今日、突然、高校時代の友人Tからメールをもらった。十年以上ぶりのコンタクトになる。
高校のクラスメイトとは僕が会社を設立して以来音信不通で、僕は長らく行方不明者になっていたようだ。少し前に街で偶然出会ったO君が、何人かに僕の連絡先を知らせてくれたらしい。
九月末のある日、神保町の美味しい焼き鳥屋でお客さんたちと一杯やり、ご機嫌で店から出たところで、業界人風の巨大なおっさんから「おくやまぁ~!」と声をかけられた。瞬間的に「俺の知り合いの中にこいつはいない!」と思い、三歩くらい後ずさりしながらも、必死に記憶の糸口を探した。
そいつがOだと判るのに十秒はかかった。当時より何十キロも太って顔や体の輪郭が変わってはいたが、部品のつくりは変わらないもので、目を見て思い出した。よく僕のことを一目で判ったなぁ、と感心した。僕も高校時代から二十キロ増しなのに。
突然のことでどうふるまってよいのか一瞬とまどったが、十何年もの歳月を飛び越えて当時そのままの雰囲気で再会を喜び合えたことに、僕自身が少し驚いた。
僕にとって「学生時代」は暗黒時代だった。高校時代はその最たるもので、入学当初から「入る学校を間違えた」という強い後悔から登校拒否のような状態になった。片道二時間弱もかかる遠距離通学だったが、朝、下車駅で降りることができず、次の急行停車駅まで行って折り返し、鎌倉の海岸で一日を過ごすこともしょっちゅうだった。担任の先生の温情で何とか進級できたが、普通なら卒業できないところだった。
三年間一緒だったクラスメイトは、皆「一風変わった」奴らだった。ほぼ全員が「入る学校を間違えた」と考えていて、いつも「男子校に入ってしまった不幸」を嘆きあっていた。どいつも妙に大人っぽく、どこか斜に構えたところがあり、それぞれが発する屈折した空気で教室はいつもニヒルでだるい雰囲気に満ち溢れていた。
そんな連中の中でも、いろんな面で僕のダメダメぶりは際立っていたように思う。もちろん皆から認められる存在でも尊敬される存在でもなく、いつも劣等感で沸々としていた。でも、今僕が会いたいと思う「学生時代の友人」の多くはあの頃の面々なのだ。
クラスのまとまりはなくばらばらだった一方で、それぞれの「個人力」は高かったと思う。勉強ができる奴はあまりいなかったが、頭の良い奴は多かった。今から思うと、ものを見る力や感じる力が強い人間が集まっていたかもしれない。皆は僕を認めてはいなかっただろうが、よく知ってはいてくれたと思う。何の虚飾もないどん底の裸の自分の中身をよく知っていてくれた連中だから、長く会わなくても一定の絆が維持されているのだろうか。
「自分を建て直す」ためにこの十数年間後を振り返らずにきたことが、結果として失ってはいけないものを抹消しかけていたかもしれない。Oとの再会で、大事な忘れ物が戻ってきたような気もする。