╂ 処方箋の解説 ⓴ ┛ 応募者の思考力を知る(前編) 

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採用選考時に応募者の思考力を知ることは、果たして可能なのでしょうか。

行動分析で思考停止の原因となる心の歪みが否定されれば、思考できる人と推察されます。

 

 

 

痛恨のアセスメントミス

十年以上前のことになります。まだ私たちが内製化支援を始める前で、一次選考アセスメントのグループ討議も私たちが担当していました。当時は二次選考アセスメントが始まる前に、一次選考を通過した学生に対して「この会社が採用選考にアセスメントを使っている理由」や「今あなた方がここにいる理由」などを私が伝える時間を取っていました。

 

ある日ある会社で二次選考アセスメントを実施した日、いつものように私は学生たちの前に立ちました。一次選考アセスメントを通過した学生たちは誰もがそれなりの雰囲気を漂わせていましたが、その中でも一人の学生が特別に目立っていました。他の学生より表情が開放的で、私の話を漏れなく吸収しようとしているように見えました。そして彼は、私の話のひと段落ごとに、笑みを浮かべながら大きく頷き続けてくれたのです。

 

その時の私たちは、既に「過剰な頷きや相槌は、承認欲求や自己顕示欲の露呈であり、精神的に自立しないことを疑える」という公式を携えてはいました。でも私はその行動をキャッチしていながら、「私の言うことに深いところで納得したからだ」と、自分に思い込ませ、リスクマネジメントの意識を高めることはありませんでした。

 

一次選考のグループ討議で、彼はオピニオンリーダーの役割を担い、常に彼が議論の流れを作っていました。私たちはその頃から「経験や知識をそのまま持ち込んで発信する」という思考停止の学力秀才によく見られる行動を警戒してはいたのですが、当時の私には彼の言っていることが概念化の産物であるように思えてしまい、私は彼を思考力の持ち主であると判断して一時選考を通過させたのです。

 

そのグループ討議での評価がバイアスとなって、私はあの危険な行動情報を揉み消してしまいました。

 

確立されてしまった高評価がその直後に実施された二次選考アセスメントで崩されることもなく、彼はアセスメントを通過し、社長面接も通過して内定が出されました。彼が高学歴の持ち主だったことも、会社側の遅滞なき意思決定を後押ししました。しかし入社後しばらくすると、その会社から彼の問題行動に関する報告が入り始めました。どれも著しく思慮を欠いた短絡的な行動のようでした。彼は健全な思考力の持ち主ではなかったのです。いつしかプチモンスターのようになってしまった彼は、一年ももたずに会社を辞めてしまいました。

 

十数分間に渡って繰り返されたあの頷きは、後から考えると明らかに「あなたの言うことをこんなに理解できる私を認めてください」という自己顕示欲と承認欲求を満たすための行動でした。グループ討議で私には見つけられなかった「精神的に自立しない人の行動」をあんなにはっきりと見せてくれていたのに、そこで立ち止まれなかった私は最後のチャンスを失ったのです。あそこで立ち止まれていれば、グループ討議を再検証できたでしょうし、二次選考にももっとリスク意識を高めて臨めたでしょう。思えば、彼の再三の頷きが私の承認欲求をくすぐったことも、あそこで私が立ち止まれなかった一つの要因でした。グループ討議でリスクが見えなかったことは仕方が無いにしても、こちら側の承認欲求が招いたミスでお客様に精度の低い情報を出してしまったことが恥ずかしく、お客様に本当に申し訳なくて、しばらくはかなりへこみました。その後、自分の中でバイアスへの警戒が強まり、応募者のすべての行動に対して一期一会の正対を徹底する意識が根付きましたが、あまりに高すぎる授業料でした。

 

発言が生まれた経緯は本人以外の誰にもわからない

「発言内容ではなく行動を観察しなくてはいけない」というのがアセスメントの大原則であり、私は、部下や外部のアセッサーの人たちにそのことをしつこく指導していました。しかし、その自分がルール違反を犯してしまうことがそれまでにも何度かあったように思います。グループ討議の課題は私が作るのですが、私が課題文の中に潜ませた本質的問題点にアプローチする応募者が出てくると、つい嬉しくなってしまいます。その頃は嬉しくなるだけに留まらず「思考力が無ければそこまで辿り着けないはず」などと気持ちが盛り上がったりすることもありましたが、そのような心の火照りがアセスメント全体に影響したこともあったのではないでしょうか。そして、私のその危ない部分が、あのアセスメントミスに繋がってしまいました。あれ以来今に至るまで、私はアセッシーの発言内容への感情的反応を一切封印しています。

 

通常の採用選考では、多くの場合、試験官の価値観や好みによって応募者の発言内容が評価されます。自分が正解と思うことや自分の期待通りのことを言ってくれたら「あの人は思考力がある」となってしまうのです。アセスメントのプロでさえ、自分の心と戦い続けないと自分都合のアセスメントになってしまうのですから、訓練を受けていない試験官がこうなってしまうのは無理もないことかもしれないのですが、それを続けていたのでは採用ミスの無限ループは止まりません。

 

考えてみれば、今話したことの内容が「思考した結果」なのか「どこからか引っ張ってきたもの」なのかなど、本人にしかわかりません。応募者が発した論理的で妥当性が高そうなその発言は、もしかしたら思考の賜物なのかもしれませんが、たまたま数日前に読んだ本に同じような概念が記してあったのかもしれないわけで、本人以外がその発言が生まれた経緯を百パーセントの精度で知ることは不可能です。だから、人が発した言葉からその人の思考力を見極めようとする取り組みは一か八かのギャンブルになります。ギャンブルは真面目なリスクマネジメントには似合いません。「そうは言っても」と、応募者の発言内容に心を残す癖を治そうとしない人は、いつかあの日の私のように情けない思いをすることになります。

(中編へ続きます)

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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