╂ 処方箋の解説 ⓰ ┛ 真面目な人より尖った人を(後編)

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孤軍奮闘

では、そのようなグループ討議に精神的に自立した「優秀な学生」が混じっていたとしたら、その学生はどのような行動を取るのでしょうか。

 

精神的に自立し思考力を備える学生でも、十分間の準備時間内に課題を読み込んで内容を理解することは難しいと思います。したがって、討議の開始を告げられる時点では、他のメンバー同様課題に対する理解は充分ではないはずで、その時点ではまだ自説を作ることができません。自分はまだ発言できる状態では無いのに、周りでは発言が飛び交うので、「皆すごいなあ」「自分だけがダメなのかな」と、他のメンバーが課題の理解を放棄していることなど知らずに焦ったりもするでしょう。

 

受かるためには発言しなくてはいけないと考えるのは誰もが同じなので、周りに同調したり相槌を挟んだりというように調整的に議論に介入することはあるかもしれません。でも、わかってもいないのに発言ありきの発言に走ることはあり得ません。そこに至っても、その人の中で「課題に向き合い課題を理解しなくてはいけない」という意識が保たれているからです。そして時間が経つにつれて徐々に課題の中の情報が繋がり、書いてあることの意味が分かるようになり、問題の全体像が少しずつ見えてきます。そこで初めて自分の意見が形成されますが、その時点での討議は、課題の前提から外れてとんでもない流れになっていて、自分の意見とは絡みそうもありません。

 

それでも思い切って討議の中に割って入ります。しばらく黙っていた人が急に入って来たのでみんなは動きを止めて注目しますが、遊んでいた人たちには、課題に向き合い続けた人が辿り着いた世界を理解できるはずもなく、その貴重な本質論は置き去りにされ、みんなはまた生産性の無い雑談へと戻っていきます。時間をかけて産み出したものがあえなく捨てられた戸惑いと切なさを封じ込み、その人はまたあらためて課題に向き合うのです。

 

真面目な人

そんな「真面目な人」が出てくると、私たちアセッサーはときめきます。環境や状況に流されること無く与えられた前提に寄り添い、求められる成果に向かうことができる人を、私たちは真面目な人と称し、私たちは毎日そんな人を探しています。真面目に物事に取り組むためには、精神的に自立していなければならないので、そんな人は今の世の中で希少価値を持ちます。だから、「うちは、そんなに頭の良い人が欲しいわけじゃなくて、真面目だったらいいんだよね」などとのたまう経営者に対しては、本当にがっかりします。

 

思考の前提は、対象に向き合うことです。対象に向き合える真面目な人は、基本的には思考できる人であるはずです。なぜ、「真面目」と「頭が良い」が、時に相反した概念と捉えられてしまうのでしょうか。それは、「真面目」という概念に、派手さやスピード感が伴わないからかもしれません。そして、「頭の良さ」にはスピードがつきものであるという誤った通念が氾濫しているからでしょう。

 

真面目の意味を理解しない経営者へ

「真面目な社員ばかりで面白みが無い」などと口走る経営者には、「真面目な社員ばかりの状況に満足できないなんて、あなたがよほど不真面目なのか、社員たちが実は真面目ではないのか、どちらかです」と言ってあげたくなります。

 

「尖がった人を採りたい」

 

実によく聞く台詞です。はっきり言ってよく意味が分からないのですが、多分、普通の人より個性的で創造的な人が欲しいということなのでしょう。でも、そういう求め方をする経営者が、もし採用アセスメントのグループ討議を観たとしたら、前編で紹介した例に出て来る、課題から離れ前提を軽視して好き勝手にしゃべりまくる学生が創造的に思え、魅かれてしまうことでしょう。組織で仕事をする人である限り、前提として得られる情報を使って新たな概念を導ける人が創造的な人としてリスペクトされます。目の前の情報を無視してただ発散するだけの行動を創造的とは呼びません。本当に創造的であり得るのは、ずっと課題の情報に向き合い続けて新たな概念に到達した「孤軍奮闘」の学生の方であるのは、言うまでもありません。

 

「尖がった」の意味するところが何にせよ、人を採用するにあたって真面目である以上の要件はないのですから、「真面目な人より尖がった人を」という考え方に、おそらく妥当性は認められないでしょう。「地道な取り組みより派手なことが好き」なだけなのかもしれませんし、もしかしたら「個性的な人をあえて採ろうとする自分って素敵」「荒馬をうまく乗りこなす自分の能力を世間に褒めてもらいたい」のようなナルシズムや承認欲求に支配されての方針なのかもしれません。いずれにしても、真面目な経営者の考えることではないと思います。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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