小さな会社の採用革命=50の新常識= ㉓ 応募者に対する「感覚的な評価」を捨ててはいけない。  

小さな会社の採用革命=50の新常識= ㉓ 応募者に対する「感覚的な評価」を捨ててはいけない。  

社長の苦悩

数年前にある会社を初めて訪問した時、初対面の社長がご自身の経験談をお話ししてくださいました。その会社は小規模ながら業界トップを走る有名な日用品メーカーで、創業社長が緻密なマーケティングと斬新な商品開発を推し進めて会社を引っ張ってきました。業容拡大と業績好調を背景に常に採用マインドも高い会社なのですが、数年前に社員の早期離職が頻発した時期があり、その原因が採用にあるのではないかと考えた社長は、コンサルティング会社の指導の下で新しい新卒採用スキームを導入しました。

 

あらためて採用面接の指導を受け、マニュアルを手にした社長は、それまでのような自分の感覚を大切にする面接を改め、その選考手法の理論に忠実に最終面接を進めるようにしたそうです。その結果、それまでなら第一印象で「✕」を付けたであろう学生が合格線上に浮かび上がったり、好印象だった学生に「✕」を付けざるを得なくなったりすることが増えたりして違和感を覚えることも多かったようですが、社長は我慢してしばらくはそのやり方を続けたとのことでした。

 

しかしながら、そうして採用した人たちもあまり会社にマッチせず、採用選考をリニューアルした成果は今一つだったようです。

 

「面接での第一印象であまりよくない感覚を抱いた学生が、選考手法の理論をこねくり回しているうちに合格線上に浮かびあがったりするんです。でも入社後のその人達の多くは最初の感覚通りの人物でした。そしてほとんどの人が辞めていきました」

 

「これではいけないと思って、去年は採用面接だけマニュアルを無視して自分の感覚重視に戻してみたんです。そしたら、そっちの方が良い結果になって」

 

「感覚」を捨てない採用選考

結局社長はその面接手法を捨て、その後しばらくして私たちと出会うことになりました。採用アセスメントを内製化する話を進めていく中で、こんな会話もありました。

 

「やっぱりアセスメントでも感覚的な見方は排除しなくてはいけないのですよね」

 

「いいえ、感覚や第一印象も重要な情報の一部として使います」

 

採用アセスメントのアセッサーミーティングでは、各アセッサーが得た応募者の行動情報を持ち寄って一か所に集め、その情報たちを概念化することによって診断結果を導きます。しかし、みんながその情報処理に没頭し過ぎてしまうと、時に対象である応募者の実像から離れた議論が机上で進んでしまうこともあります。そんな時、その「机上の理論」をアセッサーの誰かの第一印象や感覚的評価などと照らし合わせると、少し袋小路に入ってしまったアセスメントの出口が見つかることもあるのです。プロセスは少し異なりますが、実は感覚も思考の産物であり、情報への感性が高いアセッサーの「感覚」の精度は、時に型通りのアセスメントのそれを凌ぎます。

 

私がそれを伝えた時の社長の嬉しそうな顔が、とても印象的でした。その後その会社では私たちの採用アセスメントが内製化され、社長も若手社員から選ばれた社内アセッサーと共に新卒採用の一次選考に参加されています。社長は相変わらず「感覚的」なアプローチが多く、プロセスの開示は控えめです。一方、新入社員も含めた若い社内アセッサーたちは、応募者の行動を緻密に積み上げていきます。最後は、社長の「感覚」と若手の「基本に忠実なアセスメント」とのすり合わせになることが多いのですが、社長の「勝率」はそれほど低くはありません。時々繰り出される現場感覚溢れる見解が若者たちを唸らせる一方、根拠の少ない感覚を口にすると新入社員にたしなめられたりしていますが、そんな時の社長は本当に嬉しそうです。「感覚的」に得た概念は、それ自体とても価値がある反面、その感覚だけに頼って判断や意思決定に走ったのでは、必然的に相応の確率で間違いは起きます。そんな正解を手にして長年の迷いを払拭した社長は、今年も新卒採用の第一線で若いメンバーと一緒に汗をかいています。

 

「感覚」が生まれるメカニズム

「感覚的」という言葉は、「論理的」と対立概念のように扱われることが多く、時に緻密さに欠けるざっくりした印象を与えます。しかしながら前述のように、人が感覚的な結論を得る時には、無意識に思考と同じメカニズムが働いています。人から何かを感じた時は、必ずその人から何らかの情報を得ているはずで、その情報たちを集めて「あの人はこういう人だ」「あの人はこんな感じがする」という概念を導く概念化のプロセスを踏んでいるのです。ただそのプロセスがあまりにも瞬間的に完結するため、その人は自分が何を見て何を聞いてそう思ったのかを覚えていません。感覚とは、プロセスを説明できない思考の結果なのです。

 

多くの情報を取り込んだ上での「感覚」には、緻密な思考と同等の妥当性や信頼性が宿りますが、限られた情報から導いた感覚は、思い込みや決めつけに近いものとなってしまい、忠実に情報を積み上げたアセスメントと同じ土俵に乗ることはできません。誰もがどちらにでも振れる可能性があり、それゆえに「感覚」は、可能性と限界を併せ持ちます。したがって、どんな場合でも「感覚」だけで完結される採用選考はリスクでしかなく、一方、「感覚」を自ら捨て去ってしまうことに合理性を見出すことはできません。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に憧れの関西に移り住み、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。 その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。 37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。 歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これで俺のラグビーとゴルフは変わる!」と、加齢という現実から目を逸らして盛り上がる。月イチで山へ芝刈りに行く日常は戻ったが、たくさん叩くのは足のせいではなかった・・・ことに薄々気づき始めた今日この頃。

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