今年は、三月から五月に予定されていた仕事がすべて六月以降に延期となりました。「不要不急」とはみなされなかったからなのか、中止になった仕事はありませんでした。本当に有難いことです。七ヶ月分の仕事が四ヶ月に詰め込まれたのでそれなりに忙しい日々でしたが、十月に入り通常運転の日常が戻ってきました。
六月にアセスメントの仕事が再開され、当たり前のように国内各地に出向くことになりました。そして当たり前のように新幹線やあずさに乗っていましたが、いつもほぼ貸し切り状態でした。その頃は新型コロナに関する情報も薄かったので、緊急事態宣言や移動制限が解除されたとは言っても、まだ世の中は自粛ムード一色でした。私は誰もいない車内をぼんやりと見渡しながら、「ビジネス客はすぐに戻るだろう」などと考えていました。
そして九月になったばかりのある日、私は関西への出張で約一か月半ぶりに新幹線に乗りました。平日朝の「のぞみ」は通常なら出張客で埋まります。しかしホームや車内が閑散としている様子は、前回(七月)のそれとあまり変わっていませんでした。さすがに「貸し切り状態」ではなくなっていましたが、私が座る最後方の座席からは人の頭がちらほらと見える程度で、どこからも声のかからない社内販売のお姉さんが何度も所在なげに私の横を通り過ぎました。一週間後に再度東京と京都を往復しましたが、状況は同じでした。
企業の出張自粛はまだ続いていたようです。あの疫病の正体が少しずつ見えてきた中で、国は経済を回すためにリスクを取り、お店は生きていくためにリスクを取り、国民は日常を取り戻すためにリスクを取り始めているのに、一ミリのリスクをも取らずにずっと続けてきた大事なことを止めてしまう企業は、どこを向いて何を守ろうとしているのでしょう。それとも、これまで「本当は必要ないこと」をやっていたということなのでしょうか。
出張や営業で客先に出向くのを止めてリモートに切り替えても、そのことですぐに業績が落ちたり問題が顕在化したりするわけではありません。そこで目に見えない大事なものがたくさん失われていることに気づこうともしない経営者や管理職ほど、「なんだ、アフターコロナもずっとリモートでいいじゃん」と安易に考えるでしょう。私はこれが一番怖いことだと思います。今回の惨禍が「できれば人に向き合いたくない人たち」の都合の良いように利用されることは、決して許されません。そうでなくても人に向き合う文化が薄いわが国にそのような変な流れができてしまったら、国難はさらに深まります。
今週、一か月ぶりに関西へ出張します。とりあえずは新幹線の乗客が増えていることを願っています。