会社と応募者双方の負担軽減に向けて、採用選考プロセスの簡略化を検討しています。
リスクマネジメントの命綱である行動分析の貴重な機会を、安易に手放すべきではありません。
行動が人の能力を表現する
人の能力を最もよく表現するものは行動です。行動を観察して行動情報を適切に処理すれば、その人の本質的な能力がわかります。人から得られるその他の情報としては「話したこと」や「書いたもの」があり、それらの方が、行動情報よりもわかりやすい実体があるので取り扱いは便利です。しかし、それらにはその人の本質以外の色々なものが混じるので、そこからその人を知ろうとすると少なからぬ誤差が生まれます。だから、人を採用しようとする企業が応募者の本質を知りたいと願うなら、その企業は採用選考の場を行動分析の機会と位置付けるべきだと思います。
しかしながらわが国の採用現場では、応募者の行動に集中して向き合おうとする空気はそれほど感じられません。どちらかというと、応募者の「話したこと」や「書いたもの」を重視し、その内容を採否の判断材料にしようする採用関係者の方が多いような気がします。応募者の行動に向き合い応募者を見極めることの難しさを誰もが経験的に知っていて、早々に諦めてしまっている人が多いからなのでしょうか。確かに人が人を見極めるという取り組みは容易ではありません。「どうせ人なんか採ってみなくてはわからないのだから」と正攻法で取り組むことを避けたくなるのもわかります。そうさせてしまっている主な要因が二つあります。
人を行動分析から遠ざける理由
1.行動と能力の因果関係の公式を正しく理解している人が少なく、また理解したとしても行動を正しくキャッチして公式に落とし込めるようになるには相応の訓練が必要だから。
これは、人の行動を観察しようとする側の、知識と技量の問題です。今まで多くの人を縛り付けてきた旧来の通念を振り払い、この本で述べているような行動と能力の因果関係を学び、より多くの行動情報を結び付けた上で「こんな人なんだ」という評価を導く訓練を重ねることで、この問題はクリアできます。「それが難しいのだよ」と言われてしまいそうですが、本当にやろうと思った人が、本当に真面目に取り組めば、人を見極めるためのスキルを備えることまでは可能です。手前味噌な話になりますが、当社が採用アセスメントの内製化を支援した会社の社内アセッサーの皆さんは、そのレベルにまで達しています。
2.人の本質的な能力を示す行動ほど観察者の目に見えにくくなるうえに、そのような重要な能力が普段から顕在化することは少ないから。
しかしこちらの方は少しやっかいな問題です。人の能力には、見えやすい能力と見えにくい能力とがあります。見えやすい能力は、自分の頭の中にある経験や知識を引っ張り出す力や即座に情報に反応できる力などで、その多くが作業領域で求められる力です。どちらかというと派手でわかりやすくスピード感を伴う行動によって示されるので、見えやすいのです。見せようとしているものだから見えやすいのだという一面もあります。
一方、見えにくい能力は、ずばり思考力などのマネジメント能力がそれにあたります。動きが大きく識別しやすい行動として現れることが少なく、その持ち主は自分の能力を人に見せようという意識を持たないので(自己顕示欲が薄いので)、当然見えにくくなります。また、マネジメント能力は問題解決能力なので、何か問題が起こっている有事の時でないとその姿を見せません。採用選考の際に、応募者の入社後の生産性を予測したければ、このマネジメント能力と向き合うしかないのですが、採用側は常に見えにくい上にあまり現れないものを対象としなければいけないという理不尽に晒されます。
採用面接は応募者を見極める場にはなり得ない
採用選考の場では、とにかく有益な行動情報をいかに集めるかが問われます。しかし、情報化時代に生まれ育ち就活対策も万全の大学生たちにとって採用選考の場は「有事」とならないようで、その人の本質が覗くような行動をなかなか見せてくれません。採用アセスメントの場には、応募者のマネジメント能力を示す行動がたくさん集まりますが、それは応募者の行動特性を凝縮する仕組みが機能しているからで、通常の採用選考の場では応募者の「観るべき能力」がなかなか集まらないのが現実です。昔から採用選考を企画する人はそのことを感覚的に理解していて、何とか短時間の採用選考の場で有事を創り出そうとしてきました。例えばその中の一つが「圧迫面接」という悪手です。応募者を攻撃して素を出させようとしたものですが、逆効果だということが早々に判明して姿を消しました。今まで多くの採用関係者が試行錯誤を繰り返してきたわけですが、人間の防衛能力を打ち負かすことは容易ではないようです。
多くの企業が、「面接」を採用選考の肝に据え、そこで応募者を見極めようとします。でも一時間足らずの時間内に観るべき能力が十分に示されるとは考えにくく、結局応募者の見せるための行動に躍らされてしまいます。採用面接は、会社と応募者が「やってほしいこと」と「やりたいこと」をすり合わせる情報交換の場としては重要ですが、応募者を見極める場としてはあまり機能しないものと考えた方が良いと思います。お客様の諸々の都合で経営者や人事責任者が面接をしてからアセスメントを実施するケースが特例的にあるのですが、その面接官がアセスメントに参加するとほぼ例外なく同じことを口にされます。
「あの時とは別の人だ」
行動情報を集める取り組み
アセスメントのような行動を凝縮するしくみを用いない通常の採用選考では、応募者の行動情報を集めるために、採用面接以外に採用関係者が応募者の行動に触れられる機会をできる限り増やすことが何よりも求められます。応募者が会社に初めてアプローチした時から合否の判定を下すまでの時間に、採用関係者と応募者との接点をたくさん作れれば、その接点においては必ず応募者の行動が発生します。また、それらの行動群は無意識の行動も多いので、採用面接での行動よりは有益な使える情報になり得ます。説明会での話の聞き方や社員との懇親会での様子、グループワークやグループ面接での行動、選考会場に入るまでの待合室での様子、メールや電話でのコミュニケーションの取り方、など、それらすべてが、応募者の発する貴重な行動情報となり、そうやって相当量の行動情報を集めることで初めて行動分析の土俵に上がることができるのです。
「採用選考プロセスを簡略化しろ」と言うことは、「行動分析などするな」と言っているのと同じであり、「応募者を見極める」という取り組みを否定するものです。「楽をしたい学生に媚を売ること」と「採用リスクを減らすこと」を天秤にかけるのは、量と質を天秤にかけることです。価値観の違いだけはいかんともしがたく、どちらが正解とも言えません。
ただ、ひとつだけ知っておいていただきたいことがあります。
優秀な学生は、自分をもっとよく見て欲しいと思い、
そうでない学生は、あまり見られたくないと考えます。