╂ 処方箋の解説 ⓴ ┛ 応募者の思考力を知る(後編) 

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情報の扱われ方と増え方を観察する

一次選考アセスメントのグループ討議を担当する社内アセッサーが応募者の思考を見極めようとする時は、前述のような行動分析の手法を使います。そして、精神的に自立し「思考できる人」である可能性を持つ応募者を、私たちプロアセッサーが担当する二次選考アセスメントに送ってくれます。二次選考アセスメントでは、「上司の役割を背負った応募者が部下役に扮するプロアセッサーを説得する」という設定の「面接演習」を実施して、応募者の思考力を別の角度から確認することになります。

 

グループ討議では社内アセッサーに思考しない人特有の行動を観察してもらっていますが、面接演習では情報の扱われ方と増え方に視点を絞ります。アセスメントの対象を行動から情報に移すということは、論理誤差を招きやすいという理由で社内アセッサーには取り扱いを禁止している「応募者の発言」に、敢えて向き合わなくてはいけないことを意味します。

 

私たちは、部下役が発した情報を応募者がどう処理するかに視点を絞り込むのですが、部下役が話したことが応募者の中に取り込まれたか否かは、応募者の次の発言の中に直前の部下役の投げた情報がどれくらい反映されているかを、注意深く観察すればわかります。

 

応募者の説得に対して部下役は一生懸命自分の都合や心情を訴えます。すると大抵の応募者は相手の目を見てうんうんと頷き、「聞いていますよ」という姿勢は見せてはくれます。でも、部下役が話し終わったとたん、部下役が言いたかったことや聞いて欲しかったことにはまったく触れずに「それでは」とか「さて」などと別の話を切り出す応募者が少なくありません。そんな応募者は、きっと相手が話している間中、次に自分が何を言おうかだけを考えていたのでしょう。そこまではひどくなくても、部下役の話した内容の全体像や本質を全く理解しようとしないまま、耳に残ったひとつの部下役の言葉にコメントを添えるだけの対応を見せる応募者など、相手が発する情報をしっかり自分の中に取り込めない人たちが、残念ながら多数派を占めてしまいます。

 

また、私たちは、応募者が保有する情報の増え方にも着目します。応募者は、まず与えられた課題を十分間読み込んでから面接演習に臨みます。スタートの時点で応募者が持っている情報は与えられた課題の内容だけですが、そこから始まる面接時間の十分間の中で、部下役から発せられた情報に触れることができます。その中で相手が発した情報を自分の中に取り込めたなら、当然ながらその応募者の保有情報は増えていきます。始めに与えられた情報によって作られたイメージが、相手からもらう新たな情報によって変容し、時には利害対立の葛藤を産みます。当初の戦略や方針も当然変更を余儀なくされることもあるでしょう。これが人と対面してコミュニケーションを取ろうとする人のあるべき姿です。

 

しかし実際には、最初から最後まで保有情報を拡充できない応募者を、私たちは連日目にします。そんな人たちの頭の中には面接開始直後から終了直前まで新しい情報が全く取り込まれず、当初自分が描いたイメージや戦略や方針はまったく形を変えることがありません。そして、相手が何を言おうがどんな表情を見せようが、ずっと同じスタンスで同じことを言い続けます。

 

「相手からもらった情報をどう使い、自分の中でどう増やしていくか」という視点での観察は、応募者の思考力を見極める取り組みの中で最も本質的です。情報に向き合い受容できないと、思考は始まらないからです。情報を自分の中に取り込めないと、思考の材料が自分の脳に供給されません。その重要プロセスをわかりやすく見せてくれるのが対人場面なので、私たちはもう後がないアセスメントの最終局面にこの視点を持ち込むのです。

 

集団場面でも

あちらこちらから軽重取り混ぜた発信が時に無秩序に乱れ飛ぶ集団場面よりも、一対一の対人場面の方が情報の使われ方が見えやすくなるのは確かです。しかし、グループ討議のような集団場面でも、この視点を使える場合があります。

 

思考する人は、本能的により多くの情報を欲しがります。逆に言えば、情報を欲しがらない人は、思考できる人である可能性が極めて低くなります。思えば、グループ討議で課題の書かれた紙に目を落としたままじっと内向している人に「もしかしたら思考の人かもしれない」という期待を抱くようなアセスメントをしていた時期が、私たちにもありました。でも今では、表情や言動に開放感を欠く人や他のメンバーからの情報を欲しがらない人がアセスメントを通過することは、ほとんど無くなりました。そのような人たちが概ね「硬い表情や顔つき」の持ち主であるということも、経験的にわかってきました。

 

思考できる人は、グループ討議の間中ずっと新しい情報を欲しがります。課題の書かれた紙を理解しようと努めている時でも、他のメンバーから新たな見解が出されるとそちらに興味を示し、その情報を自分の中に取り込もうとします。この繰り返しが、前回のチェックリストの中で記した「内向と外向を繰り返す」です。これは、アセスメントの設定のかからない普通のグループワークの中でも比較的よく見られます。「外向」しているように見えても他のメンバーの方に顔を向けるポーズだけの人や、「内向」しているように見えても理解できずに困っているだけの人など間違えてしまいやすい対象も多いので、優先的な視点として使うことはあまりお薦めできませんが、思考できる人は必ず人の意見に向き合うものだということだけは、知識として頭に留め置いていただきたいと思います。

 

情報弱者

情報弱者というIT用語があります。情報に的確にアクセスできず情報を活用できない人を指す俗称で、ただ知識の無い人を意味するわけではないようです。要するに思考できない人のことを言っているわけですが、この春、この概念がクローズアップされてしまいました。

 

未曽有の有事の中で、自分で色々な情報を仕入れてそれぞれを精査検証したり、それらの情報を取捨選択して自分の考えを持ったりすること無く、その時々に大きくなる声や圧力にただ翻弄され続けてしまった人が少なくなかったように思います。誰にとっても未知の世界に入ってしまったのだから仕方が無いとも言えますが、情報を潤沢に持って正しく処理をする人であれば、根拠ある自分の基準を導いて正しく怖がることができたでしょうし、少なくても不当に他人を攻撃したり、周囲をミスリードしたりすることはなかったでしょう。

 

またマスメディアやSNSから発信される他人の発言の質が、これまでにないほどナーバスに問われた日々でした。多様な可能性やリスク、そして色々な人の立場や感情が勘案され、利害相反の難しさを踏まえて葛藤と共に産み出された発信は、静かながら力強く重厚なものになります。一方、限られた情報だけに反応し、対立概念に向き合ったり根拠を強化したりすること無く結論に到達してしまった人の発信には、いつも嫌な圧を感じました。聞く人が好感を抱くか不快に思うかの違いは、その情報処理プロセスの差から生まれます。それまではあまり目立たなかった「使える情報量の差」が、多くの人に周知されてしまいました。

 

これからの世の中、更なる未知領域が広がることは間違いありません。思考しなくても経験と知識だけで何とかなる場面は、この先急激に減っていくと思われるので、情報を多く使える人と「情報弱者」との差は、さらに広がります。

 

仕事ができる人はもちろん、頼りになる人、優しい人など、その人がいることで良いことが生まれるなら、その人は生産性の高い人です。そして、生産性の高い人は例外なく多くの情報を使いこなせます。自分や会社を守るために人を観ようとする時、「使われる情報量」という視点の重要性を頭の片隅にでも留めておくと、きっと困った時の助けになります。「情報弱者」という言い方にはどうしても嫌なものを感じてしまうのですが、その負のインパクトが「そんな風になってはいけないよ」という戒めの威力を持つのであれば、その言葉にも存在意義はあるのかもしれません。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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