╂ 処方箋の解説 ❸ ┛ 思考力のある社員がいない (前編)

╂ 処方箋の解説 ❸ ┛ 思考力のある社員がいない (前編)

自分の頭で考える社員が育たない

社内に自分の頭で考える社員が育たないのは、私の教育や指導がいけないのでしょうか。

「思考力」は育てるものではなく、正しく必死に探すべきものです。

 

 

 

 

思考というあいまいな概念

中小企業の社長さんに初めてお会いした時には、必ずどこかのタイミングで「社員さんに対して不満に思うことはありますか?」と尋ねます。答えがNOだと、私に腹を見せたくないのか、その社長の感性に少し問題があるのか(人にあまり興味が無いのか)のどちらかであることが多いので、私もそれ以上深入りしません。そしてYESの場合は、当然「どのあたりに不満を感じるのでしょうか」と質問を重ねることになりますが、「思考力のある社員がいない(少ない)こと」と即答される方が相当数いらっしゃいます。実はその答えを耳にすると、私は不謹慎ながら少し嬉しくなります。「この社長さんとは共通の土壌でお話ができるかな」という期待が膨らむからです。

 

中小企業において状況打開や価値創造を図りたければ思考力が必要不可欠です。(本来は大企業でも同様なのですが、大企業には大企業ならではのセーフティネットがあります。その話は「処方箋の解説❾ 」で詳しく・・・)思考力のある社員を持たない中小企業は、社員が誰一人として新たな価値を生んでくれないので、「社長以外はみんな扶養家族」という社長にとっては何ともしんどい状況に陥ってしまいます。だから、真面目な中小企業の経営者は社員に対して本能的に思考力を求めるのでしょう。

 

わが国では、誰もが「考える」とか「思考」という言葉を好んで使い、「思考する人」を欲しがりますが、その人たちの間で同じイメージが共有されているかというと、そうでもないようです。世の中の思考という概念に対する理解がふんわりしたものに留まっていて、思考がメカニズムとして理解されていないから、「思考力を求めて学力を採用基準とする」のようなとんちんかんなことが起こるのでしょう。ここでは、「思考とは何なのか」を理論的に理解していただけるよう、少し詳しく述べてみようと思います。

 

未知の領域で動くために必要なプロセス

マネジメント領域は未知の領域なので、経験知や前例に頼ることはできません。そんな場面において自力で動くためには、「今、自分はどのような状況下にいるのか」「何が重要なのか」「今何をすべきか」などが全く示されていない中で、自分で思考して状況を理解し、本質を把握した上で、自分の進み行く道を決めなくてはなりません。だから、マネジメント領域では、思考力が必要不可欠です。マネジメント能力に優れる人は必ず思考力に優れ、思考力が足りない人が高いマネジメント能力を有することはあり得ません。思考力は、マネジメント能力の絶対的な必要条件です。

 

 ※マネジメント領域
非定型業務が求められる未知の場をマネジメント領域と称します。未知の世界なので、経験知に依存する事はできません。今得られる多様な情報を処理して自らが方向性を決め、段取りも決め、自分の力で判断や意思決定に進むことが求められます。自分の頭で考えないと、状況を打開できません。経験知をそのまま当てはめることができる場面はありません。過去に経験の無い業務ですから、どれくらい時間がかかるか見当もつきません。それどころか、終わるのかどうかもわかりません。膠着や停滞の連続は当たり前で、何のアウトプットも出ないまま時間だけが経過することも、ごく普通に起こり得ます。「優秀な人」とは、この領域で動ける人のことを称し、この領域で動くのに必要な(自分で考え自分で動く)能力を、マネジメント能力と称します。

 

 

「未知の領域で思考する」という行動を、情報処理のメカニズムとして改めて見直してみましょう。人は、自分が直面している事象や問題の正体を知らないと動くに動けません。既知の事象や問題であれば、その一部に触れただけでそれが何なのかを何となく理解し、経験知や前例を当てはめながら前進することもできるでしょうが、正体の分からないものの一部からではその全体像を把握することができないので、怖くて最初の一歩を踏み出せないでしょう。人は、今目の前にある出来事の全体像をある程度把握し、その本質を薄っすらとでも理解し、今すぐに手を付けるべき重要な事とそうでもない事とを識別して初めて、自力で決めた進むべき方向に自力で足を踏み出せるのです。

 

だから、未知のマネジメント領域において自力で動くためには、まず対象の全体像を把握しなくてはなりません。そのためには、五感を研ぎ澄ませ、場合によっては経験知も総動員し、できる限りの情報を集めることが必要です。そしてそれらの中で共通性や関連性を持つ情報を統合していくと、「こういうことか」という新たな理解が生まれてきます。その取り組みを積み上げていくと、不明だった部分への理解が進んでいって、だんだん全体像が見えてきますが、これが未知の場面で思考を活性化させるプロセスです。

 

全体を把握し本質を知ることの重要性

「情報を集めて統合させる」という思考のプロセスを踏まないと、未知の領域で物事の全体像を掴むことができず、その物事の中心(本質)にアプローチすることができません。本質がわからないということは、まずやるべきことや向かうべき場所がわからないということになり、そんな状態で足を踏み出すと、その結果は間違いなく残念なことになります。仕事の場においては、「目標設定ができない人」と「仕事ができない人」は、ほぼ同義です。そして、その目標設定力が正常に作動しない原因は、思考力の欠如に他なりません。

 

思考力に欠ける管理職や監督職は、自分の部署に蔓延る本質的な問題や、部下の心の奥底で起こっていることなどを、決して理解しようとしません。見えないものを見ようとする意志と力量を持たないからです。そして、経験知の及ばない場所では、全体観を欠き本質を理解できないため、物事の軽重を識別できず、何が大事で何がそうでないのかがわかりません。その結果、自分の中で正しい優先順位を持つことができないので、

「忙しい時に今やらなくてもいいことをやらせるなよ」

「どうでもいい会議に時間をかけないで」

「仕事を抱え込んで毎日遅くまで残業するもので、先に帰りにくくて。俺たち部下に振ってくれればいいのに」

といった部下たちの陰口にも気づかず、毎日非生産的な行動を繰り返してしまうのです。特別ダメな上司のことを述べているように見えるかもしれませんが、どこの会社でもこのような管理職監督職が少なからず存在しているはずです。本人も大変でしょうが、一番かわいそうなのはそんな上司と仕事をしなくてはならない部下たちです。

(後編に続きます)

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

0 Comments

Leave a reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*