無常【復刻版】-2008年4月4日公開-

無常【復刻版】-2008年4月4日公開-

二時過ぎに新宿で体が空いた。昼食を食べそびれていた。三時のあずさに乗りたかったので、手早くうまいものを食べようと東口のベルクへ行った。

 

 

 

狭くていつも混んでいるドイツ料理&カフェ&バーである。僕は体がいびつにでかいこともあって、狭いところに人が溢れる店は敬遠するのだが、ここだけはどれだけ混んでいようと突入できる。

 

生ビールを上手に注いでくれることと、何を食べてもちゃんと美味しいのが気に入って、少しでもお腹と時間に隙間があると、素通りできない。

 

ビールやソーセージが会話や読書の脇役になりがちな普通の店と違って、ここでは飲み物や食べ物にアイデンティティーがあり、それらがいつも客から尊敬を集めているような感じがして好きだ。

 

店の中では、「営業継続を求める」文書や署名などが目についた。この店は駅ビルのルミネから立ち退きを要請されている。ルミネのテナント戦略にベルクのような飲食店は不要、ということらしい。

 

結構な数の署名が集まっていた。ファンが多い店なので、声をあげる人も多いようだ。コーヒーをすすりながら署名集を眺めていたら、僕が二十代のころから通っている横浜の歯医者さんのことを思い出した。

 

 

 
ラグビーで痛めたり虫歯が多かったりして、今の僕の歯のほとんどが そこで作ってもらった義歯である。インプラントも何本か打ってもらった。めちゃくちゃ腕が良くて人も良い、齢七十歳の職人先生だが、来年入っているビルを追い出される。駅前の再開発の波に巻かれ、どうしようもないらしい。新しい場所を見つけるのも難しいらしく、そこで廃業になってしまうそうだ。

 

 

 

「大きな力には逆らえませんねぇ」と力なく笑っていた先生の顔を思い出した。

 

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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