小さな会社の採用革命=50の新常識= ⑫ 「尖がっている人を採りたい」などと考えてはいけない。

小さな会社の採用革命=50の新常識= ⑫ 「尖がっている人を採りたい」などと考えてはいけない。

荒れるグループ討議

新卒採用アセスメントのグループ討議に臨む学生たちは、会場に入って着席するとすぐにA4二枚にびっしりと情報が詰め込まれた「課題」が渡され、十分間でそれを読み込み討議の準備をするように指示されます。その内容は、世の中の企業でよく見られる普遍的な経営問題をモチーフとしたもので、学生にとっては未知の領域になります。難しい言葉があるわけでも専門知識を必要とするものでもありませんが、情報量はかなり多く、内容を理解し問題の全体像を把握するには、少なくても十分以上の時間を要するように作られています。

 

にもかかわらず、その十分間が過ぎて討議の開始が告げられるやいなや、学生は我先にと話し出します。彼ら・彼女たちのほとんどが、その課題をよく読んで内容を理解することを早々に放棄し、キーワード探しに舵を切ったからです。わかりやすいキーワードに自分の経験や知識を絡めれば、内容を理解しなくても何かを言うことはそれほど難しいことではなく、特に受験秀才であればそれらしく流暢な発信を繰り返すことができます。課題にまったく向き合わず、発言することだけを目的とした学生たちのグループ討議は、問題の本質から遥か遠いところで展開され、応募者たちに与えられた前提もすべて無視されて、極めて生産性の低い時間が流れていくことになります。大変残念なことではありますが、そんな学生が選考母集団の大半を占め、そんなグループ討議が日々繰り返されています。

 

真面目な人

そんな中に、指示された通り課題を読んで内容を理解しようとする学生が混ざることがあります。その人も、十分間の準備時間内に課題を読み込んで内容を理解することは難しいはずなので、討議開始の時点では口を開ける状態にありません。それなのに他のメンバーが次々としゃべりだすので、「皆すごいなあ」「自分だけがダメなのかな」と、他の人が課題の理解を放棄していることなど知らずに焦ったりもするでしょう。それでも時間が経つにつれて徐々に課題の中の情報を繋げて書いてあることの意味を理解できるようになり、問題の全体像が少しずつ見えてきます。そこで初めて自分の意見が形成されますが、その時点での討議は、既に課題の前提から外れてわけのわからない流れになっており、自分の意見とは絡みそうもありません。それでも思い切って討議の中に割って入ります。しばらく黙っていた人が急に入って来たのでみんなは動きを止めて注目しますが、遊んでいた人には、課題に向き合い続けた人が辿り着いた世界を理解できるはずもなく、その貴重な本質論は置き去りにされ、みんなはまた不毛な雑談へと戻っていきます。時間をかけて産み出したものがあえなく捨てられた戸惑いと切なさを封じ込み、その人はまたあらためて課題に向き合います。

 

そんな「真面目な人」が現れると、私たちは喜びに溢れます。真面目に対象に向き合う人には、常に思考する準備があります。また、誠実に人の利害や感情にも向き合えずはずなので、利他の心を持つはずです。思考力や利他性を備える(マネジメント能力を持つ)優秀な人の大前提は、「真面目であること」に他なりません。そんな「真面目な人」を私たちは毎日必死で探しているのです。

 

それなのに、真面目の本当の意味に向き合おうとしない経営者から「うちはそんなに優秀な人が欲しいわけじゃなくて、ただ真面目だったらいいんだよね」などと言われると、心底がっかりしてしまいます。

 

真面目の意味を理解しない経営者へ

事もあろうに「真面目な社員ばかりだと面白みが無いから、尖がった人を採りたい」などと口走る経営者が少なくありません。そんな経営者には、「真面目な社員ばかりの状況に満足できないなんて、あなたがよほど不真面目なのか社員たちが実は真面目ではないのか、どちらかです」と言ってあげたくなります。

 

「尖がった人を採りたい」

本当によく耳にする台詞です。正直言ってよく意味が分からないのですが、多分、個性的で創造的な人が欲しいということなのでしょう。でも、そういう求め方をする経営者が、もし採用アセスメントのグループ討議を観たとしたら、先ほど紹介した例に出て来る、課題から離れ前提を軽視して好き勝手にしゃべりまくる学生が創造的に思え、魅かれてしまうことでしょう。組織で仕事をする人である限り、前提として得られる情報を使って新たな概念を導ける人が創造的な人としてリスペクトされます。課せられた前提や向き合うべき目の前の情報を無視してただ思いついたことを発散するだけの行動を創造的とは呼びません。本当に創造的なのは、ずっと課題の情報に向き合い続けて新たな概念に到達した「真面目な」学生の方であるのは、言うまでもありません。

 

「尖がった」の意味するところが何にせよ、人を採用するにあたって真面目である以上の要件はないのですから、「真面目な人より尖がった人を」という考え方に、妥当性はありません。「地道な取り組みより派手なことが好き」なだけなのかもしれませんし、もしかしたら「個性的な人をあえて採ろうとする自分って素敵」「荒馬をうまく乗りこなす自分の能力を世間に褒めてもらいたい」のようなナルシズムや承認欲求に支配されての方針なのかもしれません。いずれにしても、真面目な経営者の考えることではないと思います。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に憧れの関西に移り住み、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。 その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。 37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。 歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これで俺のラグビーとゴルフは変わる!」と、加齢という現実から目を逸らして盛り上がる。月イチで山へ芝刈りに行く日常は戻ったが、たくさん叩くのは足のせいではなかった・・・ことに薄々気づき始めた今日この頃。

0 Comments

Leave a reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*