小さな会社の採用革命=50の新常識= ⑪ 会社独自の新卒採用基準など設ける必要はない。

小さな会社の採用革命=50の新常識= ⑪ 会社独自の新卒採用基準など設ける必要はない。

「求める人物像」を過度に追い求めると、論理誤差を生みます

人を採用しようとする時に、求める人物像をはっきりさせること自体には意義があると思います。でも、応募者を観察する際に、応募者の行動を「その人物像にあてはまる行動か否か」という視点で追いかけ過ぎると、採用ミスを招きやすくなります。採用側は基本的に「採用したい」という強い思いを持って選考に臨むので、応募者の行動が求める人物像の行動に見えてしまうことが多くなるからです。

 

例えば、求める人物像を「リーダーシップのある人」と定めた会社の経営者が、採用選考のグループワークでその場を仕切り始めた応募者を目にしたなら、その応募者がリーダーシップの持ち主に見えてしまうでしょう。そしてその応募者がその後に見せる行動は、おしなべてリーダーシップ溢れる行動に見えてしまうはずです。一方、アセスメントのグループ討議では、場を仕切りたがる応募者の大半が、「自己顕示欲」「承認欲求」「自己充足欲」などの自分の欲望を満たすためにそうします。「場を仕切る」という一つの行動に触れたことでその応募者を会社が求める人材と判断し採用してしまったとしたら、その経営者は、その後真のリーダーシップとは真逆の特性を持つ新入社員に悩まされることになってしまいます。

 

視野に捉えた限られた情報を自分勝手なストーリーに仕立て上げることを論理誤差と言いますが、求める人物像を過度に追い求める採用選考は論理誤差を強化しかねません。

 

「求める人物像」は、網羅的で汎用的でなければいけない

それにしても、会社に「リーダーシップのある人」を採れと言われて採用選考に臨む採用関係者は大変だなあと思います。前述のように、見る人によってはリーダーシップに見えてしまうような行動はいくらでもあるのだし、百人いればイメージされるリーダーシップは百通りになりかねません。企業の新卒採用ページを眺めていると、「チャレンジ精神のある人」とか「コミュニケーション能力のある人」など、「リーダーシップ」と同様に採用の現場で選考にあたる人が困ってしまいそうな「求める人物像」が並びます。これらは、採用に関わる人の間で同じものが共有されにくいという問題もありますが、網羅性の問題もあります。必要なものが過不足無くカバーされているかということです。

 

前述のような「求める人物像」は、経営者の志向が反映されていることが多く、それを前面に出すことはとても良いことだと思いますが、これから人を採用しようとする会社が求める人物像を定めるなら、それはその会社が求めるものを概括的に含んでいなければなりません。最も欲しいものに絞るのではなく、全てのものをカバーするような要件でなければいけないのです。最も欲しいものをいくつか並べてカバーする範囲を広げようとする意図が見られる会社もありますが、そのやり方だと、つぎはぎの間から水が漏れます。

 

新卒採用の際に定める「求める人物像」は、「仕事の場で生産性の高い人は、必ずその要件を備えている」「その要件が欠けている人は、組織で問題行動や機能不全に陥りやすい」と言えるような集約的なものである必要があります。それは業種や職種や年齢層を問わずいかなる社員にも求められるものでなければなりません。そうなってくると定めるべき人物像は、極めて汎用的なものになるはずで、会社によって独自のものが必要かどうかも疑わしくなってきます。

 

採用アセスメントが求める人物像

私たちの採用アセスメントが求める人物像は、前述のようにマネジメント能力の持ち主です。具体的には、思考力(未知の場面でも自分の頭で考え自分で動くための仕事力)と利他性(利己的な欲望を制御し、他者の利益や心情に寄り添って動くための仕事力)が高い人です。これは、どんな会社の採用を支援する場合でも変わりません。この二つの要件には、経営者なら必ず従業員に求めるものが集約されています。この二つの要件を併せ持つ人なら、どんな会社でどんな仕事をしても大抵大丈夫だと思います。逆に言えばこの二つの要件に問題がある従業員は、どんな会社においても必ずと言っていいほど「困った社員」になります。

 

私たちは、「自分たちが使っている要件だけが絶対的に正しくて他のものは間違いだ」などとは思っていません。できるだけ汎用的で集約的で網羅的な、採用の現場で動く人たちが安心して頭に置けるものを、人を採用しようとする各企業が一生懸命考えて創り出していけばよいのだと思っています。最近は、「自分で考える」「自分で動く」「利他性をもって」などの文言を掲げる企業が増えてきたようで、とても嬉しく思っています。

 

当社の内製化支援を何年も前に卒業された企業の採用ページに、こんな記事が出ていました。

 

新卒採用チームの若手社員たちが、ミーティングで求める人物像の話をしていた時のこと、メンバーから出された様々な意見をどんどん概念化していったら、最後は「いいやつ」という極めて網羅的かつわかりやすい要件に満場一致で落ち着いた。

 

素晴らしいと思いました。

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に憧れの関西に移り住み、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。 その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。 37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。 歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これで俺のラグビーとゴルフは変わる!」と、加齢という現実から目を逸らして盛り上がる。月イチで山へ芝刈りに行く日常は戻ったが、たくさん叩くのは足のせいではなかった・・・ことに薄々気づき始めた今日この頃。

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