小さな会社の採用革命=50の新常識= ㉖ 応募者の発言内容が立派そうでも「思考力が高い」わけではない。

小さな会社の採用革命=50の新常識= ㉖ 応募者の発言内容が立派そうでも「思考力が高い」わけではない。

思考力の有無を分ける分水嶺

思考は、情報を集めてそれまでにはなかった考え方や理論などを産み出す取り組みです。故に、思考する人には、一つ情報に接すると無意識に他の関連情報を集めようとする習性があります。例えば、ある事件の第一報に接した時、思考する人は「本当にそうなのか」と考え、直ちにその事件に関する他の情報を求めます。テレビやネットで強い影響力を持つ人の主張に触れても、それを直ちに真に受けることはせず反対意見や対立概念を探すでしょう。そのようにして多様な情報や意見を積み重ねて物事の全体像(正体)をイメージし、自分の中で真実や本質を浮かび上がらせて、自分の考え方や動き方を決めていくのが思考する人の頭の使い方です。

 

一方、思考しない人は、目の前の一つの情報に反応して、すぐに答えを出そうとします。第一報を真に受け、声の大きい人の言い分を正しいと思い込んで、自分の中で即座に結論を固めます。対象の全体像(正体)を知ろうとする意思も持たず、精度や重要度も定かでない一つの情報だけを携えて動くので、そんな人が導く結論には概して妥当性や論理的整合性が宿りません。「根拠が薄いことを平気で口にする」というのが、思考しない人の典型的な行動特性です。

 

「一つの情報に接した時、他の関連情報を集めようとするかその情報に即応して動くか」が、思考力の有無を分ける分水嶺です。

 

思考しない学力秀才の得意技

思考しない人の中には、多くの学力秀才が含まれます。そのような人たちの多くが、潤沢な知識を持ちながら情報を加工する労を嫌い、そのまま動かすことを好みます。そして、一つの情報に接すると、そこからピンときた知識を頭の中から引っ張り出して、それらしくアウトプットします。根拠となる情報が限られているのですぐにその理論は綻びますが、それを言葉巧みに修正していくのも思考しない学力秀才の得意技です。

 

また、「演繹法の濫用」も思考しない学力秀才の得意技です。演繹法とは、一つの情報と自分の中の知識やルールを結び付けて結論を導く論法のことです。例えば、「某社の若手社員の中で退職者が増えている」という一つの情報に接した人が、その情報に「退職者が多い会社は採用に問題がある」という自分が強く信じる理論をくっつけて、「G社は採用に問題がある」という結論を出してしまうような情報処理がそう呼ばれます。確かにそのような側面もあるかもしれません。しかし退職者が増えている理由はそれだけではないはずです。にもかかわらず、その人は、自分が固執する一つの理論だけを使いました。他の情報を全く求めなかったその人は、問題の全体像をイメージできないままその本質から離れた場所で動いてしまった可能性が大であり、退職者が多い理由も多分見当はずれでしょう。

 

あらためて確認します。「某社の退職者が増えている」(新たに得た情報)➡「退職者が多い会社は採用に問題がある」(自分の中の一般論)➡「某社は採用に問題がある」(結論) のような情報処理が演繹法です。一方、某社にまつわる多くの情報を集めて、「なるほど某社にはこんな問題があるから退職者が増えているんだ」と新たな概念を産み出すやり方を帰納法といいます。ここまで何度も述べている「思考」のプロセスですね。

 

ロジカルシンキング(論理的思考)は、演繹法と帰納法という二つの基本パターンから成り立ちますが、情報をたくさん集めなくてはならない帰納法に対して、演繹法には、対象から一つだけの情報を捕まえればあとは自分の持ち物を使って何とかなるという側面もあります。何らかの理由で対象に向き合いたくない人が、自分の中に豊富な理論パターンを持っていたとしたら、その人は迷わず演繹法に逃げるでしょう。その場合、対象の本質から遠く離れたところで理論が走ることになりやすく、その理論は概して実効性を持ちません。演繹法と帰納法は本来セットで機能すべきものなのですが、最近では、「情報を集積する」という帰納法の取り組みを早々に放棄し、経験知に依存して安易な演繹法に走る人ばかりが目立ちます。学力の高い人ほどその傾向が強くて切なく思います。ちなみに、経験知が豊富な人が集まる中途採用の選考現場では、例外なく応募者の皆さんによる「演繹法の濫用」の応酬が見られます。

 

発言内容から思考力の有無を見極めるのは極めて難しい

思考しない学力秀才は、このように多彩な技を駆使して派手なアウトプット(発言)を繰り出します。しかしそれは、学力の高さに起因する豊富な知識の賜物であり、思考力の証明にはなり得ません。したがって、採用選考において思考力を求める採用側が、応募者の一見立派な発言に触れて喜んだり安心したりするのはピント外れであり、とても危険だということになります。

 

応募者の発言内容からその人の思考力を推察するには、前述の「分水嶺」に立ち戻るしかありません。応募者の話した内容が、どれだけの事実や情報に立脚しているかを聞き取ることができれば、その人の思考力の見極めは可能です。応募者の話の中に根拠となる情報がどれくらい含まれているかということです。しかし、この見極め方法の難易度は高く、前提となる情報が付与されたグループワークでかろうじて運用できるくらいなので、採用面接にこの方法を持ち込むのは諦めた方がよいでしょう。採用選考で思考力の有無を見極めるには、「何を話した」よりも「どう話した」に視線を向けたり、思考できない理由を求めて特定の行動に着目したりする方が、ずっと易しい上に合理的です。その具体的な方法については、この後のコラムで紹介していきます。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に憧れの関西に移り住み、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。 その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。 37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。 歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これで俺のラグビーとゴルフは変わる!」と、加齢という現実から目を逸らして盛り上がる。月イチで山へ芝刈りに行く日常は戻ったが、たくさん叩くのは足のせいではなかった・・・ことに薄々気づき始めた今日この頃。

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