小さな会社の採用革命=50の新常識= ㉑ 応募者の話や職務経歴書(ES)の記述への信頼はほどほどに。

小さな会社の採用革命=50の新常識= ㉑ 応募者の話や職務経歴書(ES)の記述への信頼はほどほどに。

応募者が話したことと書いたもの

多くの経営者や採用関係者が選考において「応募者が話したこと」を重視します。採用面接で応募者の話からその人の本質を知ろうとするのは、今も昔も変わりません。しかし、応募者の話したことを採否の判断情報にすることには、かなり無理があると思います。応募者が話したことがすべて信じられないと言っているのではありません。応募者の発言内容がその人の本質を映すことももちろんあります。

 

しかし一方で、採用面接は採用されたい人が採用されるために頑張る場所になるので、当然ながら応募者は見せたい自分を演出し、採用側に喜んでもらうために用意したネタを一生懸命発信します。そこには真実もあるでしょうが、当然、誇張や脚色や時には捏造も含まれるでしょう。また、多くの人が自分のことをわかっているようでわかっていません。例えば応募者が語る自分の強みや弱みなどについては、自分では本当のことを言っているつもりでも大半は真実を捉えていません。このように、応募者が語る内容には、常に真偽が混ざり合っています。そんな情報群を前に、情報を識別する術も持たない採用側が、一体どんな判断を下せるというのでしょう。

 

また、「応募者が書いたもの」もまだまだ多くの会社で貴重な情報として使われており、その情報に一喜一憂する採用現場の空気は確実に残っています。しかし、「書く」という取り組みには「話す」際よりも更に十分な準備時間が与えられるので、操作性が入り込む余地が大きくなります。その上、マニュアルやサンプルには事欠かない時代なので、応募者の中ではしっかりと作成マニュアルやテンプレートが共有されてしまっており、この数年はエントリーシートや職務経歴書の画一化が目立ちます。同じようなことが枠内一杯に書き込まれたエントリーシートの山を前に、いい加減うんざりしている人事担当者も少なくないと思います。

 

しかしそうは言いながらも、世の中の採用関係者は、応募者がアウトプットした情報に対して未だに一定の信頼を寄せているものと思われます。応募者を知ろうとする上でそんな情報はあまり役に立たないことを、もはや誰もが薄々感じていると思うのですが、応募者から情報を得る手段がそれしかないという現状に甘んじているのかもしれません。

 

しかし、それはあまりにも怠慢なのではないでしょうか。採用されたいと願う応募者が言ったり書いたりすることに操作性が含まれるのは致し方ないにしても、その情報を真に受けてその人の評価に直結させてしまう方には大いに問題があります。頭に汗をかくことを嫌がってわかりやすいものに飛びついた結果、採ってはいけない人を入社させてしまったのでは、ステイクホルダーへの責任が問われてしまいます。

 

人の能力を最も表現するものは行動である

私たちの採用アセスメントでは、応募者の発言内容をあまり重視しません。発言の癖や習慣が、その人のリスクに繋がる特性とみなされる場合や、発言のパターンが明らかに思考停止を証明するものであるような場合以外では、応募者の発言内容にそれほど向き合うことはありません。また、応募者の発言内容に好感を抱いて人格的な評価を高めたり、それらしく話す応募者を思考力の持ち主であるとみなしたりすることは、「アセッサーとして最もやってはいけないこと」としてタブー視されています。我々アセッサーにとって応募者の発言内容は、向き合うべき主な対象とみなされていません。

 

私たちが向き合う対象は、応募者の行動です。私たちは、応募者が無意識的に示す行動に着目し、そのような行動を拾い続けます。ひとつの行動からその人のことを知ることはできませんが、似たような(関連性のある)行動が繰り返されると、その人の行動特性がわかってきます。一つの行動はたまたまのものかもしれませんが、いくつかの行動が繋がって特性となるとそれはその人の傾向であり、その人の本質を映すものになります。行動を集めて行動特性を知ることがアセッサーに求められている最も重要なミッションであり、それは結構エネルギーを使う取り組みなので、発言内容に一喜一憂している暇は無いのです。

 

人の能力を最も表現するものは行動なので、応募者のことを知りたければ、応募者の行動観察に全精力を傾けるのが採用選考の王道です。どのような行動特性をキャッチして、その行動特性がその人のどんな能力を表現しているのか、という行動分析の基本を、この後惜しみなく開放していきますので、ぜひ参考にしてみてください。

 

応募者の行動をキャッチする視点を増やせば、応募者が話したことや書いたものへの信頼は自然と抑制されていくはずです。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に憧れの関西に移り住み、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。 その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。 37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。 歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これで俺のラグビーとゴルフは変わる!」と、加齢という現実から目を逸らして盛り上がる。月イチで山へ芝刈りに行く日常は戻ったが、たくさん叩くのは足のせいではなかった・・・ことに薄々気づき始めた今日この頃。

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