夢中で会社を大きくして来ましたが、最近、社内に管理職候補がいないことに気がつきました。
安易な中途採用に走る前に、現場を支える静かな逸材に光を当ててみませんか。
人材紹介の依頼
創業後まだ三年ほどしか経っていなかった頃の話です。夕方、事務所で業務処理をしていたら、アポなしの来客がありました。その方の風体から「飛び込み営業やおかしな勧誘などではないだろう」と判断した当社の女性社員によってその方は応接室に通され、私はお話を伺うことになりました。
「管理職になれる人を紹介してください」
私が席に着くや否やの「発注」でした。創業後の数年間、私たちは人材紹介の仕事も承っていたので、その方はそちらの方のお客様だったのです。
「うちには管理職が務まるような人間がまったくいないので」
その後、彼の口からはその言葉が何度も何度も出てきました。その方(A氏)は、従業員百人前後の規模ながら安定した経営基盤を持つ土木関係の企業の取締役でした。事業の拡大とともに現場の技術者や作業員が急速に増えていき、その一方で昔からの幹部社員が次々と定年を迎え、気がついたら全体に対してマネジメント職の割合が極めて少ないいびつな組織構造になってしまったとのこと。「社内を見渡しても、現場の実務者や専門職ばかりでマネジメントを任せられる人はいないと思う」というのが、A氏の見立てでした。
外に求める前に中を探す
人が社会に出る年齢になる頃には、その人のマネジメント適性の有無は既に決まっています。人はマネジメント的な仕事の中でマネジメント能力やマネジメントへの適性を高めていくわけではありません。マネジメントの経験はもちろんその人の引き出しを増やしてくれますが、だからと言ってその経験は、その人のマネジメント能力そのものを変容させるわけではないのです。この 「マネジメント能力論」については、ほとんどの会社のほとんどの経営陣が誤認しているところなので、私はまずそれをA氏に伝えました。「マネジメントとは一見無縁の場所で仕事をしてきた人に管理職適任者はいない」という考え方には根拠が無いこともはっきりと伝えたことを覚えています。初対面からわずか数分しか経っていない人に対して、今から思うとかなり攻めた発言です。
そして私は、「外から人を採用するのは、社内に本当に適材がいないのかを精査してからでも遅くない」「社内の潜在能力に向き合わずして安易に敢行する中途採用が、社内の士気を下げることは間違いない」という私の持論を述べました。精査をする方法などあるのか、というA氏の疑問に対し、私は適齢の社員を集めてアセスメントを実施することを提案すると、A氏は驚くほどあっさりとその提案を受け入れてくれました。A氏が当社の扉を開けてから二度目の発注まで、かかった時間はわずか二十分でした。その時作られた「初対面から成約までの最短記録」は、あれから十六年経った今なお破られていません。
不思議な一日
あれよあれよという間に決まったアセスメントは、あっという間に実施の日を迎えました。実施の詳細に至るまであの日のうちに詰めてしまったので、アセスメントの実施日に初めて実施企業を訪問するという前代未聞の事態になってしまいました。初めての土地で少し迷いながらも何とか会場となる本社に到着しA氏を呼んでいただこうとすると、受付の女性社員から驚愕の一言が。「Aは病気で先日退職しました」
「病気って言っちゃっていいの」と一瞬思いましたが、そんなことよりあの日のことがすべて嘘だったのかと思い、身体の力が抜けました。しかし次の瞬間「こちらへどうぞ」と言われ、連れていかれた研修室には、今日の受講者であると思われる七名の若手社員がすでに着席して私たちを待っていました。
「Aの代わりに今日立ち会える者がいないのですが、よろしくお願いします」と言われ、その時点でやはり前代未聞の「私たち講師以外に観る側がひとりもいないアセスメント」を実施することが決まりました。
その後夕方の六時頃までアセスメントは実施されたはずなのですが、どのような感じで進めたのか、終了後どこでご飯を食べてどうやって帰ったのか全く覚えていません。あの日に起こったことが私たちにとってあまりにもショッキングで、脳が記憶を消してしまったのでしょうか。でも、そんな中でもはっきりと覚えていることはあります。今すぐ課長にしても大丈夫だと診断した社員が一人だけ存在したこと。三十歳前後のその社員はニッカーボッカーのような作業着を着ていて、一見元ヤンキーのような風情を見せながらもしっかりと物事や人に向き合う好青年だったこと。そして、時間が経つにつれてその彼の顔がだんだん優しくなっていったこと。
一週間後、私は発注主のいなくなった同社を訪れ、あの彼にだけ「マネジメント適性あり」の評価を記した報告書を、対応して下さった社長に手渡しました。数日後にちゃんと実施料金も振り込まれ、あのアセスメントが幻でなかったことは確かなのですが、それでも夢の中にいたようなもやもやした不思議な感じで過ぎ去ったプロジェクトでした。
発掘されたマネジメント適材
半年後、突然私はあの会社のあの社長を訪ねてみようと思い立ち、ご挨拶の名目で社長にアポを取りました。まだあまり状況を飲み込めずぎこちない様子だった前回と違い、社長は穏やかな笑顔で歓待してくださいました。そして「あの〇〇君ですけど」と切り出しました。私たちが合格点をつけた彼のことでした。社長はその質問を予期していたのか、少し食い気味に答えてくださいました。「立派に課長やっていますよ」
「えっ?もう課長になったんですか」と聞こうと思いましたが、「だって課長にしていいって書いてあったじゃない」と言われそうで止めました。そこから約三十分、社長は彼のことを色々と話して下さいました。実は本当に「元ヤン」だったこと。入社当時はかなり尖がっていたが、なぜか先輩には可愛がられていたこと。一貫して女子社員受けが妙に良いこと。それらのことは、アセスメントの報告書を読んだ社長が、色々な人にヒヤリングしてわかったことだそうです。現場で彼と一緒に働いている親会社の管理職に、反対されることを想定して彼の課長昇進をほのめかしたところ「彼ならいいんじゃない」とあっさり言われて驚いた、ともおっしゃっていました。「彼のことは知っていたけど、彼と管理職とは全然結びつかなかった」「人ってわかんないもんだね」と言われた時、一連の出来事が初めて私の中で実体のあるものとして収まりました。そして、自分が今日ここに来たのはその話が聞きたかったからなのだと、その時はじめて自覚しました。
A氏の病気とは前からわかっていたものなのか、それとも急病だったのか、そしてあの後A氏の病状はどうなったのか。本当は聞きたくて仕方が無いのに、なぜか私は怖くて聞けませんでした。社長も私の気持ちを知ってか知らずか、A氏のことには何も触れませんでした。
今思えば、「商談は二十分」「アセスメントで浮かび上がった社員がすぐ課長になる」という、シンプルに始まりシンプルに終わった仕事でした。余計な通念や経験知を挟まず原理原則に則って動けばそうなるということなのでしょうか。結局あの会社と仕事をしたのはあの一回きりとなってしまったので、A氏がなぜあの日にうちの会社を訪れたのか、どんな気持ちだったのか、今となってはわかる術もありません。でもきっとあの時A氏は病気で自分が会社を離れることをわかっていたのだと、もうあまり時間が無い中で何か自分が会社のためにできることをしたくてうちの門を叩いてくれたのだと、私はそう思っています。