小さな会社の採用革命=50の新常識= ⑳ 「学歴なんて関係ない」は、バランスを欠いた極論である。 

小さな会社の採用革命=50の新常識= ⑳ 「学歴なんて関係ない」は、バランスを欠いた極論である。 

確かに組織は思考力を求めているが

学力と思考力は異なるタイプの情報処理です。学力は、一つの情報を出し入れする力です。あくまでも情報を動かす力であり、情報の形を変えることはできません。学力秀才は、膨大な量の情報をインプットし記憶して適宜アウトプットすることができるので、経験や知識をそのまま使える作業領域では量的生産性を高めることができます。一方、思考は情報を集めて繋ぎ合わせ、それまでには見えていなかった新しい概念を創り出す取り組みです。情報の形をそれまでなかった新しいものに変えていくという点が、学力的情報処理とは大きく異なるところです。作業中イレギュラーな状況に遭遇した時、新たな仕組みづくりや本質的な問題解決など日常的な流れの中にない仕事に挑戦する時、そして人の感情と密接に寄り添って仕事をする時など、経験や知識をそのまま当てはめることができない未知の領域においては学力よりも思考力が求められます。

 

定められていることを言われたとおりにやりさえすればよい仕事があるなら、そこでは学力秀才が最強でしょう。しかしながら、この不確実性の高い時代にそんな職場はほとんどありません。未知の場面において自力で動くことが求められる場面では、学力ではなく思考力が必要となります。情報を集めて繋ぎ合わせないと、未知の対象の正体(全体像)を把握することができず、取り組みの目標を設定できないからです。今では階層や年齢を問わず働く人すべてに思考力が求められ、思考力の持ち主が「優秀」と称されることは、以前にも述べました。そんな中でも、業務の標準化が進み広い作業領域が用意されている大企業では、社員の思考力欠如に対して比較的鈍感で寛容な気がします。しかし、思考力欠如が致命的な機能不全を招きやすい小さい会社の経営者は、思考しない人が増えることへの危機感が本能的に高いのではないでしょうか。

 

「学歴なんて関係ない」

「頭の良い人を採ったはずなのに(いい大学の学生を採ったのに)、全然自分で考えない」のようなことを盛んに口にされる小規模企業の経営者は私の周りにもたくさんいます。また、採用アセスメントを内製化されている会社の社長や採用関係者は、日々あまりにもたくさんの「思考できない学力秀才」を目にしているので、「学力の高い人は思考力が低い」という事実とは少し異なる通念が共有されてしまうようなケースも見られます。

 

そんな中で、「学歴なんか関係無い!」という思いが強くなり過ぎて、採用選考の際に応募者の学歴を無視する小規模企業の経営者や採用関係者が散見されます。確かに学力の証明となる「学歴」は、応募者のことを知る上で最も重要な情報ではありませんが、採用選考の肝が応募者に関する情報を可能な限り集めることである以上、簡単に捨ててしまってよい情報などないはずです。

 

学力が威力を発揮する時

例えば、文書や数字の処理が主となる業務に就く人には、学力的な情報処理能力が強く求められます。膨大な量の定型的業務を間違いなくこなし続けるためには、この力が欠かせません。特に経理や財務などのお金に関わる業務や、法務や労務などの法律を運用する業務などでは、学力が思考力と同じくらい重要な能力とみなされます。思考力が高くても学力が足りない人がこのような業務に就くと、思考力が発揮されるような状況になる前に日々の作業が滞る可能性が出てきます。採用アセスメントで思考力の高さが認められた人が、入社して数年は業務処理に苦戦してなかなか頭角を現さないケースもあり、そんな状況を見聞きすると心が痛みます。

 

いかなる採用においても思考力のある人を求めることは大前提になりますが、思考力さえあればいかなる業務にもすぐに適応できるというわけではありません。(最低限の思考力が担保されているという前提で)学力の高い人に優位性が生じやすい業務が存在する以上、採用選考の際には「学歴」という情報も頭の片隅に留め置いておく必要がありそうです。

 

学力への向き合い方

前述のように、学力の高い人は業務の手順や必要な知識を早く覚え、定型業務への対応力に優れます。必要最低限の思考力を備えていることを前提とするなら、学力の低い人よりも高い人の方が組織にとっても好都合なことは多いと思います。しかしながら、大前提であるはずの思考力の持ち主があまりにも少ないという現実があるので、私たちはとりあえず学力の件は脇に置いて、なかなか現れない逸材を発見することに全力を注いでいるのです。高い思考力を有する逸材が現れると、私は湧き上がる喜びを抑えながら初めてその人の学力のことを考えます。「地頭」という言葉もあるように、思考力の高い人は生まれつきの「頭の良さ」を持っているとも言えるので、「思考力がありながら学力が著しく低い人」という人にはあまりお目にかかったことがありませんが、その人の学力的情報処理能力に向き合って業務への適性を考えることはあります。思考力最優先はいつも変わりませんが、学力を無視することはありません。

 

「学歴が高いから頭が良いはず」「学歴が高ければ思考力も高いはず」と思い込んでいる経営者の学歴至上主義よりはずっとましだと思いますが、学力よりも思考力が重要であるということを強く認識した経営者がその反動で打ち出す学歴不要論は、少しバランスを欠いた極論です。応募者の仕事力を見極めようとする人には、感情的な勢いを抑え、応募者に関する情報を漏れなくしなやかに処理することが求められます。応募者の人生の一部を確かに映す学歴と言う情報にもしなやかに向き合った上で、より妥当性の高い判断に繋げてほしいと思います。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に憧れの関西に移り住み、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。 その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。 37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。 歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これで俺のラグビーとゴルフは変わる!」と、加齢という現実から目を逸らして盛り上がる。月イチで山へ芝刈りに行く日常は戻ったが、たくさん叩くのは足のせいではなかった・・・ことに薄々気づき始めた今日この頃。

0 Comments

Leave a reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*