小さな会社の採用革命=50の新常識= ㉕ 不合格を出した応募者に情をかけてはいけない

小さな会社の採用革命=50の新常識= ㉕ 不合格を出した応募者に情をかけてはいけない

利己的な人が増殖中

前述のように、人に興味を持たない極端に利己的な人が急増しています。人に興味が無いということは、人の都合や利害や心情にも興味が無いということであり、人が定めたルールや前提にも興味が無いということになりますが、そんな人たちが新卒採用選考の現場にも溢れ始めています。

 

思えば採用アセスメントのグループ討議の場においても、少し前まではあり得なかった応募者の行動に出くわすことが増えました。アセスメントのグループ討議では、ストレス設計の一環として応募者の机をⅤ字に並べますが、それを一瞥して「やりにくいから机を並べ替えましょう」と言い放った学生には驚きました。「グループ討議は匿名の番号制で実施されます」「今後はいかなる質問にも応じられません」というアナウンスの直後に飛び出す「では自己紹介から」「一つ質問があります」にも、最初は唖然としましたが今は慣れました。最近流行り始めたのは、グループ討議が停滞した時に飛び出す「今から五分ほどじっくり課題を読む時間をとりましょう」という提案です。そして討議メンバーたちは黙読の時間に入ることになり、私たちアセッサーはその不毛な場をただ眺めることになります。「十分間課題をよく読んで準備し、五十分間活発な討議をお願いします」という前提がものの見事に無視されていて、不謹慎ながら笑ってしまいます。

 

少し前まではそんな行動を想像したこともありませんでしたが、初登場の後はすごいスピードで増殖し、今では「時に見られる行動」になってしまいました。その背景には間違いなく学生の仕事力の劣化があります。採用アセスメントの中でリスク行動を見せてくれるのは、私たちアセッサーにとっては有難いことなのですが、中には採用選考の大詰めの段階で会社に対しわがままを言う学生も多いようです。そして時には、そのわがままが会社を惑わすことにもなるのです。

 

「落ちた理由を教えてください」

最近、顧客企業の経営者や人事担当者から、「採用アセスメントで次に進めなかった学生が、選ばれなかった理由を問い合わせてくる」という報告を受けることが増えました。このようなことは十年以上前にも何度かあったのを覚えていますが、その時には関係者に驚きをもって受け止められたこの行動が、最近は日常茶飯事としての報告になりつつあることを、とても残念に思います。このような問い合わせは、学生本人から直接届くものもあれば、新卒人材紹介会社の担当者が代弁してくる場合もあります。どちらの場合も、「当然の権利でしょ」のような態度でアプローチしてくることが多く 、恐縮や遠慮は微塵も感じられないようです。もっとも恐縮や遠慮のような感情を持てる人なら、そんなこと聞いてくるはずが無いわけですが。

 

採用は「応募者は選考の結果を受け入れなくてはいけない」という前提の下で行われ、 人を採用する企業には、不採用になった応募者にその理由を説明する義務も責任も無く、それを問い合わせることで、多かれ少なかれ先方企業に迷惑がかかります。そのような社会的常識やルールよりも自分の欲望や都合を優先させてしまう人が、「落とされた理由を教えろ」などと平気で言ってきます。他者の都合や利害や立場や心情などに心を寄せることのできる人は、自分の心を制御することができるので、そのような行動に出ることはまずありません。

 

「理由を教えろ」の次には、こんなセリフもついてきます。

 

「今後の参考にしたいので」

 

なぜ貴方の「参考」のために会社の貴重な時間と労力を使わなくてはいけないのでしょう。「自分に少しでも関わった人は自分のために何かをしてくれて当然」とでも思っているのでしょうか。

 

このような「問い合わせ」を受けた経営者の中には、その行動を「わが社への愛情」や「熱い思い」と受け取ってしまう方が少なからずいらっしゃいます。これが非常に危険です。そのような応募者の多くは、おそらく「自分が大好き」で「自分の利害にしか興味を持てない」という特性の持ち主です。応募した会社への愛情や思いが存在するとは考えにくく、あるのは「知りたい」「入りたい」という自分の欲望への執着だけなのだと思います。

 

採用アセスメント後に不採用通知を出した応募者から「この会社にどうしても入りたいのでもう一度だけ試験を受けさせて欲しい」とか「契約社員でもいいからここで働かせてほしい」のようなことを言われ、「その熱意を買おう」ということになって採用を決めてしまった経営者が、過去に何人かいらっしゃいました。でも、私の知る限り、良い結果になった例はありません。一年も経たないうちにあまり良くない形で辞めてしまったケースもありました。

 

極めて自己中心的な行動に利他的な匂いを含ませるのが上手い人がいます。その働きかけは、経営者や採用関係者の健全な承認欲求や情緒的な部分に忍び寄って、その人たちの合理的な判断力を麻痺させてしまう魔力を有します。経営者の、「情緒的な判断に流れず、いつでも物事の原理原則に立ち返る力」が問われます。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に憧れの関西に移り住み、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。 その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。 37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。 歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これで俺のラグビーとゴルフは変わる!」と、加齢という現実から目を逸らして盛り上がる。月イチで山へ芝刈りに行く日常は戻ったが、たくさん叩くのは足のせいではなかった・・・ことに薄々気づき始めた今日この頃。

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