普通の犬【復刻版】-2008年7月20日公開-

普通の犬【復刻版】-2008年7月20日公開-

今日もゴルフで心身ともにやつれ果て、コンビニの前に車を停めてぼーっとテレビを見ながらひとやすみしていた。「どうぶつ奇想天外」で盲導犬のドキュメンタリーをやっていた。

 

前に「クイール」とか観てダーダー泣かせていただいたし、とにかく僕は子供と動物ネタが出てくると製作者の思うツボにはまって涙腺が崩壊してしまうので、「盲導犬」はもういいや、と思った。が、チャンネルを変えるのもだるくてそのまま眺めていた。

 

 

 

今日の物語でも犬とパピーウォーカーとの別れがとりあげられていたのだが、いつもの話の流れと少し違って、主人公のメスのレトリバーが盲導犬訓練所で「盲導犬失格」となり、八ヶ月の訓練を経て盲導犬になりそこねた「彼女」がパピーウォーカーの許に帰ってくる… というストーリーだった。

 

犬の感情を殺す訓練をしてきた彼女が人が好きで仕方がない本来のレトリバーの心をどれだけ取り戻せるのか、あれだけ家族と愛し合った日々をどれだけ覚えているのか、という不安を抱えて、パピーウォーカー一家は彼女を待つ。

 

再会の日、みんなを見つけた彼女は、感情を抑える訓練してきた日々を一瞬にして超越したかのように感情を爆発させ、狂ったように尻尾を振って育ての親たちの中に飛び込んでいった。

 

僕は今日もまたしっかりと泣かせどころで泣かされたわけだが、彼女が八ヶ月間、自分のポテンシャルを超える教育を受けている時にどんな心情でいたのか思う時、感動というより心が痛んだ。

 

 

 

動物と人間との関わりについて、是々非々論ではなく色々なことを考えた時、前にメルマガに掲載したあるショートエッセイを思い出した。当社のある社員が書いたものだが、あちこちで読者の涙をしぼったらしい。

 

 

 

以下、全文を改めて紹介します。

 

 

 

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成田空港で麻薬犬を見ました。

 

麻薬犬いうと厳格に訓練されていて隙のない犬というイメージでしたが、群集から離れた関係者出口の近く、いわば「舞台裏」ともいえるところで、係員の人が持つ袋のようなものにしっぽをふりながらじゃれついているのが見えました。

 

感情を殺すように訓練された犬の「感情」がほとばしっている様子を目にして、なぜかほっとする気持ちになりました。

 

 

 

一年半前まで、実家でゴールデンレトリバーを飼っていました。

 

名前は「みつくに」  幼少の頃恵まれなかった犬ですが、人間不信になることなく、洋犬の明るさ、人懐っこさをそのまま残して、縁あって我が家にやってきました。

 

当時手足がとても細く十センチの段差も上がれないほどだったのに、田舎の散歩道を毎日毎日駆け回っていたら、手足のみならず体がどんどん巨大化していきました。

 

田んぼで草刈をしていたおばさんに何かの猛獣と間違えられ鎌をふりまわされたり、度を越えた人間好きで誰にでも飛びついて愛情を体一杯で表現するので、犬嫌いの郵便配達員が担当を変わってしまったり、いろいろな逸話を残してくれました。

 

 

 

何にも教えられず、たいしたしつけも受けず、機嫌が良ければ大暴れ、ふて腐れると大きな穴を掘り、いつも泥だらけでお世辞にも「上品な犬」ではなかったけれど、「みつくに」のまわりにいる家族はいつも幸せな気持ちでした。

 

最後は病気で壮絶な死を迎えることになりましたが、最期を看取る私に彼は自分の体が壊れて行く中で一度だけしっぽを振ってくれました。きっと彼も最後まで幸せだったと思います。

 

いつも本能のまま、いつも犬らしく生きられたから、「みつくに」はうちへ来て本当によかったんだと思います。

 

 

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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