役職

先日、初めてお会いするお二人の経営者と、社員の能力開発についてお話ししました。お二人ともとても熱心で面談は熱を帯び、テーマは人事制度構築や組織構造改革などにも及びました。その分野は私の専門ではないので私見を述べるに留めましたが、その中で「組織のフラット化」という概念に久しぶりに接しました。

 

「組織のフラット化」は、会社の判断や意思決定のスピードを上げるために、中間管理職を減らし(あるいは排除し)、経営と現場を直接結びつけようとする組織構造改革です。十数年前、講演会後の懇親会で、「当社は来期から組織をフラット化します」「うちは役職がいないので、みんな『さんづけ』で呼び合うんですよ」などと得意げに話される社長さんたちを、「なんだかなぁ」と思いながら眺めていたのを思い出しました。

 

その後わが国における「フラット化」への熱は、少し冷めてきたものと理解しています。

 

「管理職が減ったりいなくなったりすることで、情報の整理がつきにくくなる」

「管理職が減ったりいなくなったりすることで、責任の所在があいまいになる」

「管理職のポストが減ったり無くなったりしたことで、人材育成の機会が奪われる」

「管理職を失って、自分がどう動いたら良いかわからなくなる社員が続出する」

などのデメリットや弊害が浮かび上がってしまったことも、あちこちで見聞きします。そもそも、社員の精神的自立を前提とする制度にはかなり無理があるのではないかと、日々のアセスメントで現実に直面している者としては思わずにはいられません。

 

そのお二人は、そのような潮目の変化を認識されながらも、役職というヒエラルキーに支配されない組織作りへの憧れのようなものを心に残されているようでした。

 

 

 

この国で組織のフラット化に歯止めがかかるのは当然だと私は思っていますが、前述のように経営側が感じる弊害やデメリットだけがクローズアップされることには違和感を覚えます。そこで働く人たちの立場や心情に本気で向き合おうとする経営者やコンサルタントが少ないことを残念に思います。

 

自分の財産と人生を賭けて会社を経営する人が仕事を頑張るのは当たり前ですが、それと同様の意識や意欲を従業員に求めるわけにはいきません。もちろん従業員の中にはモチベーション(内発的動機付け)の高い人も存在しますが、それを当たり前と考えるのは経営者の傲慢というものです。一般的に従業員のやる気を下支えするものはインセンティブ(外発的動機付け)であり、「高いお給料をもらうこと」と「出世(昇進)すること」は、昔から勤め人の二大インセンティブでした。

 

「組織のフラット化」は、そのひとつを奪ってしまうことになりかねません。

 

管理職の排除を提唱者する人からは、「今の人は、出世とかにあまり興味が無いから」「課長や部長になりたいと思う人は昔ほど多くないから」などと言う声が聞こえます。「だから、役職を減らしたり無くしたりしても問題無い」という理屈なのでしょうが、果たして本当にそうなのでしょうか。

 

確かに最近では「出世したい」とか「早く課長になりたい」などと公言する人をあまり見かけなくなりました。昔と違って「出世欲や昇進欲を前面に出すのは美しくない」と考える人が多い世の中になったのかもしれませんが、だからと言って人間の承認欲求や自己実現への意欲が時代と共に減退するわけではありません。

 

「自分の仕事を認めてもらって、早く責任のある仕事に就きたい」と心の中で願う人や「部下に尊敬される上司になりたい」と来たる日を静かに夢見る人は、今もどの企業にもたくさん存在するはずです。頑張って成果を出したことを人から認めてもらい、その結果手に入れることができる「役職」という勲章は、いつの時代も働く人にとっての強力なインセンティブなのだと思います。

 

係長になって初めて部下を持った時の喜び、課長昇進を家族で祝ってもらえた幸福感、部長の内示を受けた日の静かな達成感・・・ 多くの人が多様な感動と共に「昇進」を受け止めます。同窓会では、密かにお互いの役職を確認し合い、心の奥で安堵したり悔しがったり。何かを申し込むために書類を書く時も、役職記入のところでは良くも悪くも心が少し騒いだりしますよね。見栄張ったっていいじゃないか、人間だもの 😉 

 

会社で働く人たちには、会社を背負う日常があります。経営者の皆さんには、自分と立場が違う社員たちの大切な日常とその中で渦巻く感情に、もう少し向き合って欲しいと思います。役職への無関心を装ってはいても、やはり社員にとって役職は単なる役割でなく、それまで頑張ってきた証です。仕事が苦しい時に、名刺の肩書を見て自己肯定感を取り戻そうとする人が少なくないことを、どれだけの経営者が知っているのでしょうか。

 

「組織のフラット化」に限らず新たな人事制度や組織の構造改革に手を付けようとする経営者には、その取り組みが本当に合理性を伴うのか、社員の思いや立場に目をつぶってでもやるべきことなのかを、いつも気にしていて欲しいと思います。「ただ新しいことをやりたいから」「興味があるから」「格好良さそうだから」などの自己充足的な理由だけで走り出す経営者が散見されますが、そんなことをしていると間違いなく社員の心は離れていきます。

 

 

 

先日、ある友人がこぼしていました。彼の名刺の肩書を見た高校生の娘さんに「お父さん、課長とか部長とかになれないの? 偉くないの?」と聞かれたそうです。彼はなんたらリーダーという部長職相当の肩書を持つ役員一歩手前の人間です。「部下と一緒に名刺を渡しても、相手はどちらが上司かわからない」とも、童顔の彼は言っていました。ちなみに彼の会社は外資系ではありません。海外とのビジネスもほとんど無いそうです。

 

多くの会社が役職をやたらと横文字にしたがる理由は何なのでしょうか。覚えにくくどちらが上なのかわからないようなのは止めて、皆がその意味や価値を安心して共有できる「係長」「課長」「部長」に戻した方がいいと思うのですが。。。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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