小さな会社の採用革命=50の新常識= ㉒ 応募者の「顔つき」は、極めて重要な情報である。

小さな会社の採用革命=50の新常識= ㉒ 応募者の「顔つき」は、極めて重要な情報である。

応募者の顔に関する情報を、敢えて捨ててしまう経営者

採用選考の合否を判断する際に、応募者の「顔」に関する情報を敢えて無視しようとする経営者が多いことに驚きます。お付き合いを始めたばかりの社長と初めての採用アセスメントに取り組んだ後、私が応募者の顔つきや表情に言及すると、「顔はあまり見てなかった」という返事が返ってくることがほとんどです。そしてよく聞いてみると、「顔を判断材料にしてはいけないとずっと思っていた」と、やはりほとんどの社長が告白してくれるのです。「顔採用はダメ」とあまりにも刷り込まれ過ぎて、「顔の造り」と「顔つきや表情」が混同されてしまったのでしょう。

 

応募者の顔の造りを選考の判断材料にしてはいけないことなど、当たり前すぎて論じるまでもありません。それは、その人の努力や意思では変えられないものを理由とした差別だからです。しかし顔つきや表情は、その人の心の持ち方や価値観やエネルギーなどが映されるので、その責任は本人にあります。よく「四十過ぎたら自分の顔に責任を持て」などと言われますが、日々たくさんの大学生をアセスメントしている私の実感として、「二十歳も過ぎれば人間の中身はしっかりと顔に出ます」と言わざるを得ません。誰もが美男美女と認めるような応募者が、アセスメントが進むにつれて何とも言えぬ「嫌な顔」になっていったり、入室時は地味で目立たなかった応募者が、必死にグループ討議に取り組む中でどんどん魅力的な顔になっていったりする様子を目の当たりにするたびに、顔が人間の内面を映す鏡であることを思い知らされます。アセスメントの診断結果とその人の顔つきや表情との間には間違いなく因果関係があります。応募者が発する限られた情報を最大限に活用することが求められる採用選考において、そんな貴重な情報を捨ててしまうのは、あまりにももったいないことだと思います。

 

応募者の顔を見るのが苦手な社内アセッサー

私たちが採用アセスメントの内製化を支援している会社では、選び抜かれた若手社員たちが「社内アセッサー」の重責を担っています。さすがに思考力の高さで選ばれた人たちだけあって、皆さん情報への感性は鋭く、プロ顔負けの行動分析を見せてくれる人も少なくありません。しかし、応募者の顔つきや表情に関する話になったとたんに、彼ら彼女たちの口数が少なくなる傾向があります。一時たりとも気を抜かずに応募者の行動を漏れなく拾い続ける社内アセッサーの皆さんですが、応募者の顔をよく見て顔つきや表情に関する情報の確保することだけはあまり得意でないようで、「今まであまり人の顔を見てこなかったのかなあ」と感じます。確かにわが国には人の顔をじっと見ることをあまりよしとしない文化があります。人の顔をしっかり見ることに慣れていない人が多いのかもしれません。

 

個に向き合わない日本人

そもそも、日本は「個に向き合う文化」が薄い国だと私は思っています。会社経営においても、社員一人一人の能力や価値観に向き合うよりも、しくみや制度を緻密にして全体を整えることが重視されます。私が海外で働いていた時には、外国の人が実に注意深く人を観察することを実感しました。特に初対面の外国人と接すると、「こいつはどんな人間なのか」「自分にとって役に立つ人間なのか」「悪い奴ではないのか」「こいつを信じてよいのか」などを見極めようとする圧を感じたものです。このように人を観察するのは自分を守るために当然のことだと思うのですが、日本でこんな雰囲気を出すと「あの人は人を観るから…」と陰口を言われそうですね。そしてそれらの疑念がクリアになると、その人たちは打って変わって胸襟を開いてくれるようになり、心の距離が急に近くなって深い付き合いができるようになりました。このあたりも少し日本と違うような気がします。

 

このように相手を一生懸命知ろうとする外国人たちは、いつも躊躇なく相手の顔を凝視していました。あの人たちにとって相手の顔から得られる情報は、自分を守るため、そして真の友人やパートナーを得るために、欠かせないものだったのだと思います。翻って日本人は、礼儀やマナーを前面に出して対立や軋轢が生じない状況が維持されることを重視する反面、相手を深く知ろうとする意識は一般的にあまり優先されません。性善説が根強いのか、自分を守るために相手が発する情報からリスクを察知しようとする意識も概して希薄です。相手の顔をしっかり見ようとする意識が生まれにくいのは必然かもしれません。日本には「外見で人を判断してはいけない」という美徳のようなものがあり、「外見に左右されずに内面を知ろうとしなさい」と教えられてきました。その結果、多くの人が、相手の内面を知るための貴重な情報である顔からの情報をも遠ざけてしまっているのは、なんとも残念なことだと思います。

 

採用アセスメントを通過する応募者は、みんないい顔つきをしています。精神的に自立した人は、いつでも対象に向き合って情報を希求しているので、多様な情報を受け入れるべく開放的な表情をしています。思考力の高い人は、常日頃から心身に負荷のかかる取り組みを繰り返しているせいか、強い目力と引き締まった表情筋が目立ちます。逆に、精神的未成熟や熱量の低さが露呈した応募者は、嫌な感じや緩い雰囲気を伴う表情を隠すことができません。このように、応募者の顔はその人を知る上で欠かせない情報で溢れています。せめて採用選考の時だけは「美徳」を少し遠ざけて、会社を守るために応募者の顔としっかりと向き合ってください。

 

はじめはあまり応募者の顔を見ていなかった社長さんたちも、採用アセスメントに慣れる頃には当たり前のように応募者の顔についてたくさん語るようになります。それが、応募者の本質に向き合おうとする採用のスタートラインとなります。

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に憧れの関西に移り住み、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。 その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。 37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。 歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これで俺のラグビーとゴルフは変わる!」と、加齢という現実から目を逸らして盛り上がる。月イチで山へ芝刈りに行く日常は戻ったが、たくさん叩くのは足のせいではなかった・・・ことに薄々気づき始めた今日この頃。

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