小さな会社の採用革命=50の新常識= ⑬ 「優秀な人を採るとうちの社員と摩擦が…」は、無駄な心配である。

小さな会社の採用革命=50の新常識= ⑬ 「優秀な人を採るとうちの社員と摩擦が…」は、無駄な心配である。

 「優秀だけど嫌な奴」など存在しない

採用アセスメントの内製化を検討されている経営者から、「アセスメントを通過するような優秀な学生が入ってきたら、今のうちの社員との間に摩擦が生じないでしょうか」という懸念が示されることがあります。「優秀」という言葉から連想されがちな学力秀才の中には、確かに高圧的だったり偉そうだったりする学生もいるので、そんな人の入社による人間関係の悪化を心配されるのでしょう。

 

でも私たちは、学力秀才ではなく思考力の高い人を優秀と称しています。本当に思考力が高ければ、高圧的になることも偉そうになることもありません。思考力の高い本当に優秀な人は必ず「いい奴」であり、「嫌な奴だけど優秀」などという人は、実は存在しないのです。そもそも組織での生産性が高い人間を優秀と呼ぶのですから、対人場面での生産性が低い「嫌な奴」を優秀と呼べるはずがありません。

 

思考力の高い人はなぜ「いい奴」なのか

思考は関連性のある情報を集めて繋げていく情報処理なので、情報が多いほど思考の精度が高くなります。したがって思考力の高い人は、常に自分の感性を研ぎ澄ませてより多くの情報を得ようとします。よく「人に向き合う」「問題に向き合う」のような言い方をしますが、この「向き合う」というのは、そこから少しでも多くの情報を得て理解を図ろうとする取り組みのことです。思考力の高い人は、例外なく人に向き合う意識と技量に優れます。開放的な(話しやすい)表情で人に接し、人の話をよく聴き、表情や態度などの非言語情報も取り込んで、その人の気持ちを理解しようとする、実に「いい奴」なのです。

 

また、思考は、広い範囲の場所と時間に散らばる情報を拾い集めることから始まる情報処理なので、脳の疲弊を伴います。先の見えない戦いになることも多いので、精神的にも負担がかかります。それでも自分の心身に鞭を打ち敢えてその苦難の道に舵を切る人の背中を押しているものは、「人のため」「組織のため」という利他的な意識なのでしょう。やっぱり「いい奴」です。

 

思考力の高い人は、嫌な強さを伴う行動とは無縁である

多くの経営者から冒頭のような懸念が示されるのは、優秀(頭が良い)という言葉から、「攻撃性」「支配性」「上から目線」「高圧的」「偉そうにする」などのワードがイメージされやすいからではないでしょうか。どの言葉も、嫌な感じの「強さ」を伴います。「その負のパワーに組織のバランスを壊されてしまうのではないか」と心配になってしまうのでしょうが、思考力の高い、本当の意味で頭が良い人は、例外なく他者への働きかけが静かで、穏やかで柔らかい対人場面を作ります。なぜなら、そのような人の中には、他人に強く当たらなくてはいけない理由が無いからです。

 

強い語勢や高圧的な態度のような負のパワーを持つ特性は、何らかの理由で精神的な不安を抱えている心の弱い人に見られます。精神的に不安定な人が、自分を強く大きく見せたいという欲望に支配されると、自分の現実を人から覗かれて弱みが露呈することを恐れる防衛的な意識が生じます。そして、高圧的で感情的な物言いや、虚勢に満ちた偉そうな態度のような、人を遠ざけるような「強い」行動を選択するようになります。自分の脆弱な心を守るためのこのような行動は、自己防衛行動と称されます。弱い犬が吠えるように人払いをするような行動を繰り返すのですから、周囲から「嫌な奴」と思われるのも当然ですが、思考できる人がこのような行動を見せることは、理論的にあり得ません。思考できる人は精神的に安定しているはずだからです。

 

思考は、精神的安定を前提とする取り組みです。思考の入り口で対象に向き合うためには、かなりのパワーと集中力が必要とされるからです。精神的な不安を抱えていたのでは、思考という複雑で骨の折れる取り組みを選択できません。ちなみに、精神的な安定は精神的自立によってもたらされます。精神的に自立している人は、ありのままの自分を受け入れているので、自分を誰かと比べる必要もなく、人からの見られ方を気にする必要もありません。「自分は自分以外の何者でもない」と割り切っているので、自分を誇示したり取り繕ったりする必要もありません。したがって、いかなる場面でも感情の揺れが生じにくく、無理や無駄のない静かな自然体で他者と接することができるのです。そのような健全な精神状態が、組織に悪影響を与えるような「嫌な強さを伴う行動」を生むことはありません。

 

対人スキルについて

対人スキルという言葉があります。対人場面で生産性を確保するためのスキルのことですが、その本質については誤解されていることが多いようです。例えば、コミュニケーション研修などで、頷きや相槌などの反応行動を繰り返し練習したり、潤滑な対話が成立するようにロールプレイングを行ったりしますが、それらは単なる対人テクニックです。本当の対人スキルとは、「相手に向き合い相手の話を受容する→相手から得た情報を使って思考し、相手のニーズに合った答えを返してあげる」というプロセスを繰り返す力のことです。これができると相手から安心され信頼されますが、これを疎かにすると相手に「この人は私の言いたいことをわかってくれない」という不信感をあたえてしまいます。もうおわかりのように、この対人スキルとは、思考力のことに他なりません。思考力の高い優秀な人は、対人場面でも必ず生産性を高めます。優秀の意味を取り違えさえしなければ、どんな時も「優秀」と「いい奴」が対立概念となることはありません。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に憧れの関西に移り住み、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。 その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。 37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。 歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これで俺のラグビーとゴルフは変わる!」と、加齢という現実から目を逸らして盛り上がる。月イチで山へ芝刈りに行く日常は戻ったが、たくさん叩くのは足のせいではなかった・・・ことに薄々気づき始めた今日この頃。

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