本物を知る力【復刻版】-2009年3月26日公開-

本物を知る力【復刻版】-2009年3月26日公開-

「本当に美味しいものを出す店が廃業を余儀なくされるケースがこのあたりでは特に多い」という話を諏訪圏で飲食店開業を志すある人から聞いた。僕もそのような感覚を持っていたので興味深かった。

 

全国展開している某ファーストフードで諏訪に店を出しているフランチャイジーのオーナーが、このチェーン店の全国新メニュー開発コンクールで見事一位を獲得し、その新商品は全国で馬鹿売れしたのだが、諏訪だけ全く売れなかったそうだ。

 

志高く諏訪でお店を始めようとする人は、「諏訪で食べ物屋をやるなら、県外から本当に美味しいものを食べに来る人をターゲットにするか、諏訪在住の人に味やメニューを合わせるか、どちらかに決めなければダメ。両方追いかけると間違いなく失敗する」と、先達者からアドバイスを受けることが多いという。

 

前者のマーケットを狙うには、半端でない力量が要求される。リスクを取りきれなければ一般マーケットに迎合するしかない。この地に「本物」が相対的に少なくなってしまう構造的な要因が見えてくる。

 

もしかしたら、こうした傾向は諏訪だけでなく長野県全体に、あるいはわが国全体に強まっていること? なのかもしれない。

 

「美味しい店に人が集まらない」のは、味覚のせいなどではなく、慣れているものから離れず、新しいものに飛びつくものの本質は受け入れず、独自の感性を磨かず、主体的に動かない、といったマジョリティーの行動特性に起因するのではないだろうか。

 

 

今、諏訪の、そして日本の企業がこれだけ苦しんでいる原因のひとつに、その「行動特性」の積み上げがあるように思えてならない。


東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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