感性の大阪【復刻版】-2008年11月16日公開-

感性の大阪【復刻版】-2008年11月16日公開-

新大阪駅の構内で、たこ焼き屋に入った。せっかくだからお好み焼きを食べたかったが、人と会う前だったので全身を覆うであろう匂いを心配した。妥協案が「大阪名物たこ焼き」だった。

 

店に入って気がついたのだが、僕はたこ焼きをそんなに好きではなかった😨 忘れてた。関西にいた五年間でお好み焼は生活の一部になったが、たこ焼きの良さはわからずじまいだったのだ。お好み焼の生地には複雑な味があり、たこ焼きの生地は小麦粉の味しかしない、というシンプルな切りわけはずっと変わらなかった。「家にたこ焼きの鉄板がある」という関西人のたこ焼き文化にあいまみれるにはついに至らず、やはり自分がよそものであることを再認識したこともあったようななかったような …

 

何か他のメニューもあるだろう、という期待は見事に裏切られ、本当にたこ焼きしか置いていない店だった。昼時にこんなに超満員ということは、大阪では「たこ焼き=食事」もあり得るのか。僕の中では「お好み焼き=食事」までがやっとだなぁ、と思いながら、たこ焼きセットを頼んだ。

 

出てきたたこ焼きが思いがけず美味しくて、少しテンションが上がりかけた頃、店の中で繰り返し流されているBGMに意識がとまった。

 

 

 

「♪ 大阪出るとき連れてって~ ♪」

 

 

 

女の人のかん高い声。このチェーン店のCMソングらしい。「おみやげに買ってってくれ~」ということだ。初めて聞いたがすごいインパクトだ。繰り返し繰り返し聞かされているうちに、だんだん脳波に来始めた。

 

 

 

「大阪出るとき ~ ♪」は、「しなの」に乗ってからも、諏訪に帰ってきても僕の脳を支配していた。頭からメロディーが離れない。

 

思えば、大阪はあの「タケモトピアノ」のCMを生んだ土地だ。泣いている赤ちゃんがぴたっと泣き止む、という伝説のCMである。今も僕の頭に残るCMソングやジングルには、確かに「大阪発」が多い。

 

大阪のクリエーターは「人の五感に訴えかける」ことに秀で、マーケットはそれを他の地域より喜んで受け入れるのだろう。大阪人の極めて高い言語力も、感性の強さに由来するものだと思う。

 

 

 

エセ関西人の僕にとって、「感性の大阪」はいつも敷居が高い。

 

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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