新卒採用

この秋、図らずも初めての新卒採用に挑戦することになったクライアントさんが三社あります。どの会社も従業員が五名にも満たない小規模企業で、それまでは人材採用と言えば中途採用でしたが、「中途採用のアセスメントでなかなか通過者が出ないから」という理由で、新卒採用に切り替えたのでした。理由は定かではないのですが(仮説は多々ありますが)、この十年間中途採用アセスメントを通過した応募者がほとんどいないので、私は「できることなら新卒採用の方がいいですよ」と言い続けてきました。

 

小さい会社が初めて人を採用しようとする時、経営者はなぜか中途採用を選択します。その理由は概ねこんな感じでしょうか。

 

①即戦力が欲しいから

②うちはまだ新卒を採用できるような会社じゃないから

③うちは新卒採用した社員たちを育てられる状況にないから

 

今回、新卒に切り替えたクライアントさんたちもそんなふうに考えていたようでしたが、

 

①・・・専門性が極めて高い仕事は例外として、自分の頭で考え自分で動く力を備えた新卒が一年経験を積んだ後の生産性は、その力を持たない十年目のベテランのそれを凌駕します。

②・・・「新卒採用できる会社」がステイタスだった時代はとっくに終わりました。学生の価値観や応募者を集める手段が多様化した今、応募者を集められない会社はありません。

③・・・社会人としての常識だけ教えてあげれば、仕事を教えるのはOJTで十分です。二十数年もかけて培われてきた仕事人格を、会社の育成や教育で変えることなどできません。

 

・・・「だから、ダイヤの原石をじっくり探しましょう」

 

という当方の提案を、各社の経営者が受け入れて下さいました。「採用を急ぐとろくなことは無い」ことを良く知る方々なので、「来年の四月まで待てないよ」などという声は出ませんでした。

 

そして間もなく、三社とも「採るべき人」に出会うことができました。初めての採用で採用アセスメントを導入したある社長さんは、アセスメントを通過する人がなかなか出ない中で、ずっと「どんな人が受かるのか、早く会ってみたい」とおっしゃっていました。新卒採用に切り替えたとたんに念願がかなったわけですが、その通過者があまりに落ち着いていることにとても驚いていました。確かにそれまで何十人と見てきたどの応募者よりも「大人」でした。

 

よく考えれば考えるほど、「中途採用でなければいけない理由」や「新卒採用への障壁」は少なくなります。もちろん中途採用を完全否定するわけではありませんが、根拠の薄い社会通念を一枚ずつ剥がしていくことで魅力的な選択肢が浮かび上がるのですから、特に小さな会社の社長さんには一考の余地があると思います。

 

 

初めて新卒採用に舵を切った三社で早々に成果が出ました。少し出来過ぎの感があるのも確かですが、この成功の背景には、今年ならではの要因もありました。例年、秋が深まると新卒採用の応募者も徐々に減ってくるのですが、今年は物凄い勢いで集まるのです。小さな会社でも常に潤沢な選考母集団を形成できたことが勝因の一つであることは間違いありません。その三社以外にも多くのクライアントさんが新卒採用の佳境を迎えていますが、「この秋は全く学生集めに苦労しない」と、各社の経営者は口を揃えます。

 

多分、まだ就職を決められない大学四年生が、世間のイメージ以上に多いのだと思います。大企業の中には夏までにリモートのみで採用を完結させたところも多いそうで、そのような企業を狙うそれなりの学歴の学生は収まるところに収まったのかもしれません。しかし一方で、自粛期間が明けて採用活動を再開するはずだった中小企業の採用マインドが全般的に低下したことにより、多くの学生が行き場を無くしたのではないでしょうか。

 

世のマスコミはそのあたりのことを報じません。「十月一日時点での内定率が九十パーセント近い」という某社の調査結果を目にしましたが、この時期になっても連日多くの大学生と向き合っている私としては、そんな数字をどうしても信じることができません。一体どんな性格の母数から算出した数字なのでしょうか。朝晩めっきり冷え込む季節になっても黒いスーツに身を包んで就活に頑張る学生たちは、そんな数字もちらつく中で、今どんな気持ちでいるのでしょうか。

 

来年は、今年よりももっと厳しい就職戦線となることが予想されます。未来ある若者が大量に非正規被雇用に流れてしまう世の中は健全とは言えません。この惨禍でも元気のある中小企業、採用マインドの高い中小企業には、前述の呪縛を振り払って新卒採用に注力していただきたいものだと、切に願います。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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