懐かしい観光バス【復刻版】-2008年10月23日公開-

懐かしい観光バス【復刻版】-2008年10月23日公開-

高速に乗る前に昼メシを済ませておこうと、「おぎのや」へ行ったら、駐車場に観光バスが一杯で、車を停める場所を探すのが大変だった。バスからはきだされる観光客の数がこれまたすごくて、車を進めるのにも一苦労。何事かと思ったら、どうやら今信州はもみじ狩りのシーズン真っ只中のようだ。そう言えば、先日白樺湖の峠を越えた時には、既に山がすっかり色づいて「サクマ式ドロップス」みたいだった。

 

 

 

観光バスの列の中に「神姫バス」の大編成があったので、その近くに車を停めた。僕は大学時代、このバス会社の大阪営業所で四年間「横乗り」のバイトをしていた。横乗りとは、観光バスの車掌のことで、バスガイドさんをつける必要のない団体には、安い学生アルバイトで済ませるのだ。法律で、どんな場合も誰かバス会社に属する人間を運転手プラスひとり乗せないといけないらしい。学校とクラブが休みの日にいつでもできるし、何しろ一日観光バスに乗ってるだけの仕事で最低六千円はもらえたので、とてもおいしいバイトだった。

 

このバイトのおかげで、僕は関西周辺のたいがいの観光地を知ることができた。学生の修学旅行などでは「みんなの人気者」気取りだったし、町内会の旅行などだと、もらったチップの額にびっくりすることもあった。

 

一方、お金をもらうからにはやはり苦労がつきもので、一番しんどいのは、お客のいない回送中のバスの中で、至近距離にいる運転手さんとコミュニケーションをとることだった。運転手さんの性格もいろいろなので、気持ちよく運転してもらうために自分がどうしていればよいか、どんな話をすればよいのか、自分なりに結構頭を使った覚えがある。この時の経験は、後の仕事に間違いなく生かされたなあ、と思う。

 

あまり良い思い出がない大学時代の中でピリッとしたアクセントをくれたそのバイトのことは、今でも時々思い出す。その思い出の観光バスが目の前にずらっと並んでいるのを見ると、二十年以上の時空を超えたような、変な感じだ。

 

 

 

十何人もの運転手さんとガイドさんや「横乗り」さんたちが集まって談笑している場所を覗いてみた。二十何年か前の僕はこんな中にいたんだなぁ、と、思った。その中に、多分僕が昔何度かご一緒した方ではないかなぁ… と思われる人がいた。当時「若手ドライバー」だったその人は、お兄さんのような雰囲気で接することができて、「回送の時」を楽しく過ごせる人だった。朝、その人とのペアリングが判ると「ラッキー!」と喜んだ覚えがある。

 

その人のごま塩頭が、あの頃からいかに長い年月が経ったのかを思い知らせてくれた。もちろん、その集団の中に割って入って声をかける勇気もなく、心の中で再会の礼をして、僕はその場を去った。

 

高速に乗ってからも、軽い興奮が心地よく後を引いた。

 

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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