╂ 処方箋の解説 ┛ 序章 救われた宝物(前編)

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今日からしばらくは、トップページに並べた「ご相談&処方箋」の各テーマについて皆さんに伝えたいことを、実話なども交えながらわかりやすく書き連ねていきたいと思います。出来る限り毎日アップしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 

「ご相談と処方箋」に書かれていること全てが、「人に正しく向き合う」という大命題に集約されます。「人に向き合う」というわかったようなわからないような概念と向き合う前の序章として、まず今日と明日は、「人に正しく向き合うとは、具体的にどういうことか」「人に正しく向き合うとどんないいことがあるのか」を教えてくれる「実話」を紹介します。

 

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採用アセスメントの内製化に向けて

七年前、新卒採用アセスメントに通過する学生が年々減り続け、「採れないアセスメント」に皆が疲れ始めていました。一人の通過者も出ないアセスメントに毎回お金を払い続けることが平気な経営者などいるはずもなく、そのたびにいたたまれなくなる私にもやはりストレスは募っていました。その打開策として私は顧客各社が独自で採用アセスメントを運営できるまで内製化を支援するビジネスに舵を切りました。

 

B社とのお付き合いはその頃始まり、早速、内製化に向けた取り組みを進めることになりました。アセスメントを内製化しようとする時、そのプロセスの中心になるのは、社内アセッサーの養成です。アセスメントは人が人を観察するものなので、まず顧客企業の社員の中から人を見極めるセンスを備える人を見つけ、その人をアセッサーとして機能するまで育て上げなくてはなりません。もちろん、社内アセッサーがプロのレベルに到達できるわけではありませんが、三十時間の実践訓練を積むことによって、リスクの高い応募者を見極めることができるくらいまでには成長します。             *アセッサー:アセスメントの行動観察者

 

まず、社内アセッサー選考アセスメントを実施して、社内アセッサー養成講座に参加する人を選ぶことになりました。入社十年目くらいまでの若手社員が対象とされ、会社から指名された三十名が選考母集団となりました。当時のB社の社員数は九十名強でしたので、全社員の三分の一を巻き込むちょっとしたイベントになってしまいました。

 

選考アセスメントはグループ討議と面接演習を使って行われました。突然集められていきなりいろんなことをやらされ、戸惑いを見せる人も少なくありませんでした。「そんなものに選ばれてしまったら面倒臭い」とばかりに落ちるための行動を選択する人もいましたが、そんな行動を見せようが見せまいが、選ばれる人は選ばれ選ばれない人は選ばれないのがアセスメントです。アセスメントは粛々と進み、社内アセッサーに選ばれたのは三人でした。

 

少し気になる存在

三人の内訳は男性一人女性二人で、まだ社歴の若い方々でした。二人の女性は利発で発信力が高く、どの会社の採用アセスメントでも普通に通過するような人たちだったと思います。彼女たちには、「どんな場面でも自分の頭で考え自分の力で進もうとする」という共通の特性がありました。二人とも一日目のグループ討議が終わった時点で有力候補者となり、二日目の面接演習でも期待通りのパフォーマンスを見せてあっさりと合格が決まりました。しかし、男性唯一の通過者となったS君のアセスメントは一筋縄ではいきませんでした。

 

まず、一日目のグループ討議での彼を見た限りでは、会社の重要ミッションを背負って厳しい訓練に耐えることのできる人とはとても思えませんでした。その討議は、全体的に低調で緩い雰囲気に支配されたものでしたが、彼もそのような空気を作る一人になっていました。時折、彼なりの気づきを場に投げてはいましたが、それは誰にも拾われることなく、彼もまたすぐにその他大勢の中に埋没していきました。常に周りに合わせて調整的に動く彼からは、あきらめに似た倦怠感のようなものも感じ取れました。

 

グループ討議が終わった時にはほぼ合格ライン上に浮上していた他の二人と違い、その時点での彼は私の中での特別な存在ではありませんでした。ただ私には、彼が自分の思考や感情や価値観などすべてを抑え込んで敢えて熱量の低い取り組みに甘んじているようにも見え、なぜか気になってはいたのです。「もしかしたら、この人もわざと落ちようとしているのかもしれない」という思いも頭をよぎりました。

 

潜在能力の発見

しかし、「少し気になるだけの人」だったのS君が、翌日に行われた面接演習ではまばゆいばかりの光を放つことになります。一対一で行う面接演習で相手役のコンサルタントに対峙した彼は、前日の彼とは別の人でした。自分一人だけの戦いとなったその場で、彼は恐ろしいほどの集中力を見せてくれました。相手の目を見据えて自然体で話を聴き、先を急ぐことなく思考を深めてから無駄なくわかりやすく言葉を紡ぐ彼には、前日の浮ついた雰囲気とは真逆の重厚感がありました。グループ討議の時には思考の入り口で身を引いてしまう場面が目立ったのに、粘り強く情報を積み上げて思考のプロセスを踏んでいくその日の彼の辞書に「あきらめ」の文字はありませんでした。課せられたミッションと相手の利害との狭間で考え悩む彼の姿には静かな迫力があり、相手役のコンサルタントや観ている私の心を揺さぶり続けました。言葉数は少なく、話し方も決して器用ではないのですが、これが本物の対人スキルなのだと思いました。

 

アセスメントでは複数の演習課題を使いますが、それらはそれぞれ異なる強度のストレス設定のしくみを持っています。例えば面接演習でアセッシーが受けることになるストレスは、グループ討議でのそれに比べてかなり強く設定されています。少しだけアセッシーに余裕が残るグループ討議では、自己と環境や周囲とを折り合わせた普段通りの行動特性が観察されるのに対して、より強いストレスがアセッシーの任意性と操作性を奪ってしまう面接演習の場では、普段は封印されている潜在的な行動特性が露呈することも少なくありません。                                  *アセッシー:アセスメントの被験者

 

S君が面接演習を終え、小さくお辞儀をして部屋を出て行ったとき、私は、これが彼の本当の姿なのだと確信しました。彼が無駄なものを断ち切って物事に取り組むと、こんなにエネルギーが凝縮され、これほどまでに生産性が高まるのだということを、初対面から一日以上経ってやっと理解しました。こうして彼は大逆転で三人目の社内アセッサーに決まったのですが、素晴らしいものを見せてもらった後の軽い興奮の中で、私は、グループ討議の中で彼が見せていた少し虚ろな表情を思い出していました。

 

グループ討議で低調だったアセッシーが面接演習で急に良くなることは、それまでも時々ありました。そうなってしまう人の多くが、何らかの理由で潜在能力が日常の仕事の場で発揮されていないのだということも、わかってはいました。でもあれほど変わった人は初めてだったので、なぜかとても気になりました。「S君もそうなのだろうか」「何がそうさせているのだろうか」

 

「私は何で受かったのでしょうか?」

数日後、アセッサー養成講座の開始を控えて、私は、三人の社内アセッサーと個々に面談することになりました。それは一種の儀式のようなもので、顔は合わせていながら一度も口をきいていない社内アセッサーの卵たちとの初対面の挨拶がてら、意欲のほどを確認し、アセッサーの心構えを説明して、最後にアセッサー選考アセスメントの簡単なフィードバックレポートを渡して終わりとなる、わずか二十分ほどの実に簡単な面談です。でも私は、あの面接演習の日から、いつになくその日を楽しみにしていました。アセスメントを通してではないS君と話をしたら、彼の「正体」がわかるかもしれない、との期待がありました。

 

その日、レディファーストで先行した二人の女性たちとの面談はつつがなく終了し、いよいよS君の順番となりました。やはり小さな礼をして部屋に入ってきた彼は、どちらかと言えばあのグループ討議の時の彼でした。嫌味の無い自然体の立ち居振る舞いはその日も変わりませんでしたが、やはり少し覇気が足りず、挨拶の声に力が無いことが気になったのを覚えています。二度三度と他愛の無いやり取りがあった後、少しの間黙って何かを考えていた彼は、しばらくして意を決した様子で口を開きました。

 

「私は何で受かったのでしょうか?」

 

S君にしてみたら、グループ討議でも面接演習でもろくに喋れなかった自分が何で競争率十倍を通過して今ここにいるのか、何とも解せなかったのでしょう。私たちが絶賛した面接演習も、彼の中ではきっと「テンポのよい会話にならず、停滞ばかりを生んでしまった失敗体験」で終わっているのだと思います。彼の真剣な眼差しを見て、私は、ここが勝負どころだと思いました。今、彼に正しいことを正しく伝えるのが自分の使命なのだと、柄にもなく緊張しました。

 

その日、何より先に尋ねたかったことを無事に吐き出すことができて少しだけ表情が穏やかになったS君に、私はゆっくりと一つずつ伝えていきました。

 

「深刻な場面で相手が話した内容に真面目に向き合おうとするなら、言葉を出すまでに相応の時間が必要である」

 

「相手の話が終わると間髪入れずに話し出す人は、相手が話している間に自分が次に何を言おうかを考えていることが多く、それでは相手の話の内容に向き合えるはずがない」

 

「相手の言葉だけでなく態度や表情などの非言語情報にも向き合わないと、相手の状況や心情を理解できないが、それをやろうとすると錯綜する情報を処理しなくてはいけないので更に時間がかかる。あなたは、会話の間を恐れることなくそれをやろうとしていた」

 

「課せられたミッションに忠実でありながら、一方で相手の状況や心情を理解できてしまうと、そこに利害相反が発生し葛藤が生まれる。人は自分のために葛藤してくれる相手に対して信頼感を抱く。相手に向き合い相手のために考え悩む力こそが真の対人スキルと呼ばれるものである。あなたは時間中ずっと葛藤しており、実際に相手のコンサルタントもその姿に心を揺さぶられた」

 

「考えた結果の発言は必ず重みを持ち生産性を高めるが、考えずに発散された発言はいくら美しく取り繕われたものであっても問題解決の場では役に立たない。私たちプロアセッサーは、発言そのものよりも、発言が発言者の中でどのように生まれ、その後その発言が周囲にどのような影響を与えていくのかを注視している。あなたの発言は少ないが、そのひとつひとつには確実に思考の跡があり、重たく人の心にのしかかる」

 

「アセッサーの仕事は考えることなので、私たちは思考力の高い人を求めている。思考力はいかなる時も心静かに対象に集中できる精神的に自立した人にしか宿らない。精神的に自立した人の最大の特徴は自然体であることだが、あなたはずっとそうだった」

 

「面接演習でのあなたは、まさしく精神的に自立した思考の人だった。面接演習はその人の潜在能力を映すものなので、私たちは、あれがあなたの本来の姿だと思っている。グループ討議でも、思考せず経験や一般論などに依存して発言を重ねる他のメンバーの中で、あなたは思考の入り口にまではたどり着いて自分なりの気づきを口にした。しかし、その後のプロセスを踏むことを放棄してフェードアウトしていった。集団の中で自信を持って自分を貫けていないあなたが気になった」

 

 

S君は、じっと私の目を見ながら聴いていました。時々視線を宙にやり、少し複雑な情報処理に取り組んでいるような様子は、あの面接演習の時にも見られたものでした。ふと思い出したように「ありがとうございました」とちょっと早口で言った後、彼は、少しずつ自分のことを話してくれました。

 

光が当たりにくい場所

入社七年目で、今は管理部門で仕事をしていること

 

仕事は定型業務が多いこと

 

仕事のスピードが遅く、いくら注意しても入力ミスなどがなかなか減らないこと

 

入社以来、あまり仕事で褒められたことがないこと

 

人前で流暢に話ができず、特に会議などでのプレゼンテーションが苦手なこと

 

どうしても物事を深く考えてしまい、「考える前に動け」と先輩や上司からよく言われること

 

 

そこまで話を聴いて、S君の強みが封印されてしまっている現状が見えてきました。知識の運用やスピードがより求められる作業領域は、彼の優位性をあまり必要としないのでしょう。苦手な場所で苦手な仕事をやっていたのでは、彼に光が当たるはずがありません。

 

思えば選考アセスメントを私たちと一緒に観ていたB社の社長が、S君が選ばれた時に一瞬見せた表情は印象的でした。どうやら社長の中には、将来の幹部候補と目した「選ばれると信じて疑わなかった社員」や「選ばれることを期待した社員」が存在したようでした。でもその人たちは、アセスメントで多くのリスク行動を見せた結果選外となり、まったくノーマークだったS君は、普段は見せてはいないであろう高い能力が認められて選ばれたのです。逸材の発見を喜びながらも、自分の不明を受け入れ恥じるような苦笑いでした。

 

「今のままでいいんですね」

また少しの間があって、S君は続きを話し始めました。

 

「スピードのある人や上手く話ができる人が羨ましくて。自分もそうならなくてはいけないと思い、一生懸命そんな人たちの真似をしようとしていたんです」
私が急いで何か言おうとすると、彼は小さく言葉を継ぎました。

「さっきまでは」

 

本当に優秀な人が、そうでない人の真似をして、貴重なものが消えていく。
そんな不条理なことがあっていいはずがありません。
「S君の危機は水際で食い止められたはずだ」
そう信じたいと願いました。

 

その後やっと通常の面談を始めたので、終わった時には予定終了時刻を大きく超えていました。S君を最後にしたのは正解だったな、と思いました。帰り際にアセスメントのフィードバックレポートを手渡すと、彼は恥ずかしそうにそれをバッグにしまいました。そしてさっきまでより少しだけ大きな声で言いました。

 

「僕は、今のままでいいんですね」

(後編に続きます)

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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