╂ 処方箋の解説 ┛ おわりに(後編)

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就活生の心情に向き合いきれない大人たち

未知なるリスクへの恐怖が強まる中で、「未だに対面面接をやっている会社なんて、きっとリスクマネジメントの意識に欠ける会社だから行きたくない」と考える就活生が一定数存在するのは当然だと思います。しかし一方で、対面の説明会や面接で志望企業に触れる機会を奪われて辛い思いをしている学生がたくさんいることを忘れてはいけません。

 

まだ新型コロナがそれほど深刻な状況になる前の三月上旬、感染予防対策を徹底して新卒採用説明会の実施に踏み切った何社かのクライアントさんからお話を伺うことができました。「こんな時期に学生が集まってくれるのだろうか」という不安は見事に杞憂となり、どの会社にも例年の何倍もの参加者が集まったとのこと。その頃既に新卒採用企業の中に説明会を延期したりオンライン説明会への転換を図ったりする動きがあった中で、多くの学生がリアルな説明会を求めて実施企業に流れたようなのですが、学生が残したアンケートには会社への感謝の言葉が並んだそうです。

 

「こんな時期に説明会をやって下さって本当にありがとうございます」

「今日ここに来ることができただけで気持ちが楽になりました」

 

学生たちがいかに心細い日々を過ごしていたのかを思うと心が痛みます。そしてその心細さはその後数か月にわたって増幅され、そこに焦りと不安と恐怖が加わって、誰もが精神的にきつい日々を送ることになりました。自分が人生を預ける会社を肌で感じられないことへの不安や、そして自分をしっかり見てもらえず知ってもらえないまま大事なことを進めなくてはならないことへのジレンマ。多くの就活生のそんな心情に寄り添うこともせず、「オンライン採用選考でなければ嫌」をあたかも就活生の集約的な声のように喧伝するメディアは、人に向き合わない文化の象徴なのかもしれません。

 

 嵐が過ぎたら、それまでできなかった分まで存分に学生たちと向き合ってあげることが、すべての採用企業に求められるはずなのですが、どうやらそれができる企業はかなり限定されてしまうことになりそうです。

 

人に向き合う会社でなければ生き残れない時代

この春、世の中は未知の領域に入りました。そんな時には、人の本質が現われます。職場でも、多くの人のメッキがはがれてしまったのではないでしょうか。色々なことを知っていて頼りがいがあると思っていた人が、実はまったく自分で動けなかったり、会社思いのように見え「いつかは自分の右腕に」と期待していた人が、急に自己中心的になり自分の権利ばかり主張し始めたり。「今まで通りやっていればいい」という安定や安心が脅かされ、目の前に未知の場面が広がった時、ひとりひとりの本当の力が問われます。

 

平時の時に、それらしいことを言い、それっぽい行動を見せていた人たちの多くが、有事となると、自分の言動を整然と保つことができなくなります。一方、「思考力」と「人のために動く力」を備える数少ない人たちは、未知なる有事の時でも自力で動き生産性を創出してくれます。

 

完全なる平時はしばらく戻ってこないでしょう。これからは未知の場面で動ける「逸材」を持つことが、これまで以上に企業にとっての絶対条件となります。そして、それができない企業は、社内に生産性を生むための原動力を持てなくなります。社員や応募者と向き合って、逸材を大切にし、より多くの逸材を会社に招き入れないと、早晩、会社はエンジンの無い車になってしまいます。「人に向き合わない文化」を持つ会社は、おそらくいつまでたっても逸材を逸材と認識することができないでしょう。人に向き合う会社とそうでない会社との間で、企業力に極めて大きな差が付いてしまう時代がやってきています。

 

「人に向き合う」というのは、人が発する情報を自分の中に取り込もうとする行動のことです。人が思考するためには情報という材料が必要になるので、「人に向き合う」という取り組みは、思考しようとする人の初動となります。

 

人に向き合わない人事は、社員や応募者の行動や能力に関する情報を自分の中に取り込むことができないので、それらについて思考することができません。思考停止になった人事がとりあえず組織作りや採用に向けて前に進むためには、何かに依存しなくてはなりませんが、多くの場合その依存先は、わが国の人事に古くから根付く社会通念です。

 

例えば、「応募者を学歴や経験などでステレオタイプに括り、発信技術や対人テクニックに秀でた者を好む」採用や、「属性としての仕事力(マネジメント能力)より社歴や経験知を重視する」人材配置などは、今でも日本中の経営人事の現場で普通に行われていることであり、それを変えようとしている会社をあまり見かけません。一度現場に根付いてしまったものを払拭するには、二十年や三十年では足りないということなのでしょうか。

 

日本特有の人的資源管理の中で育った社会通念が、今も多くの企業経営者や人事関係者の思考と行動を縛り付けています。それらの中には、今日の現状とまったくそぐわないものも多く、よく考えれば誰でも否定できるはずなのに、多くの人がそうしようとはしてきませんでした。人に本気で向き合う人事が求められている今、その呪縛から解放され自分の頭で正論にたどり着く努力が求められています。このブログがその努力の一助になれば幸いです。

 

 

さて、アフターコロナの世の中はどうなっていくのでしょうか。状況が本当に落ち着くまで、人に向き合わない文化を更に強化しかねない「新たな生活様式」が求められるのは仕方がないのですが、そのことが人に向き合いたくない人たちによって長々と利用され、金科玉条のごとく奉られ続けて、本当に大事なものが失われ続けることだけは、世の中全体で阻止しなくてはいけません。

 

そうしないと、この国が今まで以上に、人に向き合わない国になってしまいます。

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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