静かな日【復刻版】-2008年7月16日公開-

静かな日【復刻版】-2008年7月16日公開-

昨日、今日と、珍しくずっと諏訪のオフィスにいた。スケジュールが白紙の、一見「つかのまの平和なひととき」だが、忙しがって脇に置いておいた「いつかはやらなければならない大切なこと」に正対することを迫られる、僕にとっては実は辛い時間だ。

 

「経営者や管理職は、『作業』に追われて頭を使う『仕事』を先送りしてはいけないよー」のいけない見本がここにいる。

 

 

 

一日ここにいると、オフィスにかかってくる電話が昔に比べて格段に減ったことに気がつく。メールの活用もすっかり定着し、ほとんどのコンサル先が僕の携帯に直接連絡してくるようになった今、固定電話の存在意義すら危うくなっているのかもしれない。

 

たまに鳴る電話の一定割合を営業電話が占める。それらに対しては、うちの女性陣が全て処理してくれ僕に回ってくることはないが、その一本一本に対して彼女たちは実に丁寧に対応する。彼女たち自身がお客様と接する立場にあるから相手の気持ちがわかる、ということもあるのだろうが、「電話の相手がいつ利害関係者になるかわからないから。」という、サービス業の基本にたちかえる見識がそうさせているようだ。

 

お見事、と言うしかない。

 

厳しく辛い作業を繰り返し試練の時を過ごすアポインターたちも少し救われるかな… と、そのやりとりからいつも離れた場所にいる僕は思う。

 

 

 

最近は、社長リストを頼っての先物や投資信託の営業が多いようで、その種の業者からの電話は比較的「しつこい」場合が多いらしい。

 

「あいにくですが、うちの社長は貧乏なので、ご期待にそえないと思います」と言ってくれぃ、と彼女たちには伝えてあるが、まだその実行には至っていないようだ。

 

彼女たちは会社の守秘義務にも忠実である。

 

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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