志望動機

某地方都市に、もう八年ほど前に私たちが採用アセスメントの内製化を支援し、以来、多くの社内アセッサーを抱えて採用アセスメントを毎月のようにがんがん実施している中堅企業があります。その地方では独り勝ちを続ける高収益企業であり圧倒的採用勝者である同社は地域社会から一目置かれる存在ですが、そこでチーフアセッサーとしてアセスメントの現場を引っ張ってきた人事課長が、就活サイトの人事ブログにこんなようなことを綴っていました。

 

無理にかっこいい志望動機を作らなくても、志望動機に優劣はないから大丈夫だよ。

「土日休み」でも「家が近い」でも「ボーナスがいい」でも「何となく」でも全然OK。

家が近い人・・・ うちに来ない?

 

一見、優しげで鷹揚で緩~い言葉が並びますが、この人は列をなして応募してくる応募者のほぼ全員と真剣勝負で向き合い、そのほとんどに容赦なく✖を出している実に怖い人なのです。アセッサーとして応募者の本質と向き合い続けているので、志望動機なんてどうでもいいのでしょう。希少な逸材と何とか巡り合うために、とにかく選考母集団を増やしたいから間口を広げようとしているのだと思います。余計な情報に目を奪われずに人を見極める技術を持つ採用者にしか言えないことですね。私も応募者が書いたり語ったりする志望動機には全く興味がありません。本当の志望動機は、入社してしばらくするとだんだん滲み出てくるものです。面接用に用意された志望動機にあまり意味はありません。

 

かくいう私も創業してからしばらくは、「奥山さんの理念に共感しました」「この会社で世の中を変えたいですぅ」などという美しい志望動機に接すると、つい嬉しくなってほいほい採用していました。でもその人たちは、入社後しばらくすると例外なく面接時とは別の人になっていました。「世の中を変える前に今日の仕事をしてくれぃ」と、私は心で叫んでいました。「やたらと理念を語りたがる人は、日々の泥臭い取り組みに汗をかくことを嫌うのだ」という行動分析の公式が、当時の私の腹にはまだ落ちていませんでした。

 

そんな自業自得の過ちを何度か繰り返して、さすがに私も「情実採用」を反省しました。そして創業六年目にして初めて応募者を集め採用アセスメントを実施しました。それまで六年間も自社商品を自社の採用に使わなかった理由は、私の中で「うちの会社に強い思いがある人を採用しなくては」という執着が強すぎたからでしょう。「自分には人を観る目がある」という妄想もあったのだと思います。その時高倍率を突破した人は、今年で在籍15年目になりました。あの時執着を捨て妄想を断ち切って科学的採用に舵を切らなかったら、彼女とは間違いなく縁がありませんでした。「当社の歩み」でも触れましたが、彼女を採用できていなかったら、この会社が今のような形で存在することは無かったかもしれません。

 

採用アセスメントの翌日にあらためて彼女を呼んで実施された、最終面接での会話です。

 

「なぜ、うちの会社を志望したのですか?」

「あの、求人がハローワークに出てたので」

 

「うちのHP見てきましたか?」

「・・・見てません」

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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