╂ 処方箋の解説 ❼ ┛ 課長になんかなりたくない

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課長手当等の処遇は悪くないのに、課長になりたがらない若手社員ばかりで困っています。

作業ばかりに忙殺されている課長と、そうさせている会社が、部下の士気を奪います。

 

 

 

 

グループ討議の案件にもなりました

アセスメントの演習課題の中にグループ討議があります。「参加者(アセッシー)は、コンサルティング会社のコンサルタントとして、最重要顧客が抱える課題についての解決策を探るコンサルタントミーティングに出席する」という設定になっていて、A4二枚に書かれた二つの課題を十分間の準備時間内で読み込んでから討議に臨みます。

 

課題のネタ元は、多くの企業でよく耳にする事例に脚色を加えて仕上げたもので、今ではその数もだいぶ増えました。お客様の業界や参加者の年齢層などを考慮して、三十を超える選択肢の中から使用案件を決めるのですが、その中に私の好き嫌いが生じているのも正直なところで、ついつい使用頻度が高くなってしまうものがいくつかあります。そのひとつが「課長手当などの処遇は悪くないのに、課長になりたがらない若手社員ばかりで困っています」というテーマの案件なのでした。

 

私は、創業時に、「とりあえず百人の中小企業経営者と会うこと」を目標に定めました。そして、約二年かけてその目標を達成しました。毎回毎回、「人に関する課題や悩みはありませんか」と尋ねるようにしていたのですが、初対面にも関わらずデリケートな話を打ち明けてくれる社長さんは割と多く、「経営者は基本的に孤独なのだ」と、その時感じました。

 

生々しい声をたくさん聞かせていただく中で印象的だったのが「若手が課長になりたがらない」「課長が機能しない」「課長の適任者がいない」などのお悩みがとても多かったことです。当時は、サラリーマンなら誰もが出世して管理職になりたがっているものだと思っていましたし、そこそこの社員が課長になってそこそこの仕事をしているものなのだとも考えていました。まして、これがわが国の構造的な問題であるということを当時は知る術もなかったので、中小企業の経営者の多くがこの部分に悩んでいることを意外に感じたのを覚えています。

 

その後しばらくして、私は多くの会社からいただいた多くの実例を基にして、この案件を作りました。その頃には、その問題の本質がどこにあるのかが私にもわかるようになっていました。いろいろな社長さんたちのいろいろな表情を思い浮かべたりしながら書いたので、案件の文面が妙にリアルで熱量の高いものになってしまい、その案件を使い始めると見学された初対面の経営者や人事の方々からよくこんな冗談を言われたものです。

「困りますねぇ。うちのことをモデルにされては(笑)」

 

「やっぱりどこの会社も多かれ少なかれこの問題で悩んでいるんだ」と、その度に確信を積み増しました。思い入れがある案件なのでついついえこひいきしてしまい、今に至るまでこの案件は重用されています。でも、このブログを書いた時点で使えなくなるので、その時、やっと十七年の任務に幕を下ろすことになります。

 

課長職に魅力を感じない

「若手社員が管理職になりたがらないのは、今の若者の価値観が変化したから」という説は根強く、確かにそれも一理あると思います。「物的な欲求が減ってお金への執着が薄くなっている」「責任のある仕事を任されることを嬉しいと思う価値観はもはや過去のもの」などと言われると、なるほど、そうか、そうかもね、と思うしかありません。でも、人間はどこまで行っても利害で動くものだと思うので、自分にとって得になると思う方向に動く習性を失うことは無いと思います。課長になりたくないと思う人が多いとしたら、それは、課長になることが合理的に考えて得にならないと感じる人が多いからではないでしょうか。

 

自分の性分を鑑みて管理職が絶対向いていないと確信している人はともかくとして、若手社員の大半が課長という仕事に就くのを避けたがるという状況は、やはり組織としては異常と言わざるを得ず、多くの場合その理由は、「課長という仕事に魅力を感じないから」に集約されるのだと思います。よく言われる「課長になっても割に合わないから」も、それに含まれます。仕事に魅力があれば、金銭面などの条件に多少不服があっても気持ちの折り合いはつくはずなのですから。

 

実務者時代と内容や質の変わらない業務をひたすらこなし実務の現場をばたばたとして席の温まる暇もない課長、いつも夜遅くまで会社にいて残務をこなす課長、それなのに給料はさして上がらずむしろ残業手当がカットされて収入減となってしまう課長、そんな課長に憧れそんな課長をロールモデルとする若手が果たしているのでしょうか。

 

課長の役割を明確化しない会社

この問題を考えるのに欠かせないのが、マネジメント領域と作業領域という概念です。前述のように、本来課長はマネジメント領域で動くことが求められるはずなのですが、経験を積んだ組織人にとっては作業領域で動く方がずっと楽なので、多くの課長が「プレイングマネージャー」を言い訳に作業領域に逃げ込んでしまいます。楽な方に流れるのは人間の本能なので仕方が無いのかもしれませんが、問題はそれを許してしまっている会社の方にあります。会社が課長や課長になる前の社員に、「課長の仕事はマネジメント領域で新たな価値を創造することである」とはっきり伝え、全社的に周知もしないから、多くの課長が何の疑いもなく部下と同レベルの実務に埋没し、また経営幹部や部長たちもそんな課長を「あいつはよく働く」などと評価してしまうのです。

 

マネジメント領域で動く課長は、思考に必要な新たな情報をいつも求めます。決められた業務をこなすことではなく、自らが課題形成をして自ら仕事を創ることが自分の任務であるとわかっているからです。だから感性を研ぎ澄まし、周囲をよく観ています。「私にどんどん情報を入れてください」という開放的な表情も崩しません。忙しがって「俺に話しかけるなよオーラ」を出しているような課長に情報は集まりません。どっしりと構え、人の話をよく聴き、自分から新たに行動を起こし、いざというときには頼りになる、そんな課長の下についた部下は、よほどの偏屈でない限り、あんな課長になりたいと思うのではないでしょうか。

 

これは美しすぎる理想論ではありません。本来、管理職とはこのような格好いい存在でなければいけないのです。しかし、大小問わずわが国の会社の大半において、管理職に求められるものが明確化されていない現状が、常識論を理想論に見せてしまうのでしょう。「課長は作業領域でなくマネジメント領域で動きなさい」と会社が強く言い切らないのですから、身体ではなく頭を使おうとする課長がなかなか現れないのも当然です。

 

課長の濫造

もちろん、課長に選ばれ課長をやっていながら、マネジメント領域で動くための力が備わっていない人が多いという問題もあります。そしてこれもやはり会社に責任があります。課長への昇進要件が本来のマネジメント能力とかけ離れたところに置かれているから、必然的にマネジメント適性の薄い課長が量産されることになります。そうなってしまう背景には、「まず課長を作ることありき」の人事制度に問題があるケースも少なくありません。私の知っている中堅企業の中には課長の数が明らかに多すぎる会社が実にたくさんあります。年功序列の上に課長になるのが当然のようなモチベーション管理がされているとなると、毎年必ず何人もの新課長を誕生させざるを得なくなり、結果として課長の濫造が止まらなくなります。

 

マネジメント適性の高い人が社内に潤沢に存在する会社があると考えるのは現実的ではありません。作業領域で実績を上げた人をそのまま監督職(リーダー、主任、係長など)に昇進させることはあっても、そこから管理職である課長に昇進させる人の前には、それなりの壁が必要になります。簡単に課長に昇進させる会社が多すぎます。課長に昇進させる時の覚悟が足りません。「とりあえず課長くらいにはさせてやろう」のようなスタンスには、想像を絶する大きなリスクが付きまといます。もちろん課長になることの「ありがたみ」も薄れるばかりです。

 

正論を意識し続ける意義

数年前、某中堅企業の管理職研修を月に一回担当していたことがあります。そのメンバーの中に、とても元気のいい、当時の最年少課長記録を持つ若手課長がいらっしゃったのですが、超多忙な部署を率いていたので、講座の開始時刻に間に合わないことが何度かありました。そんな時、汗をかき真っ赤な顔で会議室に飛び込んできた彼は、いつも開口一番こう叫んでいました。「すみません!また作業に追われてしまいました!」 これは、しばらくの間私たちの間で流行語となりました。その若手課長は、昨年、「最年少」で執行役員に就きました。

 

課長の任務はマネジメントであるという正論がある一方、課長のほとんどがプレイングマネージャーであることもまた事実なので、現実的には課長が作業領域に立ち入るのは仕方がないことだと思います。しかし、同じ作業に追われるにしても、たくさん仕事をした気になっていい気持ちになっている課長と、本来のミッションに向き合えず忸怩たる気持ちでいる課長とでは、長い目で見た生産性に雲泥の差が生まれます。社内にマネジメントの正しい方向性を伝えるため、また、マネジメント能力のある人がその能力を正しく発揮できるような環境を整えるために、やはり会社は、「課長はマネジメント領域で動きなさい」と強く言い続けなくてはいけないのだと思います。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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