╂ 処方箋の解説 ⓫ ┛ 小さな会社に優秀な学生は・・・

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小さい会社に優秀な学生は回ってこないのだと痛感し、新卒採用を続けるべきか迷っています。

夏から秋の新卒採用市場は、大企業が残していったノーブランドの静かな逸材で溢れています。

 

 

 

大企業での採用アセスメントの現状

大企業やメディアによく登場するような有名企業で採用アセスメントのグループ討議を実施すると、そのメンバーの多くをいわゆる一流大学の学生が占めることになります。いかにも優秀そうな顔つきの学生が六人並ぶとなかなか壮観で、これから始まる討議への期待が嫌でも高まります。でも、一時間後、期待通りの結果に終わることはほとんどありません。

 

たくさん発言した人が評価されるものだと信じて疑わない彼ら彼女たちは、とにかくよくしゃべります。反射的にしゃべります。これだと思うネタに飛びついてそこに絡むコメントを作る技は皆さん天才的です。でも、思考して発言する人はほとんどいません。

 

リーダーシップを見せた人が評価されるものだと信じて疑わない彼ら彼女たちは、とにかく議論をまとめたがります。仕切りたがると言った方がよいかもしれません。妙な圧を出して周囲を支配しようとする人もいます。本人たちはリーダーシップを発揮しているつもりのようです。でも、承認欲求や自己顕示欲などを満たそうとして動いている人は、本当に大切なものに向き合うことができません。メンバーの利害と心情や求められる成果を睨みながら議論の収束に向けて汗をかく、本物のリーダーシップを見せてくれる人はほとんどいません。

 

人に誇れる大学に在籍していながら、知的能力を発揮できるはずのグループ討議の場で、不安と恐怖に縛られてしまっている人が多いことを、私たちはいつも不思議に思います。そこが学力でなく思考力で勝負すべき場所であることを、学力秀才たちは無意識的に察してしまっているのでしょうか。自己執着が強化され、不安と恐怖に支配された人たちは、自分の心のケアに精一杯で与えられた課題に向き合うことができないため、課題に書かれている内容を理解することができません。理解できないまま何か話そうとするには、何かに頼らなくてはなりませんが、学力秀才はそういう時に依存できる知識をたくさん持っていることが多いので、とりあえず何も考えなくても自己充足的に発言量を増やすことができます。これが「学力は高いが思考しない人」の多くに共通する心のメカニズムです。残念ながら大企業や有名企業で採用アセスメントを実施すると、このような人たちがボリュームゾーンになります。

 

毎年大人数を採用する大企業では、アセスメントの採用基準である「思考力と人のために動く力が認められる人」を厳守しながら定数を確保しようとすると、とんでもない数の選考母集団をアセスメントしなくてはいけないことになるので現実的ではありません。そこで、基準を緩和する必要が生まれますが、アセスメントを学んだ採用関係者の皆さんにとって、見えてしまったリスクを飲み込む時の心の葛藤は相当なもののようで、基準緩和に関しては何度も議論が重ねられます。そしてその中で「無理に数を確保する採用を見直そう」という声も毎回必ず聞かれます。私は、大企業においてこのような議論が行われること自体に、ものすごく大きな意味があると思っています。

 

中小企業のターゲット

さて一方、私たちの顧客の七割を占める中小企業においても、説明会や採用選考に参加する学生の中の結構な割合を学力秀才が占めます。私が大学を卒業した頃(三十五年以上昔)は、そこそこの大学の学生は、入れるか入れないかは別にして、誰もが一部上場企業のような会社を目指していたような記憶があります。でも今は最初から中小企業を志望する一流大学の学生が多く、隔世の感があります。訳も分からず誰もが闇雲にでかい会社を目指した当時と異なり、今は情報量も多く、多様性という価値観も浸透し、学生がそれなりに自分でキャリアパスをイメージしようとしているところは、素直に偉いと思います。昔は無かった(ような気がする)就活指導なるものも今では充実し、アドバイザーや教授が「あなたは中小企業向き」などと指南してくれるようで、中小企業の新卒採用に追い風は吹き続けていると感じます。

 

グループ討議のメンバーの中に一流大学の学生が混ざっていると、「学力と思考力は別物」と理解する見学者であっても、多少はわくわくしてしまいます。でも多くの場合は、前述のようなパフォーマンスを見せられることになってしまい、我に返ります。そしてその学生の見栄えが良かったりすると、皆で「あの学生も、どこかの大企業がきっと持っていってくれるんだよね」などと、採ってはいけない人を採らなくて済んだ我が身の幸運を再確認するべく、軽口をたたき合うのです。

 

春、新卒採用のシーズンが始まったとたん、大企業が高学歴者をさらっていくことは間違いありませんが、その中には膨大な数の「学力は高いが思考しない人」が含まれます。大企業が通り過ぎた後、確かに採用市場の高学歴者は減りますが、「学力はそれほど高くないが思考できる人」や「少し不器用でアピールも下手だが思考できる人」はたくさん残っています。中小企業はそんな人たちをゆっくりじっくり拾い上げていけばよいのだと思います。

 

夏から秋にかけて、採用アセスメントの現場は春先と比べて少し趣が変わります。発信上手の人たちがしのぎを削った頃と違い、討議の雰囲気は少しばかり地味になりますが、そのことを捉えて「優秀な学生は減った」と判断するのは早計過ぎます。そこには、大企業が目もくれなかったノーブランドの逸材が本当にたくさん残っています。そしてそういう人こそが中小企業の採るべき人材なのだと思います。新卒採用が上手くいかないのは、選考母集団の質が悪いからではなく、選考のやり方に問題があるからに過ぎません。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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