小さな会社の採用革命=50の新常識= ⑰ 選考母集団を拡充することが、成功への第一歩である。

小さな会社の採用革命=50の新常識= ⑰ 選考母集団を拡充することが、成功への第一歩である。

弱気な採用からの脱却

「うちみたいな会社に来てくれる人なら誰でも」

人材採用に臨む小さい会社の経営者からよく聞かれる言葉です。謙遜ならいいのですが、中には本気でそう考える経営者もいて、「応募があれば面接だけしてすぐ採用」などという恐ろしいこと繰り返してしまいます。そんな採用をしていると、会社はいつまでたっても大きくなりません。

 

自分の会社にまだ自信を持てない時期に、人を採用してその人の人生を背負うことにも自信を持てないのは仕方がないことだと思います。しかし、自分の会社に自信を持てるようにするためには、採用を頑張って社内に生産性の高い人を増やしていかなくてはなりません。そのステージで行われる採用は、その会社の歴史の中である意味最も重要な採用になります。だからこそ、そこに臨む経営者には、「来てくれる人なら誰でも」とは真逆のスタンスが求められます。

 

前述のように、問題のある人を採用してしまうと実に怖いことが待っています。そしてそのような人が採用市場を埋め尽くしてしまっているという残念な現実もあります。来訪者を無防備に採用してしまうことの危険性に意識を寄せてみるだけで、採用に向けた心構えが少し変わります。そこに加えて、やはり前述の「小さい会社にこそ本当に優秀な人材が必要である」「逸材を採用できる機会はどんな会社にも均等である」という原理原則を思い起こせば、そこで人を採用する経営者としての健全なマインドセットに近づくでしょう。小さい会社の経営者は、世の中で最も採用を頑張らなくてはいけない立場にいるのです。「最高の人材を採る」と公言し、誰よりも貪欲で妥協しない採用選考に臨むのが筋というものです。

 

応募者を集めて選ぶ採用へ

貪欲な採用選考を具現化するものが、潤沢な選考母集団です。小さい会社の命運を左右するような採用選考は、なるべく多くの応募者を集めた上で「選ぶ」という取り組みに膨大なエネルギーを注ぐことが大前提となります。誰が何と言おうと、人を雇用して人の人生を支えることができる経営者は偉いのですから、自信をもって堂々と応募者を集めて選んで欲しいと願います。

 

私たちのお客様の中には社員数が十名以下の小規模企業が数社あり、いずれも毎年一~二名の新卒を採用するために何度も採用アセスメントを繰り返します。採れないアセスメントを重ねていく社長たちの心中は穏やかではないと思いますが、それでもハイスペックの持ち主も含む応募者たちに、毎回粛々と✕をつけていきます。結果としてアセスメントした応募者が百名を超えることも珍しくないようですが、もはやそこに特別な感情を抱くことは無いそうです。

 

どの社長も、初めてお会いした頃は「うちみたいな会社に来てくれる人なら」のようなことを口にしていらっしゃいました。そして「応募してくれた人を面接して、いい人と思ったら即決」のような採用をごく当たり前のように繰り返していました。その時とは打って変わって毎回多くの応募者と向き合うようになった今、皆さんが異口同音に伝えてくださることがあります。

「採用で多くの応募者と接するようになって、それまで自分がいかに自分の殻の中に閉じこもって採否を決めようとしていたかを思い知らされた」

 

人を採用したいと願う経営者がたった一人の応募者と会ったなら、その経営者は「その応募者を採用する」という結論を出すことを前提に選考に臨み、そこに至るまでの様々な障害を排除しにかかります。つまり、面接などの中で応募者に何らかの違和感を抱いても、それよりも大きな期待を持ち込んでその違和感を打ち消そうとするのです。それは、何も見ず何も聞かず自らを思考停止へと追い込んでいくような実に危ない流れです。

 

しかし、応募者が複数になると、採用側の精神状態がなぜか不思議なほど変わります。選考の対象が増えて複数の人間に関する情報が飛び込んでくるようになると、比較の余地が生じるだけでなく、応募者の言動に対する感性が鋭敏化して思考が活性化するのです。応募者が一人から二人に増えると、得られる情報量は二倍以上になり、思考の精度も高まって、より妥当性の高い意思決定ができるようになります。選考母集団を拡充した方が良い理由は、「確率を高めるため」だけではないのです。

 

こんなことを話してくれた社長もいらっしゃいました。

「多くの応募者と接する中で、自分はなぜ人を採用しようとしているのか、自分は実はどんな人を求めているのか、とあらためて自問自答するようになった」

多くの応募者と接し、最適化を求めて頭に汗をかくことで、応募者のみならず自分自身の気持ちと冷静に向き合うことができるようになるのですね。

 

いきなり百名を集めろと言われても現実的ではないと思いますが、一人よりは二人、二人よりは四人というように、まずは選考母集団を作り、そして少しずつ増やしていくことは、どんな会社のどんな経営者にも可能な取り組みだと思います。きっとそれが自分の会社にもっと自信を持てるようになるための第一歩となります。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に憧れの関西に移り住み、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。 その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。 37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。 歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これで俺のラグビーとゴルフは変わる!」と、加齢という現実から目を逸らして盛り上がる。月イチで山へ芝刈りに行く日常は戻ったが、たくさん叩くのは足のせいではなかった・・・ことに薄々気づき始めた今日この頃。

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