呪縛【復刻版】-2008年6月2日公開-

呪縛【復刻版】-2008年6月2日公開-

午前中訪問したクライアントとの会話の中で目標管理や年俸制がテーマになった。

 

僕は制度コンサルを生業とはしていないので、これらの件に関してはあまり突っ込んでコメントをしないようにしているのだが、その社長がとても信頼できる方だということもあって、今日は本音さらけだしの私見を述べさせてもらった。そして、多分それが原理原則であり、わが国の多くの経営者にとっての正解だと信じている。

 

 

 

その根底に流れる概念は、

 

「五名、十名、五十名、と会社が大きくなって実務が社長の手からどんどん離れていく中でも、『従業員を採用すること』と『従業員の給料を決めること』は、できる限り最後の最後まで社長の手許に置いておくべき仕事である」

 

「『経営は人である。』を本当に信じる経営者であれば、その二つだけは、『権限委譲』や『効率化』の波に巻かれないところに置こうとするはずだ」

 

という、僕の信念とも言える見識である。「社長は『人の問題』に関してだけは楽をしようとしてはいけない」という軸だけは決して僕の中でブレることがない。 そして、これをできる限り多くの社長さんたちに伝えていこうと思っている。

 

 

 

 

社長さんたちが、「込み入った人事制度を作ると、魔法のように全てがうまく回るようになり、自分が楽になる」というとんでもない誤解を伴う呪縛から解き放たれた時、シンプルで皆が幸せになるようなしくみが作られる土壌が生まれる。

 

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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