演繹法と帰納法

演繹法と帰納法

マスクありのアセスメントが始まり、アセッサーが応募者から得られる情報が減ってしまいました。私たちプロアセッサーはそれなりに引き出しを持っているので、新たな視点や考え方を持ち込んで対処することができますが、短期間で育成された社内アセッサーの皆さんにとっては大問題です。

 

そのため私たちは、減ってしまった情報を補うため、社内アセッサーの皆さんに新たな視点を伝えることに力を入れました。「ここだけを観てくれれば大丈夫」の「ここだけ」の範囲を少し広げて、「頑張ってここまでは観てください」とお願いしたのです。

 

社内アセッサー養成においては、「応募者の発言内容は参考程度にして行動の方に着目してね」「行動や表情に違和感を抱いたら、それは大事にしてね」と、ずっと言い続けてきました。しかし、「顔が見えない」で書いたように、マスクのせいでその違和感を得にくくなってしまったのですから、方針を少し変えなくてはなりません。そこで、それまではほぼスルーしてもらっていた応募者の発言内容に少し向き合っていただくことになりました。

 

 

発言内容への向き合い方はいろいろあるのですが、例えばグループ討議に臨んだある応募者がA4二枚の紙にびっしりと記された膨大な情報の中から、「G社の若手社員の中で退職者が増えている」という一文を取り上げてこんな風に発言したとしましょう。

 

「退職者が多い会社は採用に問題があるから、G社は採用に問題があるはずです」

 

その人は、たった一つの情報に反応し、「退職者が多い会社は採用に問題がある」という自分の中にあった理論にくっつけて、「G社は採用に問題がある」という結論を出しました。

 

しかし、その紙には以下のような情報も書かれていました。

 

「G社では慢性的な過重労働が発生しており、社員の残業時間が長い」

「G社では工場の現場に入りっぱなしで自分の席にいない管理職がほとんどである」

「G社の人事制度は年功序列の色合いが強く残っている」

「G社では目標管理制度が導入されているが、ほとんど機能していない」

 

これらの情報たちを頭の中で繋ぎ合わせてみると、「G社において管理職は熟達作業者と位置付けられ、この会社は管理職にマネジメントを求めない体質があるようだ。若手社員が自分の将来に希望を持てなくなるのも当然だろう」のような仮説を導くこともできるのです。

 

「採用に問題がある」と語った応募者は、一つの情報だけに反応して即座に結論を出しました。他の情報を全部捨ててしまったその人は、問題の全体像をイメージできないままその本質から離れた場所で動いていた可能性が高く、退職者が多い理由もどうやら見当はずれのようです。地道に情報を積み上げていけば、G社が抱える構造的な問題を明らかにすることができるし、退職者増加の原因がそこにあることも推察できるのに。

 

 

採用アセスメントのグループ討議では、応募者の大半が、与えられた情報の中からごく一部分だけを取り上げ、そこから先は自分の中だけで理屈を作り上げようとします。思考意欲を持つ人は、本能的に情報を集めようとしますから、「一つの情報だけに飛びつく」という行動を繰り返す人は、たぶん「思考しない人」なのでしょう。この視点は、「思考する人」を探さなくてはいけない社内アセッサーにとって大きな武器になります。

 

ただ、このような「発言内容に着目するアセスメント」は、常に危険を伴います。発言は応募者によって操作されやすいので、私たちは操作されることの少ない習慣的な行動のみを取り扱うことをアセスメントの鉄則としてきたのですが、今の時期だけ限定的に「取り扱い可」としたのでした。

 

この「解禁」により社内アセッサーが視点を発言内容にシフトし過ぎてアセスメントが荒れることを心配しましたが、養成期間に応募者の「言葉」に散々騙されてきた皆さんだけに、抑制的なアセスメントは概ね維持され大きな綻びは見られませんでした。

 

 

 

ちなみに、「G社は退職者が増えている」(新たに得た情報)➡「退職者が多い会社は採用に問題がある」(自分の中の一般論)➡「G社は採用に問題がある」(結論) のような情報処理を演繹法といいます。一方、情報を集めて「会社の体質が・・・」という新たな概念を産み出したようなやり方を帰納法といいます。

 

ロジカルシンキング(論理的思考)は、演繹法と帰納法という二つの基本パターンから成り立ちますが、情報をたくさん集めなくてはならない帰納法に対して、演繹法には、対象から一つだけの情報を捕まえればあとは自分の持ち物を使って何とかなるという側面もあります。何らかの理由で対象に向き合いたくない人が、自分の中に豊富な理論パターンを持っていたとしたら、その人は迷わず演繹法に逃げるでしょう。その場合、対象からは遠く離れたところで理論が走ることになりやすく、その理論は概して実効性を持ちません。

 

演繹法と帰納法は本来セットで機能すべきものなのですが、「情報を集積する」という帰納法の取り組みを早々に放棄し、経験知に依存して安易な演繹法に走る人ばかりが目立ちます。学力の高い人ほどその傾向が強くて切ないです。私たちは、帰納法を実践できる人を「思考力のある人」と称して、日々探しています。それができる人の中には、経験や知識が薄く演繹法に弱い人も少なくありませんが、今はそれが必ずしも弱みになるとは限りません。昨日と同じ今日が来ない時代においては、未知の場面での対応力が何よりも求められるからです。今、目の前にあるものに向き合う能力さえあれば、必ず何とかなります。

 

 

 

先ほど「大きな綻びは見られませんでした」と書きましたが、小さな綻びは散見されます。

 

応募者のそれらしい発言を捉えた社内アセッサーが、その人を「よく考えている」「全体を見ている」「掘り下げている」などとアセスメントしてしまう、これまでには見られなかった場面が各社でちらほらと出てきました。発言内容に少し目を向けるよう指示されたとたん、演繹法を濫用する応募者のキラキラした発信に目を眩まされてしまったのでしょう。

 

「発言の内容から思考力を高く評価するアセスメント」だけは、どんなことがあっても許されません。これは、普通の採用面接でも同じことです。これをやってしまうと、「学力は高いけど思考が停止している人」をどんどん入社させてしまうことになり、会社の中が「未知の場面では自分で動けない人」で溢れてしまいます。

 

アセッサーも人の子ですから、時には楽をしたくなります。あれこれと行動情報を処理するよりも、目立つ発言と「こんなことを言える人は思考力があるはず」という自分のルールとだけを絡めて演繹法を気取れば楽ですもんね。でも残念ながら、人の人生に関わることをやっている以上、楽をしようと思ってはいけないのです。アセッサーは、常に帰納法の人でなければいけません。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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