方企業では、「十数名の参加者が集合時間になっても会場に集まらず、皆別室で煙草を吸っていた」などという不良高校生並みの幼稚性に接したりもしました。

 

社内アセスメント研修は必ず社長や役員がご覧になっている前で実施されます。そんな状況下でとんでもない行動を繰り返す社員たちに、上司への畏怖は全く見られません。経営陣がすっかり舐められてしまっていたのか、はたまた会社のことが大嫌いな社員たちの腹いせだったのか。

 

ある大手企業では、「講座の会場準備や片付けのために机を動かすのは、管理職やベテラン社員ばかり」「新入社員たちは時間ギリギリに来て、終わると先輩たちを尻目にそそくさと帰ってしまう」というショッキングな光景を連日にわたって見せられ呆然としました。何日目かに我慢できなくなって管理職の方にそのことを話すと「そうなんですよねぇ」「なかなか言いにくくて」とさらっと言われてしまい、更にショックを受けました。

 

 

これらの件は、私たちの中で「稀な例」として処理されているのですが、もしかしたらこの程度のことは当たり前の世の中になりつつあるのかもしれませんね。最近、規律や礼節の乱れに対する感度が低い経営者や管理職が多いような気がします。明らかな逸脱や問題行動に対してはちゃんと叱れるのに、「挨拶ができない」「言動がだらしない」「服装が乱れている」などには妙に寛容なのが不思議で仕方ありません。「こんな時代だから仕方が無い」「今の若い子にそんなことを言っても・・・」などと腰が引けてしまうのでしょうか。

 

水は高い方から低い方に流れます。社員の言動に目を光らせる怖い人が存在せず、制御がかからない状態になった組織は、例外なく緩くだらしない人たちの集まりになります。そしてそんな人たちから溢れ出た問題行動は、早晩、前述のケースのような形で社外の人の目に留まることになり、会社の価値を著しく毀損することになるのです。最近は「上司と部下はフラットな関係にあるべき」などと耳当たりの良いセリフを口にする経営者や管理職も多いようですが、部下を正しく「叱れない」「制御できない」上司にマネジメント主体者としての存在意義はありません。

 

「挨拶ができる会社」には挨拶の文化があります。「礼儀正しい会社」には、礼節を重んじる文化があります。そして、それらの文化を作り伝えるのが社員教育です。少し前までは自分の好きなように生きてきた若い社員たちに、会社の価値を守るための考え方や動き方を知識として教え、それが本当に身に着くまで管理し続けることが、社員教育の本質だと思います。

 

 

お客様のオフィスで採用アセスメントを通過して入社した社員と久しぶりに顔を合わせた時に、「あぁ、甘やかされちゃったな」と感じることがよくあります。採用アセスメントの二次選考や新入社員研修で引き締まった表情や規律性の高い言動を目にしていただけに、その少し緩んだ立ち居振る舞いにがっかりしてしまいます。

 

凄い倍率のアセスメントを通過した人でも、ごく一部の精神的な自立度が極めて高い人以外は、甘やかされればふやけますし、ちやほやされればいい気になります。「アセスメントを受かった人だよ」という評判が事前に社内に広がり、社内の期待値が高まるのは仕方が無いことですが、人生の先輩が後輩に腰が引けたり遠慮したりするなんておかしな話です。まして「特別扱い」などもっての外です。上司は上司らしく、先輩は先輩らしく、社会人の掟をたくさん教えてあげて欲しいと思います。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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